第18話

男には、戦うという本能がある。自分のことを”僕は„という。僕とは何か。僕とは仕えるという意味合いがある。守るということでもある。男は戦士だ。家庭を守り、社会を守り、国を守る、兵士として生まれて来る。強く、勇敢で、勇ましく、凛々しく頼もしい存在として生まれて来る。女性は、そういう男性に惚れる。互いに引かれ合い愛し合い、結ばれる。そして、愛し子が生まれると、女性は母として生まれ変わってゆく。母は、”たとえ火の中、水の中„の言葉通り、命に代えて我が子を守ろうとする、強い強い本能がある。男はこの母性の前には、何の力もない。たとえ、親の反対を押しきって駆け落ちした愛しい人であったとしても、その夫が、我が子にとって、危害になる存在になれば、母は、我が子を抱いて夫のもとを去る。たとえ行く手に困難があるとわかっていても、母は、その困難を困難ともせず、勇敢に立ち向かってゆく。この母性あればこそ、子は、人として守られ、希望を抱いて生きてゆける。父となった男性には、大きな責任があることを、どうかどうか、わかって欲しい。父という響きは、乳という響きと同じだということを、肝に命じて欲しい。乳とは母乳のこと、おっぱいのことだ。母乳は母となった母体から、子への栄養として与えられる、自然の摂理だ。母の食べる美味しい食事が、母乳となってほとばしり出る。そして、その食事を、母となった妻に与えるのが、父となった夫の役目なのだ。夫が妻に、せっせと美味しい食べ物を与えることで、子はすくすくと育つ、ということをどうか理解してもらいたい。乳は、父の働きによってほとばしり出る。だから、母乳のことをチチというのだ。すなわち、母乳は、父親の愛がほとばしっているということを、この響きが教えている。乳は父であり、父親の家族を思う愛の働きが、母乳になってほとばしるのだ。愛し合い、睦み合い、助け合うメオトの暮らしから、美味しい母乳が、シュウシュウと溢れ出る。愛が溢れ出すのだ。だから、夫婦のことをメオトというのだ。メオトという音は、愛音とも書ける。すなわち、仲睦まじい夫婦からは、”可愛い、可愛い、愛しい愛しい”という心地良いハーモニーが、生まれて来る。楽しい笑い声。幸せな、暖かい喜びが広がってゆく。美しく豊かなシンホニーが聞こえて来る。なごやかな楽しい言葉が家庭に満ちて、子供は、その響きを、子守り歌として育つ。それが、揺りかごだ。毎日、どんな言葉を妻にかけているか。どんな言葉を夫にかけているか。それが、子守り歌になると思うと、自分の口から出てゆく言葉が、どうか、明るい楽しい、のどかな、幸せな響きであるようにと、祈らずにはいられない。

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