侍女の怒り


「本当に、あの人はいったい何なのですか!?」

「まぁまぁ、デジデリア。あの人はただの女性嫌いよ」


 リーザがドローレンス伯爵家の屋敷で私室として与えられている部屋に戻ると、リーザの専属侍女であるデジデリアがそんな声を上げた。デジデリアの言う「あの人」とはもちろんニコラスのことである。デジデリアはニコラスのことが初めから気に食わなかった。大切な主であるリーザに、あろうことか「契約結婚」なんて持ちかけてきたのだ。それは、きっとリーザの人の好さに付け込んだもの。そう、デジデリアは決めつけていた。


「といいますか、よくリーザ様はあんなお方と結婚しましたね」

「……まぁ、お金の為だから。怒るよりもお茶がしたいわ、私」

「承知いたしました。リーザ様」


 さりげなくデジデリアの怒りを鎮めながら、リーザは一人考えていた。元より、リーザは結婚に愛やら恋などは求めていない。求めているのは「お金」と「財力」。ただそれだけである。そのため、この「契約結婚」はとても都合のいいものだった。いずれは跡取りを求められるだろうが、その際はニコラスが適当に誤魔化すだろう。リーザはそんなことを思っていた。


「リーザ様。どうぞ」

「あぁ、ありがとう」


 デジデリアが持ってきた紅茶に手を付けながら、リーザは考える。リーザからすれば、ニコラスへの印象はそこまで悪いものではない。むしろ、援助を申し出てくれた「良い人」の部類に入るのだ。確かに、対価として結婚を求められたものの、それでも構わなかった。今まで一緒に過ごしてきて暴言を吐かれたこともなければ、暴力を振るわれたこともない。だったら、この際良いだろう。むしろ、何も対価を求められない方が不気味だ。リーザはそう言う考えだった。


「……リーザ様は、あの人の何がよかったのですか?」

「決まっているじゃない。お金と財力」

「でしょうね」


 悪びれる様子もなく本当のことを言うリーザに、デジデリアの怒りが消えていく。リーザはニコラスに愛など求めていない。求めているのは……実家への援助なのだろう。そう、リーザは昔からこういう人間だった。自分が犠牲になっても、周りが幸せになれるのならば。そう言う考えの持ち主だからこそ、デジデリアはリーザという少女に一生仕えることを選んだのだ。


 リーザは悪意にとことん疎い。そのため、デジデリアはリーザを守りたい。そうとも、思っていた。


(しかし、あの人の視線は何処かがおかしいのよね……)


 紅茶を飲むリーザを見つめながら、デジデリアはニコラスのことを考える。ニコラスはリーザのことを「契約妻」と言っていたが、その視線にはどことなく甘さがこもっているようにも見える。あれではまるで……リーザのことを好いているようにも見えてしまう。態度や言動からして、そんなことはないはずなのに。


「ねぇ、デジデリア。私、今度フルーツゼリーが食べたいわ。料理人にリクエストしておいてほしいのだけれど……」

「あ、承知いたしました。フルーツゼリーですね」

「えぇ、お願いね」


 リーザの言葉にそれだけを返して、デジデリアはまた気に食わないニコラスのことを考える。気に食わない輩に脳内を支配されていると思うと、また怒りがこみあげてくるが、リーザのことを思うとその怒りを露わにすることは憚られた。リーザは怒っていないのだ。だったら、自分が怒るのも筋違いというものだろう。


(……リーザ様)


 心の中でリーザの名を唱えながら、デジデリアはただ静かに紅茶を飲むリーザを見つめていた。その仕草は綺麗だが、高位貴族の令嬢に比べれば拙いものである。しかし、それもまたリーザの魅力の一つなのだ。拙くて、危なっかしくて。でも、お人好しで。そんなリーザに魅了される人間は少なくはない。もちろん、デジデリアもその一人だ。しかも、この短期間でドローレンス伯爵家の使用人たちの中にもすでにリーザに魅了されている人物が出てきているというのだから、驚きである。


「……旦那様に、一度プレゼントか何かを手渡した方が良いのかしら……? そちらの方が、義理のご両親への印象もよさそうよね?」

「リーザ様。プレゼントでしたら、刺繍などをしてはいかがでしょうか? ハンカチなどでしたら持ち運べますし、『表向きでは』円満夫婦に見えるかと」

「そうね。そうしましょう。じゃあ、デジデリア。刺繍セットの準備もしておいて頂戴」

「承知いたしました」


 リーザの言葉にそう返して、デジデリアはリーザのことをまた見つめる。リーザは真剣にハンカチに何を刺繍するか考えているようだ。そんなリーザの真剣な横顔がとても美しくて……デジデリアは周りに自慢したくなった。このお方が、自らが仕える主なのだと。


「う~ん、色は……」


 すっかり自分の世界に入り込んでしまったリーザを見つめながら、デジデリアは軽くテーブルの上の片づけを始めた。リーザの数少ない欠点。その一つが、片づけが苦手ということなのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る