ma lune  ―マ リュン

鈴木 クレオパトラ

Une 月の詩


 

 恐らく本当の親には売られたのだ、と思う。

 育てるのが面倒になったからなのか。

 それとも初めから子供など欲しくなかったのだろうか。

 もしかしたら生きていくために金が必要だったのかもしれない。

 いや。どれも違うだろう。きっと私の人形のように動かない体を見るのが苦痛で仕方なかったのだ。誰だって、生まれつき全身不随の子供なんか何処かへ売り飛ばしてしまいたいと思うはずだ。


 あの施設でも私は厄介者だった。

 バシ!

 突然顔に雷のような衝撃が走る。

 一瞬の間を置いて訪れる、鈍いズキズキとした感覚。

 ――痛いよう、やめてよう。

 ある時、「汚ーい。近寄りたくもないわ。」

 「やっぱり気味が悪いわね、これ。」

 ―― そんなこと言わないで。私は皆とお友達になりたいの。

 叫びたくても声が出ない。逃げ出したくても体が動かない。

 まるで人形のように、言われるがまま、されるがままにするしかなかった。

 そんな自分が嫌だった。死にたい。死にたい。でも死ねない。体が動かないから。もう嫌。こんな人生。


                 ――first――

 

 ――バタン

 遠くで重い音が聞こえる。

 れーなが帰ってきた。

 少女は直ぐにわかった。

 ――ドン、ドン、ドン、ドン

 いつもとは違う、階段を上る足音。何故だろう。

 ――ドン、ドン、ドン、ガチャ。

 少女は目を疑った。

 ああ、髪が・・・。

 部屋に入るや否や、少女の視界を横切って麗奈は制服のまま自室のベッドに倒れこんだ。

 無視?いや、まるで少女のことが見えないかのようだ。

 しかし少女は気にも留めず、目の端に映る麗奈の心を思う。


 ―― 麗奈が生まれる少し前、少女はこの家へやってきた。初めての一人部屋を満喫していた少女であったが、半月ほどで麗奈と少女の二人部屋となった。

 まだ赤ん坊の麗奈を前にして、一体少女は何を思ったのだろうか。

 長い時の中、少女はベビーベッドで眠る麗奈をただ見つめていた。


 「ねぇ、おままごとして遊ぼー?」

 「あなたがママで、あたしがパパなのー!」

 突然の呼びかけに、少女は戸惑った。

 この家の中でも、人生においても、人間として扱われたのは生まれて初めてだったからだ。

 二人は部屋でよく遊んだ。

 一緒に絵本を読むこともあった。

 一緒に眠った。

 麗奈が体の動かない少女を連れ出して、一緒にお出掛けしたこともあった。。

 そして時折麗奈が少女に見せる屈託のない太陽のような笑顔は、少女の傷ついた心を癒していった。

 少女は麗奈のことを妹の様に想い、そして愛した。

 いつまでも麗奈と一緒にいたいと願うようになり、願いはいつしか生きる希望へと変わっていった。

 幸せで美しい時間は咲き誇る花のよう。あっという間に流れ、そして散ってゆく。

 時が経つにつれ、麗奈の関心は徐々に、外の世界へ向いてゆき、少女と過ごす時間は減っていったが、少女の麗奈への愛は変わることはなかった。

 セーラー服を着て外へ出かけるようになる頃、麗奈は美しい女性へと成長していた。少女と遊ぶことも、話すこともとうに無くなっていたが、少女は麗奈を見守るだけで幸せだった。

 長いまつ毛にクリっとした大きな瞳、スラっとした鼻筋に薄紅色の唇。そして長い長い後ろ髪。

 この絹のように美しい髪を、麗奈はいつも大事そうに櫛でとかすのを見ているのが、少女の何よりの幸せだった。――

 

 少女がずっと見てきた、麗奈の端正な顔立ちによく似合う、腰にかかるかというほどの長い、長い、そして絹のように美しい、後ろ髪。

 今日家を出るまであったはずの、彼女の命の次に大切だったはずものはすでになく、無残にも後頭部の所で一直線に切れ揃えられた痕があるのみだ。

 顔をベッドに押し付けた麗奈の、

 「グッ、グッ、グッ」

 という、声を押し殺した泣き声が、二人だけの世界に響き渡る。

 少女には麗奈の気持ちがよく理解できた。

 悲しいよね。苦しいよね。

 でも大丈夫。私がいるよ。

 今までもずっとそうだったように、私がいつまでもれーなのそばにいるよ。

 れーなに声をかけてあげたい。

 れーなを抱きしめてあげたい。

 れーなを支えてあげたい。

 れーなの心の拠り所になってあげたい。

 れーな、れーな、れーな、れーな、れーな。

 しかし少女は動くことはできない。話すこともできない。

 目の端に映る傷ついた彼女を思ってやることしか。

 れーな、れーな、れーな、れーな!

 その太陽のように輝く笑顔で、

 あなたは私の心を救ってくれた。

 私の太陽。

 ようやく見つけた私の太陽。

 ああ、神様どうかお願いです。

 私にチカラを下さい。

 私の沈んだ太陽をまた光り輝かせるチカラを。

 どんな事でもします。どんな代償でも払います。

 だからどうか、どうかお願いします。私にチカラを下さい。

 








 ―― カタン。

 必然だったのかもしれない。

 それとも、何か見えないチカラが働いたのかもしれない。

 小さな、小さな、小さな音だった。ともすれば、聞き逃してしまいそうな小さな音。

 悲しみと絶望で泣き続けてグチャグチャになった顔をよろよろと持ち上げ、麗奈は音のした方を見た。

 

 

 



 

 



 

 

 

 

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