従者の実行、ニコラスの変化


 ☆★☆


「オリンド。茶をよこせ」

「はいはい~」


 そして、翌日。オリンドにとって絶好のチャンスが訪れた。この日、リーザはニコラスの執務室を訪れることになっている。それは、オリンドが「ニコラス様が呼んでおります」とリーザに告げたからだ。もちろん、実際は呼んでなどいない。しかし、ここまでしないとこの男は行動しないだろう。そう思って、オリンドは怒られるのを承知の上で行動を起こしたのだ。


(……上手く行くのでしょうかねぇ)


 心の中でそう唱えて、オリンドはニコラスのお茶の準備を始めた。もちろん、その中には先日魔女に調合してもらった例の薬を入れていく。確か、五滴ほど垂れせばちょうどいいと言っていたはずだ。一滴、二滴……と垂らしてちょうど五滴。その後、お茶をかき混ぜていく。色が変だと、何かを入れたとバレてしまうからだ。そのため、色が消えるほど混ぜて……ニコラスの前に持っていった。


「どうぞ」


 オリンドはそう言ってニコラスの目の前にカップを置く。ニコラスはオリンドになんだかんだ言っても全面の信頼を寄せている。それが、オリンドにとって好都合だった。カップを手に取って、紅茶を飲んでいくニコラスを見つめながら、オリンドは息をのむ。……本当に、上手く行くのだろうか? そう思いながらニコラスを見守っていると、ニコラスは「……茶葉、変えたか?」などと訊いてくる。少し、味に変化があったのかもしれない。そう思って、オリンドは咄嗟に「疲れているんじゃないですか?」と言って誤魔化した。疲れていると味覚も変わる。そう言うことにしておいたのだ。


(さて、リーザ様がいらっしゃるまであと五分といったところでしょうかねぇ)


 時計を見ながら、オリンドはそんなことを心の中で零す。それからのオリンドは、内心ひやひやものだった。リーザはきっと来てくれるだろう。しかし、その後はどうだろうか? 自分が怒られるのは確実だろう。まぁ、それはこの際良い。今までだって、オリンドはニコラスと度々言い争いをしては解雇を告げられている。それでも、三日もすれば互いに冷静になって仲直り出来るのだ。……さすがに、今回ばかりは三日で収まらないかもしれないが。その場合はうまく立ち回るに限る。


 時計の針が動くたびに、オリンドの心臓の音が大きくなる気がした。冷や汗が出てきてしまい、ニコラスに怪訝な視線を向けられたほどだ。


「……オリンド。調子が悪いのか?」

「いいえ、そう言うことではありませんよ~。ちょっと昨日、嫌なことがありましね……。そのことを、ちょっと思い出しただけですよ」

「……有休をとったのに、嫌なことがあったのか?」

「えぇ、そんなときもありますってば」


 にっこりと笑ったふりをして、オリンドがそう言えばニコラスは納得してくれたのか「そうか」などと言って仕事に戻った。そして、それから数分後。ニコラスの執務室の扉が、ゆっくりとノックされる。


「……誰も呼んでいないはずなんだがな」

「急用かもしれませんよ?」

「まぁ、そうか。……いいぞ、入れ」


 オリンドの言葉に納得したのか、渋々ニコラスはそう扉に向かって声をかけた。すると、「失礼いたします」と言ってリーザが入ってきた。後ろにはいつものように気配を消したデジデリアが控えている。リーザは不思議そうな表情を浮かべながら、ニコラスに近づいてくる。


「……おい、オリンド。お前、何かしただろう?」

「え~、知りませんけれど?」

「クソっ、何を企んでいるんだ……」


 ニコラスはそう言ってオリンドに向かって吐き捨てると、リーザに帰ってもらおうと口を開こうとした。しかし、その瞬間心臓がドキッとひときわ大きな音を立てた気がした。その際に、少し苦しくなってしまい胸を押さえてしまう。


(なん、だ……?)


 そう思って顔をしかめれば、リーザが駆け寄ってきてくれる。リーザは「大丈夫ですか……?」などと言いながら、ニコラスの顔を覗きこんでくれた。その綺麗な金髪と、真っ赤な瞳がニコラスの視界に入る。さらには、その表情が本当に心配してくれているようで……嬉しく、なってしまった。


(……リーザは、いつ見ても綺麗だな……)


 心の中でそう唱えて、ニコラスはただ素っ気なく「大丈夫だ」と言おうとしたのだが――……。


「……リーザは、綺麗だな」

「……え?」


 口に出すつもりなど全くなかった言葉が、口から出てしまう。その後、数秒の沈黙。先に我に返ったのはリーザだったようで。リーザは「え? え?」と混乱しながら顔を真っ赤にしていた。……その表情が美しさを醸し出しており、ニコラスの心を乱してくる。


「あ、あの、旦那様……?」

「……本当のこと、だ。いつも思っていた。……リーザが、綺麗だと」


 そして、リーザの言葉に帰したのは口に出すつもりなどなかった言葉だった。その言葉を聞いたリーザの顔がさらに真っ赤になり……顔を覆ってしまう。リーザの心臓はバクバクと大きな音を立てており、リーザはただ顔を覆いながら「失礼いたしますっ!」なんて叫び、ニコラスの執務室を飛び出すことしか出来なかった。その後、デジデリアがリーザの後を慌てて追いかけていた。


 リーザが立ち去った後……ニコラスは茫然としていた。今、自分は何と言っただろうか? そう思っていると……隣から、大きな笑い声が聞こえてきた。その声を聞いて、ニコラスの直感が告げた。――元凶はコイツだ、と。


「……オリンド!」


 だからこそ、そう叫んでいた。しかし、オリンドは超えた風もなくただ笑い続けるのだった。

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