第162話 邂逅嬉戯2

「鬼はどっちがやるんだ?」

「ワタシでいい。お前は精々逃げてみるがいいさ。……もっとも逃げられるなら、な」



 そう不敵に笑う魔人の王デュマーナ。それに呼応するようにレイドは笑みを浮かべ答えた。


「いいだろう。ならルールを追加しろ」

「――なんですって?」

「お前が鬼の場合、永遠に追いかけっこをする羽目になるからな。だから制限時間を設けよう。日が落ちた時に鬼だった方の負け。それでどうだ?」

「いいわ。なら通常の鬼ごっこのルールに加えて、日没まで鬼だった方の負け。湖から身体の一部を完全に離した方の負け。攻撃魔法を使った方の負け。これでどうよ?」

「ああ。では始めようか」



 そうして裸の2人が湖の上に立っている。魔法で足場を作り、足首だけ湖に浸かっている状態だ。お互いが共に高い実力者であると判断し、少しでも水中で身体を動きを阻害されるとそれが負けにつながると考えた結果であった。


「石を投げる。それが湖に落ちた時が開始の合図だぞ。いいな?」

「構わんぞ」

「――せっかくだ罰ゲームを決めない?」


 デュマーナの提案にレイドは訝しむように視線を送る。


「罰ゲームだって?」

「そう。罰ゲームだ! その方が盛り上がるだろ? ワタシが勝った場合、アンタの事を教えてもらうぞ!」

「俺のこと――?」

「そうだ! はっきり言おう。ワタシはお前に興味がある! 人間はすべて屑だと思っていたがお前は違うようだしな。貴様の事を話してもらうぞ!」

「……それは構わんがお前が負けたら?」

「大丈夫だ。ワタシは負けない!」



 そういうとデュマーナは大きな胸を揺らしながら偉そうに手を腰に当て笑っている。それを見て小さくレイドはため息をついた。



「はいはい。なら俺が勝ったらこっちの質問に答えて貰おうか。それでいいな」

「ああ。いいぞ。じゃあ始めようか!」


 そういって石を宙に投げた。高く上がった石が重力に従い徐々に落ち始めていく。互いに視線を外さない。そのままポチャっという音と共に石が湖に沈んだ。その瞬間――。



 激しい水柱と共にデュマーナがレイドに迫る。ただ真っ直ぐに右手を伸ばしレイドに触れそうになった時、その手は宙を舞った。すぐに避けた方へ視線を移し追尾する。この湖から身体の一部を離してはならないというルールにより、2人の足は常に湖に接触している。そのため、どれだけ目にも映らない程の速度で移動しようとも必ず痕跡が残る。そう移動した際に必ず水が割れるのだ。ここに何も知らぬ第三者がいれば驚愕するだろう。誰もいない湖がまるで意思をもって暴れているかのように水しぶきが発生し水柱が立っているのだ。


 2人の速度は拮抗している。ルールによる縛りのためどうしても移動範囲が限られる。デュマーナの猛攻を躱しながらレイドは考える。



(思ったより身体が鈍っている。ここまで身体を動かす事もなかったからな。これはちょうどいいリハビリになるか。とはいえ――)


 

 想像以上にこの魔人は強い。そうレイドは確信する。これが今の魔人のレベルであるならば、確かに人間側が苦戦するのもうなずけるものだと。


 だが同時にデュマーナも考える。


(ワタシの攻撃をここまで躱す人間がいるなんて信じられん。勇者でないのが不思議なくらいだ!)



 魔王であるデュマーナには勇者の力に敏感だ。対峙すれば相手が勇者かどうか、その程度はすぐに分かる。だからこそ目の前の人間が勇者ではないという事はすぐにわかったのだが、それがどうしても信じられなかった。縦横無尽に湖の上を動き回り、相手の人間に触れようと何度も手を、足を使い攻撃を加えている。だというのに未だ掠りもしない。


 もう少し速く攻撃をする事は出来る。だがそれはデュマーナにとって確実に相手を殺すための速度を意味する。既に凡人であれば風圧だけで殺せるレベルでありながらも、まだデュマーナはギリギリの所で手加減をしていた。本来人間をすべて殲滅するという魔人にとっての唯一至上命題がありながらも無意識レベルでデュマーナは目の前の男を殺すという事を戸惑っている。だが同時に思う。仮に全力を出した所で果たして目の前の男を殺せるのだろうかとも。



「ははッ!」


 笑みが零れる。間違いない、この男は魔王直属部隊であるトラディシオンの誰よりも強い。魔王の力を得て、孤高の強さになってしまった自分と唯一対等な存在なのではないかと。



「はははははッ! 面白いな!!」

「なんだ? 随分余裕じゃないか」

「もちろんだ! ワタシはまだ半分も力を出していないのだからな!」

「ほう。それは良いことを聞いた。もう半分も出しているなんてな。俺はまだ20%も出してないぜ」

「ぬ! 間違えた。ワタシもまだ10%も出しておらぬわ!!」



 デュマーナは拳を振うとその風圧で湖の外側にある木々が吹き飛ぶ。土が捲れ、木々が宙を舞い、岩は砕けた。それを躱すレイドは内心で少し焦って来ていた。



(俺が鈍っているという事を考慮してもだ。この女、最初より動きがよくなってないか?)


 そう。徐々にではあるが、デュマーナの攻撃が段々鋭くなっている。余裕をもって躱していた攻撃が今や拳1個分まで迫っており、さらに数手先に進むと指1本分まで縮まっているのだ。

 レイドの懸念は当たっている。そもそもデュマーナは魔王の力に覚醒して間もなく、まだその力を完全に使いこなせていない。さらに隔絶した力を手に入れたデュマーナには圧倒的に戦闘経験が足りていなかった。魔人同士の戦闘訓練でも常に最低レベルまでの手加減が要求され、決して本気で戦う事も出来ず、人類侵攻が始まってもデュマーナが戦った人間は全て脆く、やはり同様に本気で戦う事もなく現在に至っている。

 そこに来てこのだ。戦闘行為ではないにせよ、ここまで本気に近い形で誰かと争うという事がまったく未経験であったデュマーナにとってレイドとのこの鬼ごっこはまさに今まで生きてきた中でもっとも価値のある訓練になってしまっていた。



 徐々に追い詰められていく。反撃もできず、防御することもできず、また水から離れてはいけないという制約によりレイドは逃げ場を失いつつあった。既に湖の端まで追い詰められている。ここまで力が拮抗していると、どうしても触れただけで勝ちになる鬼の方が幾分か有利になってしまう。流石にそろそろ拙いと考え始めた時、デュマーナの動きが止まった。距離としてはレイドから僅か数m。2人の力量であればあってないような距離であることは間違いない。警戒しつつ様子を見ているとデュマーナは本当に楽しそうな笑みを浮かべた。



「お前は本当に面白い! まずは名前を聞かせて貰おうか!」

「そういうのは俺に触れたらしてくれ」

「ああ。そうだな。ワタシもただ無意味に攻撃してたわけじゃない。ちょっと面白い手を考えてな? ここまで追い詰めたんだ」

「面白い手だって……?」

「ああ。ちょっとした搦め手だ。いくぞッ!」



 デュマーナの足が一歩前に出る。湖に波紋が広がる。何をしてくるのかレイドはその一挙手一投足を見逃すまいと注意し驚愕した。



 水が爆発した。その際に感じた魔力も同時に感知している。デュマーナは魔力を放出したのだ。そう湖に向かって。デュマーナの足から放出された膨大な魔力により湖は巨大な水柱を立てながら爆発する。それを困惑した様子でレイドは見ていた。



(何をした。俺に対する攻撃ではないからルールに反してはいない? 目くらましか? いや魔力探知を使えばなんの意味もない。事実未だ目の前にいるあの女は――)



「何!?」



 レイドは思わず声を上げた。信じられないものを見た。それはデュマーナがという事だ。飛んだ時点で湖から離れている。それではルール違反のはずだ。等々痺れでも切らしたのか? そう考えるレイドだったが、空中に未だ飛び散っている無数の水滴を視界に収めながら違う事に気付いた。デュマーナはルールを破っていない。今空気中に飛び散っている無数の水滴はだ。ここまで空気中に散布されていれば仮に空中へ上がったとしても湖から離れたと一概に言えないのかもしれない。なぜならどこへ動いても必ず湖の水が身体に当たっていることにはなるからだ。とはいえ仮にここでレイドがルール違反を言えば通る可能性が高い。それくらいグレーな作戦だ。だがレイドはそれをしなかった。そんな事をして勝っても楽しくないし、何よりデュマーナのこの奇策を見抜いた時に純粋にと思ってしまったからだ。だからこそレイドが相手に送る言葉とは賛辞であった。



「やるじゃないか!」



 レイドに迫ってくるデュマーナ。もはや狂気的とも呼べるほどの笑みを浮かべながら突進してくるデュマーナの攻撃を躱し左へ移動する。だが、空中で足場を作り先ほどより速いデュマーナの攻撃を首を振って躱す。そのまま間髪入れず迫ってくる蹴りを身体を上半身を逸らせる形で躱すがそこで完全に体勢を崩してしまっていた。



「もらったぁぁぁッ!!!」



 先ほど躱した足が気づけば天に向かって伸びている。片足を綺麗に上へ開脚させ真っ直ぐ伸びた足がそのままレイドへ迫る。周囲一帯が揺れた。その風圧でさらに湖が弾け、まるで津波のような速度で湖の水が周囲へ流れていく。



「ワタシの勝ちだな!」



 デュマーナのかかと落としを片腕で防いでいるレイド。僅かに痺れる腕に一瞬視線を向け、そして満面の笑みを浮かべているデュマーナに向けて言った。



「ああ。悔しいが君の勝ちだ」




 

 

 

 


 

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