第一章

契約結婚生活


「リーザ。今日は、その、何か変わったことはあったか?」

「いいえ、旦那様。いつも通りとても楽しく過ごさせていただきましたわ」


 リーザとニコラスが「永遠の愛」という名の契約をしてから一ヶ月が経った。現在リーザはドローレンス伯爵家の屋敷に住んでおり、名前もリーザ・ドローレンスとなった。しかし、二人の関係はあくまでも「契約妻」と「契約夫」でしかない。……そう、リーザは思っている。そのため、夫婦として関わることもなければ会話も最低限だ。だが、リーザはそれでよかった。


 共に食事をするのもほぼ夕食時のみ。夕食時に、ニコラスは必ず「何か変わったことはあったか?」と問いかけてくる。それに対して、リーザが「いつも通りとても楽しく過ごさせていただきました」と答えるのが日課だった。リーザにとってそれは嘘偽りない言葉だ。使用人たちに親切にしてもらいながら、日々楽しくかりそめの奥様業をする。それは、退屈を紛らわせてくれた。それに、何よりもお金の心配をしなくてもいいことが、幸せだった。


「旦那様は、何かお変わりはありましたか? 本日は騎士としてのお仕事でしたのよね?」

「あ、あぁ、別にこちらも変わりはない」


 そして、その後いつものようにリーザはニコラスの近況についてを尋ねる。ニコラスは伯爵としての仕事をする傍ら、騎士としても仕事をしている。それは、身体を動かすことが大好きなニコラスが、唯一打ち込めること。ニコラスは二十三歳になるまで、騎士としての職を続けていいと両親から許可を得ているらしい。……まぁ、リーザはその情報をニコラス本人からではなく、執事から聞いたのだが。


「そうですか。でしたら、良かったですわ」


 リーザはそう言って、ニコラスに微笑みかける。その際に、ニコラスが微妙に視線を逸らすのにもリーザは慣れてしまった。どうやら、このニコラスという青年は女性慣れをしていないらしい。そう言うこともあり、リーザに対して照れてしまっているのだろう。そう、リーザは判断していた。実際は、違うのだが。


(リーザ。今日もすごく綺麗だ。その笑みを見ているだけで、一日の疲れも吹っ飛んでしまう。……これを、伝えることが出来たらいいのだがな)


 それが、ニコラスの本音だった。リーザはニコラスのことを女性慣れしていないと思っている。確かに、それは真実だ。しかし、ニコラスにとってその真実以上の理由が、リーザの微笑みが魅力的だから。その所為で、視線を逸らしてしまう。ニコラスにとってリーザは、特別な存在なのだ。


「……旦那様?」

「あ、あぁ、いや、何でもない。少しボーっとしていた」

「そうですの。お疲れでしたら、ゆっくりとお休みくださいな。疲れは翌日に持ち越すものではありませんわ」


 そう言って、リーザはスープを口に運ぶ。その際に、リーザの金色のさらさらとした髪が揺れ、ニコラスの視線を惹きつけてしまう。リーザは綺麗な金色の髪と、ルビー色の瞳を持つ正真正銘の美少女だ。誰に訊いても、上の上の容姿だと答えるだろう。それに、リーザは飾らないさっぱりとした性格をしている。そのため、付き合っていて疲労感がない。それが、ニコラスを惹きつける要因だった。


「……リーザ、その、だな」


 時には、甘い言葉や褒め言葉でもかけたほうがいいのだろうか? そう思って、ニコラスは口を動かし何かを言おうとする。だが、ここ一ヶ月どれだけそんな言葉をかけようと思っても、かけられなかった。甘い言葉を吐こうとすれば、身体が拒絶反応を起こしてしまう。褒め言葉も同様だ。きっと、キャラじゃないとか思っているのだろう。


「旦那様? どうかなさいましたか?」


 ニコラスの変化に、リーザはそんな風に声をかけてくる。その表情と声音は、心底不思議だと思っているようで、ニコラスは口を閉じてしまった。あぁ、今回もダメだったか。そう思いながら、ニコラスは「何でもない。仕事が残っているから失礼する」とだけ告げ、食堂を出て行くことしか出来なかった。


「本当に、仕事熱心なお方」


 食堂を出る際に、リーザのそんなつぶやきが耳に入った。確かに、ニコラスは仕事が比較的好きだし熱心な方だとは思う。しかし、最近の仕事はリーザから逃げるという意味も含まれていた。あのままリーザを見つめていたら……自分の心がおかしくなるのではないだろうか。そう、思ってしまうのだ。


「ニコラス様~。いい加減、本当にそろそろ素直になりましょうよ~」

「無理だ。リーザはとてつもなく綺麗だ。俺みたいな輩が手にできる存在ではない……」

「ニコラス様って、本当に馬鹿ですよね」


 ニコラスが執務室に入ると、専属従者であるオリンドがそう声をかけてくる。オリンドは笑いながら声をかけていることもあり、からかいの意味が含まれていることは一目瞭然だった。それは、ニコラス自身にもわかっている。だが、怒ることはしない。オリンドは、ニコラスにとって数少ない気を許せる存在だからだ。


「リーザ様のお心が離れてしまったら、ニコラス様の所為ですからね」

「それは、分かっている……つもり、だ」

「つもりって……きちんと理解してくださいな」


 そう言って、オリンドはニコラスの肩を軽くたたく。それに、ニコラスはただ「はぁ」とため息をつくことしか出来なかった。


 ニコラスにとって、リーザは初恋相手だ。そのため……うまく関わる方法が分からない。その結果、「契約結婚」なんてものまで持ち出してしまった。我ながら不器用すぎるとは思うのだが、どうしようもできないのだ。ニコラスは兄弟とは違い、器用な方ではない。それは、幼少期から嫌というほど理解していた。


(リーザ、好きだ。リーザ、綺麗だ。……なんて、素直に言えたらいいのにな)


 仕事の資料に目を通しながら、そんな言葉を予行練習する。でも……この言葉を言える日は、一生来ないだろう。そんなことを考えながら、ニコラスはこの日も夜が更けるまで仕事に精を出すのだった。

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