後編

「ゲンちゃん」

 「ん?」


 横で佇んでいた笠縫氏が私を見た。


 「見つけたよ。あの景色を見て、僕は今何をすべきか、分かったような気がするんだ」

 「本当かい?」

 「マジっすか」

 「うん」


 迷いはなかった。自分がすべき事は何か、はっきりと見えた。


 「僕はね、勇気がなかったんだよ。会社をクビになって家族に逃げられて、妻ともまともに話し合うことなく全てを諦めてしまった。仕事も、何故こうなったか考えることもなかった。自分の状況を見つめるのが怖かったんだろうね、殻に閉じこもってしまった。この旅もそうで、ひょっとしたら僕は、現実から逃げ出したかったのかもしれない」


 二人はただじっと聞いている。


 「でも、やってみて本当によかった。自分でも自分が変わった、今も変わっていくのがよく分かるんだよ。最初僕らは、何かを見つけるんだ、とか言ってたけど、本当に見つかったと思う」


 笠縫氏が大きく頷いた。


 「今ははっきりと分かるよ。何をすべきか、誰に会うべきか」

 「そうだシゲちゃん。今からでも遅くねえよ。会いに行こう、今から」

 「今から?」

 「そうだよ。今からだよ。逃げてたんだろ?ずっと。だったら今気付いた時に取り戻しに行かなくちゃいけねえよ」

 「でも、今まで結構走っているし、それにこれは僕だけの旅じゃないんだから・・・」

 「なに、構やしねえよ。旅を始めて結構経つけど、寄り道ばっかりの旅路だ。移動距離で言やあ、ここからまっすぐぶっ飛ばせばそんなにかかりゃしないさ。それによ、決心した時に行っちまった方がいいんだよ」

 「俺もついて行きますよ。せっかく仲間になったんスから」


 後部座席から、青年が張りきった顔を覗かせた。


 「悪いなあ」

 「いいってことよ。な」

 「ええ。出来ることがあったら、お手伝いしますよ」


 目頭が熱くなった。これは私だけの問題なのに、二人はそんなことを全く気にせず私の為に、自分のことのように真剣になってくれているのだ。


 「ありがとう」


 私は深呼吸した。


 「会社に、一発でかいのをお見舞いしてやらなくちゃ」

 「はい?」


 二人の裏がった声が重なった。


 「でかいのって・・・、シゲちゃん、家族を、嫁さんと娘さんを、迎えに行くんじゃないのかい?」

 「家族?何を言ってるんだい。逃げられちゃったもんはしょうがないさ。それより僕を捨てた会社をぎゃふんといわせないと気が済まないじゃないか」

 「ダメっスよ・・・そりゃ」


 青年が遠慮がちに呟く。


 「何言ってるんだい。殻を破るには思いきったことやらなくちゃダメなんだよ。あの風景を見て、決心したんだ。ヤァヤァヤァ、これから一緒に殴りに行こうか、ってね」


 そうだ。それが答えだ。

 会社の経営が傾いたからと言って、今まで忠実に仕えてきた社員を突然きるなんてことが許されてなるものか。上が生き残る為に下を切る。日本人の美徳はどうした。

 なぜ私はこの理不尽に黙っていたのだろう。なぜ黙って全てを受け入れてしまったのだろう。なぜこのような横暴を見逃していたのだろう。


 「シゲちゃん、正気かい?」


 もちろんだ。いたって正気である。ただ、多少興奮状態にあることは認めよう。アクセルが踏みこまれた車はエンジンを噴かせながら速度を上げて行く。

 私の心は晴れやかだった。今まで考えることすら憚られてきたようなことを決心したのだ。まだ実行してはいないが、私にとっては大きな一歩だ。

 青年は説得の方法を考えているのか後部座席で静かにしている。笠縫氏は何やら考え込んでいるようで時折うーん、という声を上げる。彼らは、決して私の決心に賛成しているわけではないし、なんとか説得しようとしているのだが、それは私のことを思ってのことだ。彼らの気持ちが嬉しかった。

 夜通し車を走らせた。二人が座席にもたれかかって寝ている間も、睡魔が私を襲うことはなかった。二人が風邪をひくといけないので車の幌は閉じてあったが、小さく開けた窓からは夏の朝の涼しい風が入り込んできては私の体を撫でて行く。うっすらと明けだした空は、どこか懐かしい明るさだった。

 私がようやく眠気を感じたのは昼頃だった。緩やかな坂道を登り切り、平原を眺めることが出来る丘までやって来た時のことだ。私たちはそこに車をとめ、休憩がてら座って景色を眺めている間に私は眠ってしまったのだ。

 目が覚めたのは星も見え始めた頃で、私は助手席に乗っていた。運転している笠縫氏が言うには、私は自分で乗り込んだらしいのだが、まったく覚えていない。そう言うと、彼は「シゲちゃん、寝てない寝てないって言ってたじゃないか」と笑いだした。その時の様子が面白かったのか、後部座席の青年も肩をゆすって笑っている。


 「シゲちゃん。もう一回、ゆっくり考えてみねえか」


 笠縫氏が諭すように話しだしたのは夜になってからだった。最近続く快晴はこの夜も健在で、私と笠縫氏は夜景を眺めながら土手に腰をおろしていた。来る途中もここにこうして肩を並べていた土手だ。青年は後部座席で眠っている。


 「ゲンちゃん、ここから見える景色も変わったなあ」

 「何映画みたいなこと言ってんだよ、景色は変わってねえさ」

 「いや、僕には変わったさ。この景色だけじゃない。全部変った」


 笠縫氏は肩をすくめて大きく息を吐いた。


 「すげえもんだな。あのお兄ちゃんの言った“風景”ってのは」


 私たちは明かりもそう多くない夜景を、ただ黙って眺めていた。その明かりの中には様々な生活がある。ある人はテレビを見ているだろうし、またある人は子供をあやしているだろう。一つ一つの明かりの中に人生があり、歴史がある。そしてその明かりを丘の上から黙って眺めている私にも歴史があり、今その歴史に新たな一ページを加えようとしているのだ。


 「シゲちゃん。俺はてっきりシゲちゃんが家族を迎えに行くんだと思ったよ。あの風景見て、今までの人生を振り返って、リストラや家族に逃げられちまった事も全部人生の一部だと受け止めて、その上で家族を迎えに行って全部やり直したいのかと思ったし、そうあって欲しい。なあシゲちゃん、今一番大切なことって、会社に一発でかいのかますことかなあ。違うんじゃねえか?」

 「僕はね、今までストレスとか苦しさとか、そういうものを全部自分の中に収めて、それで解決したつもりになっていたんだ。でも、やっぱり限界はある。水を入れ続けても溢れないコップはないのと同じだよ。僕の心も一緒で、もうずっと前から溢れそうだったんだ。そんな時、僕は自分の妄想の中で復讐していたんだよ。嫌な上司や客に対してね」

 「そんなんじゃ、何も解決しねえよ」

 「そうなんだ。でも、それしか出来なかった。それ以上何かをするっていうのは、想像することすら怖かったんだ。あの風景を見た時、最初に家族のことが頭に浮かんだ。会いに行きたいと思った。でもね、何も変わっていない自分が会いに行っていいものか」

 「変ったさ。会った頃に比べたら、顔つきも随分と違うぜ」

 「ありがとう。でもね、何かひっかかるものがあるんだ。一番自分の変えないといけない部分。臆病な自分を消してからじゃないといけないような気がしたんだよ」

 「・・・・・・」

 「若い頃から妄想の中だけで抗ってきた自分を変えたいんだ。現実の世界で行動できる人間にね。だから、今会社に一発でかいのやらかすってのは大事なことだと思うんだ。そう思った途端、それしかなくなったんだよ」


 笠縫氏はじっと夜景に視線を注いでいる。しかし、彼はきっと明かりを眺めていはいない。


 「・・・・・。決心は、固えのかい?」


 私はゆっくりと首を縦に振った。どんな言葉よりも、そうすることが一番説得力があると思った。笠縫氏は大きく伸びをして息を吐きだした。


 「人生って面白いよなあ。ホント、何があるか分かりゃしねえ。今見てる街にもいろんな人生があってよ、いろんなこと考えてる。でも、まさか俺たちが丘の上で会社襲撃しようなんて考えてること、想像もしてねえだろうなあ、誰も」


 静かな街だ。明かりは点いているが、道に車はそれほど通っていない。閑静なベッドタウンのようだ。明かりが、一つ、また一つと静かに消えていく。


 「こうして見ると、小せえ明かりだな、家もよ。ガキの頃、近所の川にホタルがいたんだよ。そんなに多くはねえけど、おふくろに連れられてよく見に行ったもんだ。おふくろと一緒に川辺に座ってじーっと眺めるんだよ。すげえ綺麗なんだけどさ、しばらくするとぽつぽつ消えていくんだよ。こんな感じで、一つずつ。でもよ、それがまた綺麗なんだよな。消えて行く儚さに美しさを見いだせるってのは、日本人の感性なんだろうなあ。ホタルと街の明かりじゃ全然違うんだけどよ、なんか思いだしちまったよ」


 一つずつ消えゆく街の灯とは対照的に、星が空で明るく輝いていた。



 青年が奇妙な声をあげて目を覚ました。耳から空気が漏れたのかと思ったが、どうやら彼なりのあくびらしかった。後部座席で丸まって寝ていたせいか、腰を押さえながら何度も伸びをしている。


 「よおお兄ちゃん、起きたてで申し訳ないんだがな、早速出発だ」


 ういーという奇妙な音を発し、青年は親指を立てた。了解というサインらしい。


 「ところでお兄ちゃんよ。お主、パソコンが得意と申しておったな?」


 青年は頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら、振り向いた笠縫氏の顔を見つめた。


 「え、ええ。めちゃ得意ってわけじゃないスけど」

 「俺はそっち方面からっきしなんだけどな、俺の知人の親戚が得意でよ、昔大学のパソコンに忍び込んだとかで騒ぎ起こしたらしいんだよ。それって素人でも簡単にできることなのか?」

 「ええ。それほど難しいことじゃないッスよ。大学ってなんだかんだでガード甘いスからね。やろうと思えば割と簡単なんスよ。自慢できることじゃないけど、俺も昔やったことありますし」

 「ほう・・・・・・」

 「だいぶ昔スよ」


 青年は言い訳をする少年のような顔で弁解した。


 「今日び何でもパソコンで管理してんだろ?怖えよなあ、そういうの。会社とか大丈夫なのかなあ」

 「民間は気を使ってますよ。だから難しいんじゃないかなあ、大学とかより」

 「お兄ちゃん、しようと思ったことは?」

 「ないッスよ」

 「しようと思えば出来るのか?」

 「まあ知識はあるんで、できるかもってレベルですけど」


 私と笠縫氏は顔を見合わせた。


 「彼、使えますな」

 「ええ、使えますな」


 青年の頭の上に浮かぶクエスチョンマークが大きくなった気がする。


 「何なんスか?」


 笠縫氏は体を大きくよじって青年の方を向いた。


 「俺たち今からな、会社を襲撃するんだよ。で、兄ちゃんのその知識が必要ってわけさ」


 クエスチョンマークがびっくりマークになると同時に、青年の目が大きく見開かれた。ついでかどうかは知らないが、口は可愛いおちょぼ口だ。


 「じゃ、そういうことだから。ゲンちゃん、頼もしい仲間が増えたなあ」

 「よかったよかった」


 私と笠縫氏が顔を見合わせて喜んでいると、青年が言った。


 「よくないっスよ。犯罪じゃないっスか」


 ようやく状況を理解したようだ。


 「だいたい、何で笠縫さんもそっち側いっちゃってんスか。止めないとダメッスよ」

 「心意気ってやつさ」


 青年は何か言おうとしたが、やがてシートに深く腰かけた。


 「あんまり悪いことやっちゃダメですよ」


 諦めたようだ。


 「破壊工作とかしたいわけじゃないんだ。暴力的なことは僕だって望んでいないからね。ちょっとしたいたずらだよ」

 「それでもハッキングは犯罪スよ」

 「横文字とか分かんねえよ」


 笠縫氏は、開き直ってそんなことをさらりと言った。


 「ま、犯罪かそうじゃないかは置いておいて、とりあえず目的地に向かおうよ」

 「おう。行きと違って目的地があるから運転自体は楽だな」


 しっくりしない顔の青年がぼそりと「いやいやいや」と言っているのが聞こえた。それにしても、一昨日まで見ず知らずだった中年相手にここまで真剣になれるこの青年は、どこまでも気のいい男である。

日も傾き、私が勤めていた会社までもうすぐという頃、青年が口を開いた。


 「で、どんなことするつもりなんスか」

 「うん。会社に行ってね、上の人間に物申してやりたいんだ」

 「それって、俺は必要ないんじゃないスか?」

 「いやいや、いてもらわないと困る。あの会社は社員証がない限り、たとえ元社員でも入ることが出来ないからね。人ならともかく、コンピューターで認証しているから、顔見せて頼むよってわけにもいかないんだ。だから君にはその認証システムをなんとかしてもらいたい。それさえやってくれればあとは僕とシゲちゃんでなんとかするから」

 「さすがにそれは無理ッスよ」

 「そうなのかい?」

 「ええ。素人がネットうろついていてどこかに侵入しちゃうことは確かにあるんスけど、それはまた違うシステムの話で、会社の認証システムなんてのは簡単に入り込めるもんじゃないですよ。それに」

 「それに?」


 笠縫氏が振り返る。


 「やっぱ犯罪だし、俺は止めるべきだと思います」


 見よ、このまっすぐな瞳を。時代が必要とする若者ではなかろうかとさえ思えてくる、まっすぐな瞳である。しかし、時すでに遅し。私たちの車は会社の前に停車した。太陽も沈みきり、柔らかい風が吹いている。私がドアを開けて車を降りると、二人も慌てて降りた。


 「シゲさん・・・・・・」


 青年が最後の説得を試みようとした、その時。

 ピリリリリリ。

 私の携帯電話が鳴り響いた。電話の画面を見ると、いくらかけても出ることのなかった妻からだった。一瞬世界が止まったかのように感じた。着信音が鳴り響く中、私は二人の顔をゆっくりと眺めた。二人とも、嬉しいような安心したような表情を浮かべて私に視線を送り返す。


 「電話、出ねえのかい?」


 笠縫氏が静かに呟いた。


 「・・・・・・出るとも」


 鳴りやむ気配のない携帯電話を持ったまま、私は少し離れた所に行き、通話ボタンを押した。ゆっくりと耳に当てる。


 「もしもし?」


 妻ではなく、娘の由紀だった。数か月間聞かなかった声は、母親と同じになっていた。


 「どこにいるの?」


 心配しているような様子はなく、まるで遊園地ではぐれた友達にでも聞くような言いぐさだった。そのことが少なからずショックだったが、私も極力平常心を装って話した。


 「今、会社の前なんだよ」

 「へ?会社?何で?」


 何でと言われても、一発でかいのお見舞いしにきた、とは言えるはずもない。


 「うん、忘れ物を、ね」

 「今更?」

 「うん、今更」

 「あのね、母さんが話したいって」


 私は思わず空を仰ぎ見た。しかし、都会の空では星が見えない。


 「代わるね」

 「うん、頼むよ」


 数秒間の沈黙の後、長年聞いてきた妻の声が聞こえた。


 「もしもし」


 久しぶりに聞く妻の声は、奇妙な張りがあった。


 「あのねー、私、商店街の福引でハワイ旅行を当てたのよ。いいでしょう」


 電話を切ってやろうかと思った。


 「それでね、どうかしら。この旅行を機にやり直すっていうの。そういうのって素敵じゃない?お父さんが良ければの話だけど」


 星が見えない都会の空が、何本も立っている電柱の明りと共にじわりと歪んだような気がした。何か言おうとしたが、私の口からは微かな空気が漏れただけだった。


 「あの時ね、お父さん、すぐに電話をくれるものだと思ったの。最初は電話があったんだけど、しばらくすると意地になっちゃったのね、全然かけてくれなくなった」


 私はかけるべき言葉を探したが、どこを探しても見つからなかった。単語だけが心の奥深くに沈み込んでしまったように、言葉にならない感情が静かに私を包み込むようだった。

 本当のことを言うと、アルバイト生活が始まってからは妻のことを忘れている時間も多かったが、そればかりは言えない。


 「それで私も意地になって、悪循環ね。それで、取り返しがつかなくなる前に、私から折れようと思ったの。お父さんはリストラされちゃったけど、私はそれを支えようともしなかったし。夫婦なのにね」

 「いや、素早い判断だったよ。感心した」


 その後の会話は、夫婦だけの秘密だ。


 電話を切った私は、二人の方を振り返った。二人とも、にっこりと笑っている。


 「言ったろ?何が起こるか分からねえし、何が起こってもそう悪くないって」


 私は何度か深く息をして、ようやく言葉を口にすることができた。


 「この数カ月、あまりにも多くのことが起こりすぎたよ。失うことなんか想像したことのないものを失って、出来ると思ったことのないことをして、考えることも憚られたことを実行しようとして、二度と戻らないと思ったものが戻って来た。何がなんだか、本当に僕の人生なのかどうかも、分からなくなった」

 「いい、人生じゃないスか。素敵です、そういうの」


 青年は優しい笑顔で言った。

 私たちは再び車に乗り込んだ。オープンカーの幌を全開にして、風を全身に浴びながら車を走らせた。どこまでも静かで、どこまでも穏やかな夜だった。



 その後、青年はそのまま北に向かって出発した。進路は変わってしまったが、元々行先を決めない気ままな旅だ。このまま北海道に行ってみようということになったらしい。

 笠縫氏は残りの休みをスティーヴ・ウェインの小説を読んで過ごすことにしたらしい。私は彼の為に座り心地のいいソファと「ある坂道の夏」をプレゼントした。彼らしくもなく遠慮して受け取ろうとしなかったが、これは私からの感謝の気持ちなのだということを理解してくれ、結局は照れながら受け取ってくれた。今日から一週間、俺は引きこもりだと宣言し、オープンカーに乗せたソファと共に自宅に帰って行った。

 あの日、妻を実家に迎えに行った私は、夜遅くまで旅のことを家族に語って聞かせた。妻は話半分に聞いていたようだが、娘の由紀は、少しは父を見直したようで、目を輝かせながら聞いていた。置いていかれた豚のぬいぐるみも、少しは地位が向上したようだった。久しぶりの一家団欒は、旅の思い出の一部となりそうだ。

 残りの休みの過ごし方はすでに決まっている。妻が福引で当てたハワイ旅行だ。すでに家族の絆は取り戻せたと思うが、この旅行でそれを強固なものにできればいい。そんな期待に胸を膨らませている。

 三日後、私がスーツケースに荷物を詰めていると携帯電話が鳴った。笠縫氏からだった。


 「よう」

 「やあ」

 「三日前に会ったばかりなのに、なんか随分久しぶりのような気がするな」

 「そうだね。数週間の旅だったけど、もっと長かったような気がするし」

 「色々と変わった、ってことだろうな」


 それほど濃厚な時間だったのだ。


 「ところでシゲちゃん、俺、最近思うんだけどよ」

 「なんだい」

 「最後の日に見た夜景、あれが忘れられなくてなあ。なんかこう、突き動かされるものがあったんだよな」

 「それって・・・・・」

 「そうかもしれねえ。あん時は気付かなかったけど、ひょっとしてあの夜景が俺にとっての風景だったのかもしれねえと思ってさ。いや、あれだけじゃねえ。シゲちゃんに貰った小説と合わさって、俺の中で一つの風景になったのかもしれねえ。で、色々考えちまったわけさ。今までの人生とか、これからの人生とか」


 私はなんだか嬉しくなった。旅を途中で止めさせてしまったという罪悪感が少なからずあったからだ。もしあの夜景が彼にとっての風景なのだとしたら・・・・・・。


 「それで、よし、俺も!ってなったんだよ。それでな」


 微かな沈黙が流れた。彼の感じたものが分かるから、私の中にもささやかな高揚感が生まれた。だからこそ、彼の決心は、彼の口から聞きたかった。私はじっと耳をすませた。


 「俺、今からあの二代目馬鹿社長にぎゃふんと言わせてやるのさ」


 私は電話を切り、すぐさま外に飛び出した。

 あの夜と同じ、柔らかい風が吹いていた。



 終わり

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ブリンスミード・ストリート ゆずき君 @kaylayuzuki0531

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