陰雪 β

春嵐

第1話

 何も、不思議なことはなかった。

 普通の街並み。普通の人通り。この中に、彼女はいない。

 死にかけながら、生きてきた。昔は身体が弱くて、そして今は、仕事で。普通に腹に弾が当たったりもする。上半身が焼けたりも。そういう危険な仕事。正義の味方といわれているが、実際のところ、単純に死地に飛び込んでいくだけ。

 死にかける。意識がさまよう。朦朧もうろうとする。その瞬間だけ、彼女に、逢える。

 何も不思議なことがない自分の生き方のなかで、彼女の存在だけが、唯一の、特別。彼女に逢うために、今日も危険のなかを歩いていく。

 彼女には、このことは言っていない。というより、言っても信じてもらえないだろうというあきらめの感情のほうが先行している。本当は別のどこかの人間で、死にかけたときだけ彼女に逢える。なんだそれ。ばかみたいだな。自分がそれを言われたとしても、笑ってしまうだろう。

 ただ、事実だった。

 死にかければ、同じ街、同じ景色で、彼女のいる場所に。行くことができる。

 いつか、こうやって、死ぬだろうなという感覚はある。どこにも行けず。彼女にも逢えず。死ぬ。そして、死んだ先には、彼女はいないし街も存在しない。

 雪が降ってきた。

 死にかけの自分に、ゆっくりと落ちてくる。まだ水っぽくて、やわらかい。

 死ぬのか。

 それとも。

 彼女のところへ。

 どっちだろうか。

 わからない。

 路地裏で倒れながら、そのときを待っている。

 雪。

 死にかけたときだけ、彼女のことを思い出す。そして、彼女のところへ。

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