第122話 悪憑きー天ー2

「天にまします我らの父よ。願わくは御名みなをあがめさせたまえ。御国みくにを来たらせたまえ」


 ダリウス・ハーディは聖書を片手に主の祈りを子供たちに聞かせていた。ガレス孤児院の院長となり身寄りのない子供たちにどうか神の導きがある事を祈り、日課としていつも行っている。とはいえ子供は子供だ。ダリウスの祈りの意味は分からないだろう。大人しく座り両手を合わせる子も居れば、隣に座った子供どうしでちょっかいをだしながら遊んでいる子供もいる。いつも祈りの時間になると祈っているフリをして寝ている子供だっている。


 もっともそれでよいとダリウスは考えている。嘗て真摯なカトリック神父であった頃は主の祈りをしっかりと聞かない子供を見れば不快に見ていただろう。だが、孤児院で子供らと接する中で子供とは本来自由であるべきなのだと考えるようになった。

 孤児院に来る子供はみな闇を抱えている。両親を亡くした者、両親に不要とされた者、両親から逃げ出した者、様々だ。それゆえ事情で両親の元から離れた子供たちは常に怯えて生活している。また同じ思いをするのではないかと。


「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」


 この孤児院とて決して裕福とはいいがたい。国からの支援と、この孤児院を巣立った子供たちの仕送りで何とか経営出来ているというのが実態だ。だからこそ食事も最低限しか与える事ができないし、遊びの道具を買い与える事も難しい。だがそんな大変な中でも子供たちの自由気ままな姿を見るだけでダリウスは幸せな気持ちになれた。


「限りなくなんじのものなればなり。アーメン」

「「アーメンッ!!!」」


 いつも最後の言葉は子供らが皆口をそろえて言いたがる。何が面白いのかいまいち不明だが子供らが笑顔で「アーメン」という姿はいつみても心が和むものだとダリウスは考えていた。柔軟な心を持った子供たちにどんな形でも主の教えに興味を持って貰えるのならそれでいいだろうと、以前なら考えもしなかったことを最近では考えるようにもなっている。



「さて、食事の準備をしようか。今日手伝ってくれる人はいるかい?」

「はい!」

「私もやる!!」

「よし。じゃ二人とも手を洗って調理場に行こうか。――っとなんだ」


 ズボンのポケットに入れていたスマホが震えている。ダリウスは珍しいと思った。普段彼に電話してくる人間は限られている。孤児院の院長になってからは特にだ。以前の付き合いも減り、最近は孤児院の運営関係でしか連絡はない。時間は既に夜だ。こんな時間に誰なのか。スマホの画面を見てダリウスは少し驚き頬を緩ませた。そこにはかつてこの孤児院で育ち今は無事に巣立った人物の名前だったからだ。


「やあ。ノーマン。久しいね。今は日本だったかな」


 もう十数年程前に日本人の女性に一目ぼれをして日本で生活すること選んだことは今も記憶に新しい。時差を考えると今日本は明るいのだろうか。


『――――』

「ん、どうしたノーマン?」


 スピーカーから僅かな息遣いしか聞こえてこない。どこか不穏な気配を感じ出来るだけスマホのスピーカーのボリュームを最大まで上げる。


「すまない、うまく聞こえない。どうしたんだノーマン」

『……父さん。た、助けてくれ……娘が、ノエルが悪魔に憑りつかれたみたいだ』

「ッ! 待て何を言っているんだ?」


 スマホのスピーカーから涙声で話すノーマンの声を聴いてダリウスは混乱した。だがそれは無理もないだろう。なんせ相手は日本で幸せに生活していると思っていた相手だったのだ。ダリウスはスマホを耳に当てたまま、視線を動かし目的の人物を探す。



「マーカス! 悪いが後を頼めないか。ノーマンから緊急の電話が入ったんだ」

「了解だよ、父さん」


 その場で一番年長だったマーカスに後を頼みダリウスは自室へと急いだ。その間もスマホから聞こえるノーマンの声に必死に耳を傾けた。


『――今日気分転換に娘のノエルと外に出かけたんだ。ちょっとしたピクニック気分だった。以前麗奈と一緒にいった見晴らしのいい公園があったからそこまで車で出かけたんだ。その帰りだ、少し疲れもあったから車から離れた場所にあった自動販売機でコーヒーを買ったんだ。ノエルはその時車の中で待っていてもらった。念のため車に鍵を閉めて5分ほど歩いた場所にある自動販売機まで行ったんだ。そこでコーヒーを飲んでまた車に戻った。そのほんの数分の間だ。――車へ戻ったら既にノエルの様子がおかしくなっていた』


 途中つっかえながらも必死にそこまでノーマンは話してくれた。自室に着いたダリウスは念のためスマホをスピーカーモードに変更しノーマンが話す内容を聞きながらメモを取った。


「それで、どんな様子だ」

『ああ。何か妙なことをずっと同じ事を口走っていた』

「なんて言っていたんだ?」

『……分からない。かなり早口で言っていて……多分日本語だと思う。三文字くらいの言葉で、”は”なんとかってずっと言っていて、しばらくしたら”てん”なんとかって言ってた気がする。――ああくそ! 動転してたから何て言っていたのか全然分からなかったんだ!』


 その言葉にダリウスは小さくため息をついた。日本に住んでから十数年経つ。流石に日常会話は問題ないのだろうが、ノーマンからすれば異国なのだ。気が急いている状態だったのだろうしその辺りは仕方ない。


「それで今はどういう状態なんだ?」

『――ずっとへらへら笑っているよ。もう娘の顔つきじゃない。笑って、笑いながら――うぇッ!』

「おい! ノーマン!」


 電話越しだがノーマンが嗚咽している事が分かる。普通の状態ではないのは間違いないだろう。だが、電話越しでは流石に限界がある。


「今どこなんだ!?」

『はぁはぁ。もう家についたよ。これからこの子を部屋に運ぶ』

「よし、なら一度ビデオ通話してくれ。ノエルの様子がみたい」

『あ、ああ』



 そうしてスマホの画面をみると暗転したのちにノーマンの顔が映った。本当に久しぶりに見る顔だ。出来ればそんな酷い顔ではなく笑顔のノーマンと再会したいとダリウスは考えた。だが悠長にしている時間はないだろう。涙や鼻水を流しているノーマンがゆっくり震える手でスマホの画面を傾け始めた。どこかの車庫のようだ。そのままゆっくり回転し車が映り始めた。そして助手席が映りそこに座るノエルを見て――ダリウスは絶句した。




 ノエルの姿を最後に見たのは何時だっただろうか。確か彼女が10歳頃の時に一度直接会ったことがある。だから今の彼女の異常性がよくわかった。



 瞳孔が大きく広がり、目じりが大きく下がっている。だが口元は常に笑みを浮かべ涎を流しながら周囲を見ていた。身体が常に揺れて動いており泳ぐ視線がスマホに向けられ目があった。



 以前あった端麗な顔立ちをしたノエルとは似ても似つかない。だらしなく笑みを浮かべまるで別人のようなノエルを見てダリウスは言葉を失った。



『父さん、これはやっぱり悪魔に憑かれているんだろうか』

「――ノーマン、これは恐らく悪魔憑きじゃない。確かに私は若い頃に悪魔祓いをしていたことがある。だが悪魔憑きというのは、その地に住む悪霊が悪魔の名を騙り、力を得ようとしているだけだ。そこは日本だろう? すくなくとも日本に悪魔憑きが出たという話を聞いた事がない。だからそれは――悪魔とは違う別のだ」



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