029 帝国~有頂天ミッシェル



 時は、数時間前まで遡る――――


 人間界の帝国は、今日も平穏な時間が流れていた。

 大きな城下町であるが故に、多少の騒ぎが起こるのは致し方ない。それでも人々の賑やかな笑い声が飛び交っているのは、平和な証拠だと言えるだろう。

 問題が起きているかどうかは、さして重要ではない。

 大事なのは『見えていないかどうか』だ。

 人々がそれに気づかなければ平和と見なされる。どんなに大きくても、それは決して例外ではないし、今も昔も変わらない。

 そして恐らく、これからも――


「聖なる魔力よ――癒しの波動となりて、我が願いに応えたまえ!」


 威勢のいい掛け声とともに、広げられたミッシェルの両手から、青白いオーラが解き放たれる。

 魔物によって傷付いた何匹もの家畜が、次々と元気を取り戻してゆく。

 それを見た農家の人々も、沈んでいた表情に光が宿る。

 誰もが思った。ミッシェルこそ、待ち望んでいた新たなる聖女に違いないと。勇者と並んで、この帝国に光をもたらす存在であると。

 そしてそれは、当の本人もしっかりと感じていることであった。


(むふふー♪ まさに絶好調ってヤツね)


 魔力の発動を終えた動作を装い、ミッシェルは右腕に装着した腕輪を見る。

 これを手に入れてからは、彼女の生活は一変していた。

 当たり前のように聞こえていた陰口はパタリと止み、貴族令嬢や跡取り息子などが次々と媚びるようになった。争うような勢いでお茶会やパーティーの招待状が舞い込んでおり、返事をどうすればいいか困ってしまうほどである。

 その時の彼女の表情は、蕩けるほどのご機嫌な笑みを浮かべていた。

 これだよ。これこそが望んだ王都での生活だよ――そんな力いっぱいのガッツポーズを無意識に取ったほどである。


「ありがとうございます、聖女様」

「本当になんとお礼を申し上げればいいのやら。これで私たちの生活に、再び光が差し込みます」

「新たなる聖女様の素晴らしさを、後世にも伝えていきますぞ」

「どうかセオドリック様と、末永くお幸せに」


 そんな感じで、村の老人たちから拝むように言われたミッシェルは――


「大切な家畜が救われたのは、皆さまの優しい気持ちがあってこそですよ。わたしはお手伝いをしたまでです」


 と、優しい笑顔を『貼り付けた上』でそう言った。老人たちはこぞって感想の涙を流しており、誰一人として彼女の裏部分を知ることはない。

 本当は――


(ふふんっ、そーよ。もっとわたしのことを崇めなさい、田舎の平民さん♪)


 腰に手を当ててふんぞり返り、完全に見下したように笑っていた。


(世界でただ一人、聖なる魔力を扱える、このわ・た・しのおかげなのよ? むしろ頭を下げるだけじゃ足りないくらいなのに、優しい聖女であるわたしは、そこまで言わないでおいてあげてるんだから、ホント感謝してほしいわ)


 もはや調子に乗っているを通り越して、それが当たり前だという気持ちを根強く抱いてしまっていた。

 聖女に選ばれて変わった――というのも少し違う。

 これこそが、ミッシェルの本来の個性だと言ったほうが正しいかもしれない。

 聖女という大きな立場を得たことで、その個性が爆発し、決して良いとは言えない方向へと突っ走っているのが、今の状況である。


(聖なる魔力も完璧に使えるようになった。流石はわたしってところね。聖女に選ばれるだけのことはあるわ!)


 崇めてくる老人たちに笑みを浮かべ、風に揺れる髪の毛を右手で掻き上げる。

 その際にキラリと、腕輪が太陽の光に照らされた。

 全てはその腕輪の力によるもの。要するに借り物の力に過ぎないのだが、彼女はそれを考えもしていない。

 むしろ――


(それだけこの腕輪との相性がいいってことよね? わたしの聖なる魔力がこの腕輪の力を引き出した……つまりわたしは、この腕輪を使えるようにした功労者、ということになるわよね? わたしって凄過ぎないかしら? うふふふふっ♪)


 腕輪の力と自分の力を、完全に逆転させた形で考えてしまっている。

 この事実を表立って知る者はいない。

 少なくともミッシェル自身は、自分だけの秘密として胸にしまい込んでいる。だから周りは『奇跡が起きて聖女になった』と、認識を改めている形だ。

 故に誰も指摘できない。

 それを続けることによって発生する、大きなリスクについて。


「――聖女様! 向こうにも病気になっている家畜がいるそうです」

「えぇ、分かりました。すぐに向かいます」


 護衛騎士の言葉に笑みを浮かべて答え、ミッシェルは村人の案内で、とある家畜小屋へと向かった。

 そこには何匹もの牛が、苦しそうに横たわっている。


(まーた随分とたくさんいるわね。まぁ、わたしにかかれば、楽勝だけど♪)


 既に成功した気持ちでいるミッシェルは、得意げな笑みを浮かべていた。そして自信満々に両手を広げる。


「始めますので、下がっていてください」


 その力強い言葉は、村人たちからすれば救いそのものであった。聖女様ならば、牛たちを元気にさせてくれるに違いないと。

 彼女の自身に満ち溢れた姿が、途轍もなく輝いて見えた。

 それを本人も感じたのか、より笑みが深まり、自然と気合いも入る。

 目いっぱい広げた両手に聖なる魔力の粒子が集まり、やがてそれは強い光へと変えていく。

 しかし――


「聖なる魔力よ――癒しの波動となりて、我が願いにこた、え……っ!」


 突如、異変が起こった。ミッシェルは頭の中が真っ白になった。

 その正体は自分では分からなかった。魔力の流れが、急激にメチャクチャに入り乱れたことを知ることもなく、そのまま意識を失って倒れる。

 たった数秒。

 そのわずかな時間に起こった出来事を、周りの人々が把握するのに、数分という時間を要してしまった。


「せ……聖女様が倒れられたあああぁぁーーーっ!?」


 老人の一人がそう叫んだことで、静かな空気が一瞬にして動き出すのだった。


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