第86話 虚空に願いを8

Side ■■■■


 もうかつての記憶も薄れている。数多の戦場を駆け抜け、その首を取り、少しでも自分の住む場所を、人々を、家族を守ろう必死だった。そうだ、儂は守りたかったのだ。




 ある日、儂が御上から褒美をもらい、自宅に戻った時、出迎えたのは赤い炎と、血だらけの家内と娘の姿であった。周囲の人間から、夜間に賊が現れ儂の家を襲っていたと言っていた。


『敗戦した武者達が賊となり、敵の将の首を取った儂への復讐のため襲ってきたのだ』

『我らも自分の家族を守るために、■■の家を守ることが出来なんだ。許せ』

『そもそも、お主があそこまであ奴らを追い詰めなければよかったのだ』

『分不相応に御上に褒美を貰うなど、罰が当たったのではないか』

『然り。それに巻き込まれた我らこそが被害者よ』

『これに懲りたら、今後、余計な夢を望まぬことだ』


 儂が守りたかったものはまやかしだった。すべて偽物だ。所詮同じ飯を食おうとも、互いに背中を合わせ、命を預けた味方であったとしても、自分の出世のため平気で裏切る獣共だ。あの炎の中、自ら燃える事も厭わず中へ入り見たものは、首を切られ、身体中が切り刻まれ、原形を留めていない家族の姿だった。涙を流し、膝を付きその亡骸をゆっくりと抱きかかえた。


 賊なものか。



 周囲に馬の蹄の後はなかった。では徒歩でわざわざ山奥のこの村を襲いに来たのか? ありえぬ。周囲の家に争った形跡がない。血痕も我が家にしか存在していなかった。そうだ。これは賊に見せかけたあの者たちの報復なのだ。農民から武者となり、出世した儂を妬んでの行動。




 許すまじ。





 ――あの獣共。





 許しまじ。






 そして――自分の家族を守れなかったこの儂自身も。





 決して許せるものか。






「安心してくれ、一人にはさせぬ。必ず共に行こうぞ。それまで今しばらく待ってくれ」



 あの炎の風景は今も儂の心の中で燻り続けている。儂の家族を殺した獣共をすべて皆殺しにし、自分の家で、家族の元で、儂は自分の首を切り、その生涯を閉じた。






 そこからは朧気であった。儂の意識は周囲を漂い、今も自害した場所から離れられずにいた。幾重もの夜が訪れ、森が色を変え、そこを訪れる人々の服装も変わってきていた。儂は儂という不可思議な意識に疑問を持ちながらも、ただその場にあり続けた。すでにこの世に未練はない。なのになぜ、こうもこの場に留まっているのか自分自身でも理解が出来なかった。




 段々と意識が薄れ、ようやく、儂のこの意識も消えるのだと。そう考えた時だ。




「――アアア」


 何か聞こえた。これは――悲鳴だ。



「いやぁああああアアアアアア!!!!」


 

 段々と朧気だった意識が覚醒していく。儂はその悲鳴の元へ移動しそこで見たのだ。紫色に腫れ、歪に破壊された身体。そしてその横で儂と同じように朧げな存在となり泣き叫んでいる幼子。

 それを見て察した。この幼子は何者かの手によって殺害されたのだ。近くにある死体を見れば一目瞭然だ。儂が生きていた時代でも幼子相手にここまでの狼藉を行った者なぞ、いなかった。一体どこの誰がこれほどの鬼の所業を行ったのか。


「助けてぇぇえ! 痛いよぉ! 苦しいよぉ! なんで、なんで私が」


 動けなかった。傍によって抱きしめてやりたかった。あの幼子がどうしても重なるのだ。


「なんで、なんでなんでなの。――あの人、なんであんなひどい事するの?」


 大きく口を開け、天に向かってひたすら叫んでいる。そこには誰もいない。なぜ誰もあの子を助けなかったのだ。


「助けて、誰か。あの人を、私にひどい事をしたあの人に……」


 長くこの意識だけの存在であったが、今ほど自分の身体がない事を悔やんだことはない。助けてやりたい。あの娘を助けてやりたい。いや、助けなければならない。泣き顔が次第に、儂の幼かった娘と重なる。



『ここだッ! 儂はここだ! 幼子よ、儂が今助けてやる!!!』


 儂の声は届かない。存在しない手を、足を動かし、なんとか少しでも前へ、前へ!



「もう痛いのは嫌だよ……誰かァ……鳴が虐められないようにあの人を……」

『ああああああッ!!!!』


 喉があったら既に枯れていただろう。それほどの声を上げ、手を伸ばす。あの子には誰もいないのだ。助ける者も、手を指し伸ばす者も、誰もいない。



「誰か、鳴を虐める怖い人を……殺してェ」


 動かなかった儂の身体が動く、少しずつ、前に動き始めた。一歩、一歩、少しずつ前へ。あの何もない虚空に向かってただ泣き叫び、僅かな願いを求めるあの子を助けるためにッ!!


『儂が助けようぞ。儂が――』



 ようやく、届いた。ゆっくりと膝を曲げ、潰さぬように、やさしく抱きしめた。その瞬間、この娘の感情が、思いが、まるで炎のように燃え上がり、身体が無かったはずの自身の肉体に力が入る。


『お主の恐れる者も、害を加える者も、すべて屠り、必ず守ってやる』






 刃を振るう。首を、腕を、腹を狙った斬撃はすべて空を切り、返す刃がすべて儂の身体の力を少しずつ奪っていく。誓ったのだ。今度こそ守ると! だというのに、目の前の男があまりにも遠い。儂の剣はすべて躱され、それを余裕をもった状態で反撃してくる。これほどの力を持った武士は生前でも見たことがない。――だがッ! どのような者であろうとも必ず屠ると!





「――我こそは梅海の陸門道行むつかどみちゆきッ! この娘の守護者也!! この戦負けるわけにはいかんのだッ!」

「……なんだ、喋れるようになったのか。でも、いいね。そういうの嫌いじゃないよ。俺は勇実礼土。元勇者だ。道行、君の思いは分かるが、俺も譲るつもりはない」


 我が身体はあの娘のために。我が刃はあの娘を脅かす全てを排除するために。

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