第166話 狂乱水城のルクテュレア1

 水上都市ルクテュレア。世界最大の湖であるノタリクテス湖の上に作られた都市であり、その景観の美しさから観光客は後を絶たない。領主であるオルケズ・ルクテュレアは先祖代々、一族で湖の守護龍である水龍ティルワスと契約しているため、魔物からの被害がない非常に平和な都市であった。街の中には水路が至る所にあり、そこを小さな船を使って移動をしている。街の最奥にある領主の住む宮殿のさらに奥にはノタリテクスを祭る祭壇まであり、年に1度感謝祭を開き、世界的に見ても非常に賑わった街である。



 魔王が誕生し他の大陸では既に侵攻が始まっているというのに街の住民たちは変わらなかった。いや変わった点とすればいつも列をなすほど来ていた行商人たちが姿を消した事だろうか。街の住民もおかしいと思いながらも変わらず生活を続けている。

 領主の計らいによって最近出来た新しい水汲み場は常に人で溢れていた。皆が手にコップを持ち、水を汲んで飲んでいる。住民皆が口を揃えて言うだろう。この水は最高の水だと。病気で苦しむ者も、怪我で苦しんでいた者も皆この水を飲むだけで力が溢れ活力に満ちるようになった。


 

「領主様も昔は心配だったがようやく自らの立場を理解されたのだろう」


 皆がそう話す。ここ水上都市ルクテュレアの領主であるオルケズ・ルクテュレアは、若い頃それは手に負えない乱暴者であった。自身の立場を利用し、幾人もの町娘を手籠めにし、何かあっても全てもみ消していた。

 ルクテュレアの一族は皆水龍の加護を受けている。だからこそ、一族以外がこの都市を収める事が出来ない。前領主は大変な善人であったが自分の息子に非常に甘い人物だった。息子であるオルケズが何をしても許し、それを咎めようともしない。


 だからこそ、オルケズが領主になったと聞いた時住民たちは不安で押しつぶされそうになっていた。だが実際はどうだろうか。婚約を切っ掛けに領主になったオルケズはそれまでの悪行は嘘のように、立派に都市を統治している。



「やっぱ嫁を貰うと人間変わるのかね」

「違いない。何にせよこれで安泰さ」



 そう言いながらくみ上げた水を口の中に入れる。まるで酒のような依存さを感じさせるこの甘美な水にまた1人、また1人と口にしていた。





 

 

 床にグラスが落ちる。甲高い音が周囲に響き、割れたグラスから赤い液体が床に広がっていく。その場にいた誰もが驚いた。グラスが割れたからではない。そのグラスの持ち主が震えていたからだ。



「俺の可愛い人。一体どうしたっていうんだい?」



 甘く優しい声でオルケズ・ルクテュレアは震えていた小さな手を取った。ひどく怯えているのだろう。小さな手が小刻みに震え、普段より血の気もないように見える。


 まるで人形のように整った容姿の少女は怯えた様子で両手を肩に回している。その光景を驚愕した様子で見ているのはもう1人の人物である。

 オルケズが一生懸命少女を宥めている横で老齢の男である彼は膝を付き、自らの主人に声をかけた。




「如何いたしましたか。

 



 真祖の吸血種である魔人ケスカ。今代の魔王デュマーナには劣るものの、その力は絶大であり、絶対的であった。そんなケスカがここまで怯えた様子を見せたことにケスカの使徒であるセルブスは内心で驚愕していた。



「う、嘘だ……嘘だ……嘘だ……あいつは――」


 

 うわごとのように焦点のあっていない目で呟いている。その光景を以前も見た事がある。それは十数年前、ある人間によってもたらされたものだ。それに気づきセルブスは声をかける。



「落ち着いて下され。ケスカ様。は死んでおります」

「そ、そうだ。死んだはず、だ……なら先ほど一瞬感じた気配はなんだ……微弱であったがあれは……」

「おい、セルブス。なぜ俺の婚約者がこんなに怯えているんだい?」

「事情があるのです」

「なあ。それって前にあんたが話してた――」

「貴方は少し黙っていて下さい」


 少しだけ声を張り上げる。それに驚いた様子もなくオルケズは僅かに肩をすくめた。


「わかったよ。何かあれば呼んでくれ。かわいい婚約者の頼みなら何でもするぜ」


 そういってオルケズは両手を上げ少しおどけた様子で部屋から出て行った。その様子を見てセルブスは考える。あいつは間違いなく死んだはずだ。そうでなければ新しい勇者が生まれるはずがないのだと。十数年前、主人であるケスカに刻まれた恐怖はいまだ癒えない。一時期は名前を出しただけで発狂するほどの恐怖を刻まれてしまっていた。それゆえ、ケスカの前で以降は名前を出す事さえ禁止していたほどだ。

 このトラウマの最大の要因であった問題も新しい勇者とその力量を確認する事で解消したはずだった。二度とあの恐怖を味わわないために魔王の傘下に入ったのだ。だというのに――。


 いまだ震える自らの主人を見てセルブスは考える。確認する必要がある。そしてもう一度主人に安寧を与えるのだと。



「ティル。いますか」

「はい。どうしましたセルブスさん」


 

 青い髪の青年がやってきた。震えているケスカを見て唇を噛んでその様子を見ている。


「ケスカ様は大丈夫ですか?」

「このまま私が寝室までお連れします。数日寝れば回復するでしょう。街の様子はいかがですか」

「大よそ8割は終わっています」

「そうですか。なら引き続きオルゲスと協力を続けて下さい」


 そういうとティルは少しだけ険しい顔つきになる。



「あの男は必要でしょうか。その気になれば僕たちで十分に……」

「調子に乗ってはいけません。以前のことを忘れたのですか」

「それは――」



 数年前、ティルは魔大陸の森で戦った帝国騎士を思い出す。余裕を持って倒せると思っていた相手が想像以上に強く、もう少しでティルにとって大事な仲間を失う結果になっていた所であったのだ。


「慎重に行動するのです。驕ってはいけません。驕りは必ず自らを食い物にする劇物となる」

「わかりました……」



 頭では理解しているが、完全に納得はしていない様子でティルは部屋から出て行った。その様子を見てセルブスは小さくため息を吐く。



 





 

「んで、いつまで付いてくんだよ?」

「暇なのだ。別にいいだろ? なにお前の邪魔はせんぞ」

「本当かよ。っていうか俺の目的知ってんだろ?」

「別に構わん。あ、でもワタシの事は内緒にしてくれよな。後で怒られるのは嫌なんだ」


 銀髪の男と赤い髪の女が森を歩いている。同じ色のローブを着た2人組であり、他人が見れば異色の組み合わせとして驚くだろう。



「それでイサミはどこに行くんだ?」

「ほれそこだ」

「ほぉ! 随分綺麗な街だな! しかもまた随分デカい湖の上に街があるぞ。っていうかもはやこの広さは海ではないのか? なあ! あれは何て言う名前の街なんだ?」

「俺たちが遊んでた湖より数倍デカいだろ。名前は……えーっと確かなんてったかな。――ああ。そうそう水上都市ルクテュレアだ」

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