第二章 せせらぎ
第二章 一話 弘樹とせせらぎ
「あ、もう朝か……」
弘樹は机の上で目を覚ますとハッとして、パソコンモニターを確認する。
どうやら昨日もアリスが来ていたようで、朱音とのチャットが残っていた。
急いで朱音へチャットを入力する。
>おはよ。結構ゲーム進んだみたいだね
>あ、ヒロキに代わったね
>なんかもうほとんど俺やってないな
>そりゃヒロキ、すぐ寝落ちするからね
>いやいいんだ。彼女が楽しんでくれたら
>彼女ときたか。リア充め
>あ、その彼女じゃない
>毎晩泊ってりゃ彼女でしょーが!
>いやほんと。俺が起きると帰っちゃうんだ
>それどんな関係?
>別に付き合ってないよ
>ほ、本当? でもアリスちゃんの態度がねえ
>態度?
>彼女はヒロキを好きだと思っていそう
なん、だと……。
なんだとォォォォッッ!!!!
お、俺を好きなのか⁉
し、信じられん……。
いや、嬉しいよ、マジ超嬉しいよ。
だってあの
もう俺にとっては眩し過ぎて直視できないくらいの存在。
女神と言っても過言じゃない。
そんな人が自分の彼女になるなんて、奇跡とかそんなレベルじゃない。
なのに、現実感がなさ過ぎて完全に他人事だ。
だってまだ会話もしてないし……。
それに「好きです。付き合ってください」って言ってないし。
その前に朱音がそう思っただけって可能性の方が高くないか?
>す、すまん。ど、動揺した
>本当に身体の関係ないの? 泊まってんのに?
>ああ、俺のせいで泊まってるが別に何もない
>意味分かんない。じゃ今もヒロキはフリーなの?
>残念ながら
>そう。それは良かったわ
>良くはないだろ。ところでアカネ
>何?
>いろいろありがとうな
>!? またヒロキは考えなしにそうやって!
>え? いや感謝の気持ちを
>もう寝る! お休み、ヒロキ
>あ、ああ。お疲れ
弘樹は朱音の返信に違和感を覚えたが、彼女の反応は理解できないことがたまにあるので気にするのをやめた。
今日一日、朝から夜まで弘樹は浮かれ切っていた。
人生初の彼女ができるかもしれないからである。
朱音から衝撃の話を聞いても、話したこともないのに、好きもへったくれもないだろう、そう思った。
でも、今じゃメールやチャットで仲良くなるのは普通だし、告白だってしかり。
昔の貴族だって婚約者と結婚まで逢えず、文通して想いを
なら、こんな形の恋愛があってもいいんじゃないかとも考えた。
実際、手紙でのやり取りはあるし、通話録画で彼女の姿も見ているし、自身は寝ているけど彼女からのスキンシップもある。
そして何より弘樹自身、単なるファンだったアイドルを今は身近に感じていて、残されたメッセージから彼女の人となりも知るにつれ、憧れの遠い存在ではなく常に身近な存在になっていた。
俺もう彼女に夢中だ……。
これは恋だと思う。
そうだ!
これをこうして……。
これくらいは許されるはず。
パソコンモニターの枠に張られた彼女のプリクラを剥がすと、自分の原付免許の顔写真に並べて張った。
彼女とデートできたらどんなに幸せだろうか。
でも彼女、俺が目覚めると転移で帰っちゃうし。
やっぱ、俺が起きた状態で会うのは無理なのか?
……い、いや、可能性があるかも!
たぶんアリスちゃんと会えるぞ!
今は召喚でアリスちゃんを俺の家に呼んでるけど、普通に外で待ち合わせたら会えるんじゃないか?
うん、たぶんイケる!
ならまず、手紙で外で会おうと伝えるか……。
……。
断られたり……しないよな?
アリスちゃんが凄くイイ娘で、誰にでも優しいから俺にも優しいだけだとしたら??
もし断られたら、たぶん立ち直れないぞ……。
うーん、俺にはOKをもらえる自信がない。
だって彼女は、人気のゲーム実況アイドルなんだ。
多少仲がいいくらいじゃ、会ってくれる訳がない。
外で会おうと誘うのは、俺がイケると自信が持てるまでやめておこう。
まずはさらに親密度を高めるか。
弘樹は自分に自信が持てないこともあり、召喚以外でアリスに会う方法を思いついても、すぐに行動を起こすのはやめた。
彼女が好意的なのは間違いないのだから、焦る必要はないと考えたのだ。
彼女ができるかもしれない。
彼は高まる期待を抑えることができず、バイト中も浮かれまくって同僚から気持ち悪がられた。
だが、当の本人はそんなことまるで気にしない。
足早に家に帰ると、大急ぎで食事と風呂を済ませて、いつものようにパソコンへ向かう。
彼女に会うためだ。
「弘樹お疲れー」
「ああ朱音お疲れ。今日は音声なんだな」
「あのね。朱音は本来音声派だって言ったでしょ。それより今日は違うゲームをやるわよ」
「え、あそうなの? あのMMO今いいところじゃないの?」
「そうだけどね。まあ、バトロワ練習しようかなと」
「マジ? でも最初の頃に二人で試して、向いてないからやめたよね?」
「ま、確かに移動しながら銃で敵狙うのとかしんどいかな。でも、練習すれば上手くなると思って」
「じゃあそれでいいよ。でも彼女が喜んでくれるかな?」
「大丈夫よ。絶対喜んでくれるから」
「やけに自信があるな」
朱音は返事をせずに、もごもごと誤魔化していたが弘樹は突っ込まなかった。
彼女が騙すような奴じゃないと分かっているから。
本当は自分より朱音の方がアリスを知っていることに軽い嫉妬をしたが、女性同士で毎日長時間ゲームしていれば仲良くもなるだろうと思い直した。
早速二人して、チームで最後まで生き残りを目指すバトロワを始めた。
初回はスタートして武器も拾えずにすぐ敵に倒され、二回目をトライすべく他プレイヤーとマッチングしている最中に、早々と弘樹が『寝落ちスキル』で寝落ちした。
◇◇◇
「きゃ、な、何です!?」
生配信を終えたせせらぎは、プライベートでゲームをしていたところだった。
彼女がメインで実況しているのはバトロワゲームだが、今日は配信中に思い通りのプレイができず、配信後に銃の狙い、つまりエイムの練習をしていたのだ。
せせらぎの視界はわずかな浮遊感とともに一瞬だけ白くなると、すぐに視界が戻り小さな落下で着地した。
「痛っ!」
彼女は机に向かってゲームしていたのに、急に椅子がなくなり空気椅子状態になったため、尻もちをついて後ろへ転んだ。
「こら! 夜は静かにしなさいって!」
下の階から女性の怒鳴り声が聞こえたので、せせらぎは目を丸くして驚いた。
本名、大川せいら、芸名、大川せせらぎは後ろに転んで、ひざを曲げて床に背中を付けた姿勢で固まっている。
床には彼女自慢の長い黒髪が、倒れた拍子で扇型に広がっていた。
長い黒髪に長いまつ毛、整った顔立ちの彼女は、ゲーム実況アイドルとして同じ芸能事務所内でアリスに匹敵する屈指の人気を誇る。
特にせせらぎはバトロワといわれるアクションシューティングゲームで卓逸した腕前を持つが、ファンたちはその腕前だけに惹かれているのではなかった。
人形のように整った顔立ち、清楚を体現した美しい黒髪、そして鈴の鳴るような声、それら全てを備えるせせらぎという存在にファンたちは魅了された。
さらには幻想世界から舞い降りたキャラクターとして扱い、男性はもちろん女性プレイヤーからも憧れの対象として見られていた。
そのファンの多いせせらぎは先ほどの出来事で後ろにひっくり返り、未だにひざを曲げて床に背を付けた姿勢のままで、目をぱちくりして今の状況を思案していた。
なんか、机と椅子がなくなったのですけど……。
っていうか、ここはどこです!?
辺りを見回しながらゆっくり立ち上がると、部屋の様相が一変しているのに驚く。
机や椅子がさっきまでとは反対側の壁に沿って置かれていた。
それだけでも異常事態なのに、彼女はもっと驚くものを目にしてしまった。
椅子には知らない男が座って机に突っ伏して寝ていたのだ。
「!!!!」
今度は驚き過ぎて声が出なかった。
心臓が口から出るんじゃないかと思うほど驚いた彼女は、口に両手を当ててしばらく固まっていたが、この男が勝手に自分の部屋に入ってきたのではなく、自分がこの男の部屋に入って来たのだと何となく理解した。
な、何なのです?
わ、私は一体どうやってココに来たのかしら!?
まるで私自身がこの場所に転移したような……。
転移……? 転移!?
私、もしかして転移しました??
て、転移ですねこれ!
転移だと考えれば今のこの状況には説明がつく、だから彼女は自分が転移したのだと悟った。
普通なら見知らぬ場所で急に目覚めても、自分が転移したなんて思うことはないだろう。
誰かに運ばれたと考える。
だがせせらぎは記憶が途切れることなく、自分が居た場所が急変するという不思議な体験をした。
事故に遭い、ベッドで目が覚めるのとは訳が違う。
そして一番影響したのは、たまたま数日前から何回も転移したと語る知り合いがいて、さんざん状況を聞かされていたからだった。
あの話は妄想だと思っていました。
だって召喚されるなんてありえないですから。
絶対アニメの見過ぎだと。
てっきり彼氏が欲しいアリスさんが、夢でも見たのだと思っていました。
適当に頷いて話を合わせたのでよく覚えていないですけど、誰かに呼び出されたと言っていたはず。
もし私も召喚されて転移したのなら、呼び出したのはこの男性でしょうか?
生身の男に耐性のない大川せせらぎは、恐る恐る寝ている男をのぞき込む。
普段引きこもりに近い生活をしていて、室内で男と一緒なんてあり得ないので、極度に緊張して不安でいっぱいである。
もし今、彼女を後ろから大声で脅かしたら、そのまま気絶するかもしれない。
首にアザがありますね。
あれこの痕ってもしや……キ、キキキスマーク!?
ってことはこの男性、もしやモテ男子ですか!
もちろんキスマークを男に付けるどころか見たこともない彼女は、その辺のことに興味津々で知識だけは豊富な頭でっかちだった。
せせらぎは自分を召喚した男が引きこもりのオタクで、変な趣味の持ち主だったらどうしようと、可笑しな方向の心配をしていた。
だがその相手がリア充ぽいので少し落ち着く。
「あ、さっきまで私がやっていたバトロワです」
モニターには、彼女が自分の部屋でプレイしていたのと同じバトロワ、つまりアクションシューティングのゲームが表示されたままになっていた。
外付けスピーカーからは控えめな音でBGMが流れており、直前まで誰かと話していたのかチャットアプリが繋がっている。
せせらぎは、とっさにチャットアプリの通話を切断した。
もし警察がこの場を見たら、腰までの黒髪にスレンダーな彼女はむしろ被害者で、この男に監禁されていると誤解するかもしれない。
だが、チャットアプリの向こうの相手はこの男と知り合いなので、声が聞こえれば確実に変な女が部屋にいると警戒するだろう。
そう考えて急いで通話を切断したのだ。
彼女はさてどうしたものかと思案する。
さっさとこの家を出て行けばいいのだが、同じ芸能事務所の胡桃アリスからは、召喚された家の周りを見えない壁が取り囲んでおり、脱出できないと聞いていいる。
それより何より、放置されていたバトロワゲームで対戦相手のマッチングが完了し、試合が始まってしまったのだ。
普通の女性ならこんな訳の分からない状況で、他人がプレイしていたゲームなんてどうでもいいだろう。
むしろ知らない男の部屋にいる異常事態なのだから、冷や汗だらだらでパニック寸前かもしれない。
無論せせらぎも困ってはいるのだが、始まってしまった試合を放置することは彼女の性格上許せなかった。
ネットとはいえ敵味方をマッチングして試合が開始になった以上、その試合を放置して抜けるなんてチームを組んだ仲間が困る。
そんな迷惑行為をするのは絶対に嫌だった。
なぜなら自分がされると、ものすごく嫌だから。
生き残った仲間の人数が敵チームとの勝敗を大きく左右するこのゲームで、スタートしてすぐ自己都合でゲームから抜ける行為は迷惑以外の何ものでもない。
せせらぎは一試合一試合、魂を込めてプレイするタイプなのだ。
日々の微妙な感覚のズレを射撃訓練場で数十分修正して、それから本番に臨んでいるくらいである。
それくらい気合いの入ったプレイヤーは彼女だけではないはずで、自分のような人に絶対に迷惑をかけたくない、せせらぎはそう思うのだ。
完全に生真面目な彼女の性格ゆえのことだった。
「し、仕方ないですね。とりあえずこの試合を何とかしないと」
ゲーム実況の仕事で他の男性実況者と絡むことはあるが、それは当然画面越し。
中学、高校と女子校を卒業した大川せせらぎにとって、真横に男が座っているのは小学校以来。
寝ているとはいえ、キスマークを付けた男が隣にいる状況に彼女の胸の鼓動は勝手に早くなる。
机に突っ伏して眠る男性を横目で見ながら、彼女はスンスンと鼻を鳴らした。
「お、男の人ってこんな匂い、なのですね! き、嫌いじゃないかも……」
この瞬間、せせらぎは自分が匂いフェチなのかもしれないと気づく。
なぜなら彼女は、横で寝るこの男の匂いに妙に惹かれたからだ。
次回、「変態レベルの無双」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます