042 魔界~新たなる時代へ
帝国が仕掛けた魔界との戦争は、あっという間に終結した。
否、そもそも戦争と言えるほどの壮大さが、果たしてあったのかどうかと、冷静になって振り返ってみても、微妙としか言えない。
何せ結果が結果だ。
相手が難癖付けて乗り込んできた挙句、勝手に暴走して自滅した――それ以外に表現のしようがない形で終わった。
(……結局、帝国の勇者と聖女は一体、何がしたかったというのだ?)
ジェロームからしてみれば、それ以外に確かめたいことはない。
しかし今は、それを問いただすことをするつもりもない。いくらガタガタな形とはいえ、これが立派な戦争であるのは確か。ならば魔界の王として、それをしっかりと集結させる必要がある。
それを改めて胸に刻みなおしつつ、彼は堂々と宣言する。
「此度の戦争は、魔界の勝利に終わった。しかし我は、無益な殺生を好まない。重傷を負った勇者と聖女は、我らのほうで最低限の治療を施した上で、彼らの帰るべき帝国へと送り返した!」
魔王の演説に皆が注目する。それは魔法具を通して、人間界の帝国にも――そして世界全てに、しっかりと流れていたのだった。
これもジェローム自らが申し出たこと。
彼の想いを聞いた側近のリンが、意気揚々と動いたという裏話もあるが、それはまた別の話である。
「戦争は何も良いものを生み出さない。ただ血で血を流し合うだけだ。そんな空しい出来事を、これから先も繰り返させてはいけない――そんな想いを乗せて、我は帝国の皇帝に申し出た! 戦争禁止条約を!」
ざわっ、というどよめきがジェロームの耳にも入る。それくらいたくさんの人々が衝撃を受けているのだと察した。
しかしこれも想定の範囲内であり、むしろニヤリと笑いたいほどであった。
「先日、皇帝と会談を行い、条約を結ぶことを受け入れてくれた。これからは魔界の良さを人間界に伝え、そして人間界の良さを魔界に取り入れ、より良い世の中を築き上げていくことをここに誓う。同時にもう一つ――」
ジェロームは一息つき、そして力強く目を見開きながら言い放つ。
「我は決して過去のような魔王にはならない! それを改めてここに宣言する!」
バッ、と手の平をかざしながら放たれた魔王の言葉が、全世界に広がった。
そして――
『わあああああぁぁぁぁーーーーーっ!!』
魔界の人々からの大歓声が、地響きを起こすほどの勢いで鳴り出した。
世界各地の新聞社も、一斉に動き出す。
新たなる若き魔王が戦争に勝利し、敵に対する慈悲を与え、世界平和への架け橋を作り出した。
皇帝が条約を受け入れたことも、大きな後押しとなった。
今回の戦争の結果が、魔王と皇帝の株を上げたことは間違いない。これからの同行が楽しみだと、そう見なす者も増えていった。
しかし――全てが賛成の方向で見ていたわけではない。
中には不満を抱く者もいる。こればかりは致し方ないと言えるだろう。人間界と魔界が争っていたほうが、何かと都合がいい者たちも少なくない。
それを覚悟した上でジェロームは宣言したのだ。
「――これで粗方、事を済ませることはできたようだな」
執務室に戻ったジェロームは、大きなため息をとともにソファーへ座る。彼の後について入ってきたリンが、その姿を見て苦笑を浮かべた。
「魔王様。流石にお行儀が悪いですよ?」
「今は誰もいないのだ。これぐらいはいいだろう」
「全く……」
視線を向けることなく言い放つジェロームだったが、リンはそれ以上何かを言うこともなかった。
本当に仕方がない人――そんな愛おしそうな気持ちが滲み出ている。
まるで、だらしのない弟ないし兄に、世話を焼く姉ないし妹のようだった。
「人間界の皇帝と立てた計画は……無事に成功したと言えそうか?」
ジェロームの問いかけに、リンはニッコリと笑う。
「えぇ。概ねそう言えると思いますよ」
そう――魔界の王と人間界の皇帝もまた、裏で通じていたのだった。
魔界と人間界における関係性の改善、そして勇者や聖女という昔ながらの英雄に頼るのを止めた上で、新たなる時代へと繋げてゆく。
そのためには起爆剤が必要だった。
戦争が行われたのも、勇者と聖女が暴走する可能性を見越してのこと。
影を使い、二人を監視していた皇帝からすれば、事を起こした際に起こるであろう出来事を想定するのは、そう難しいことではなかった。
ジェロームでさえ容易に想像することができた。
概ね計画どおりの結果に繋げられた――それが先日行われた、皇帝と魔王の会談にて話し合われた、確認内容である。
「あっちの皇帝も、何かと人が悪いものだな……いや、だからこそ大国のトップを務めていられるということか」
「魔王様も頑張っておられますよ」
「随分と言い切れるな」
「ずっとお傍にいる私が言うのですから、間違いありません」
「そうか……」
目を閉じながら頷くジェロームの表情は、とても穏やかであった。昔から気心の知れている人物の言葉が、彼の気持ちをほぐしているのだ。
深い意味はない。
互いが互いに自然とそう感じているだけだ。
それが二人にとって、常日頃からかけがえのないものであることを、当の二人は気づいていない。
「ローマンの裏切りを聞いた時は、正直驚いたがな」
「向こうの聖女と勇者の暴走に巻き込まれて、未だ意識不明の状態だそうですね」
「あぁ。まぁ、ボロボロの状態なのは、聖女と勇者も同じだかな」
「一応こちらでも、最低限の治療は施したんですけどね」
「あの暴走が、両軍ともに戦意を大幅に喪失させていたのが助かったよ」
「そういう意味では、勇者と聖女、そしてローマンのおかげと、言えなくもないような気も少しはしてきますけど」
「皮肉なものだな。まぁ、それこそ色々な意味で、運が良かったということだろう」
「確かに」
これはリンも深く思っていることであり、思わず笑みを零してしまう。
「何があったのかは知りませんが、あちらの聖女からは、聖なる魔力を完全に感じられなくなったそうですよ」
「うむ。それが、皇帝側の宣言にも繋がるようだがな」
会談の議事録に視線を落としながら、ジェロームは言う。
「戦争禁止条約を結ぶとともに、勇者と聖女の存在も当代で最後にする――人間界もかなり大きな騒ぎになっていることだろう」
「長い歴史を大きく変えることになるわけですからね。もっともそれは、魔界も同じことではありますが」
「そうだな」
ジェロームはゆっくりと立ち上がり、光が差し込む窓から、明るい外の景色に視線を向ける。
「人間界と手を取り合う――それがようやく実現する時が来た。これからもやるべきことは山ほどある。だから、リン」
「はい」
彼女の返事が放たれると同時に、ジェロームは振り返り、力強い視線とともに小さな笑みを見せる。
「更に忙しい日々となることだろう。最後まで私に付いて来てもらうぞ?」
「望むところですよ、魔王様――いえ、ジェローム」
側近として、そして昔からの幼なじみとしての意味も兼ね備えながら、リンも力強く頷くのだった。
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