025 ディアドラの語り



 それは、まだディアドラが幼い頃の話――


 当時の魔王であった父親が、お忍びで人間界へ偵察へ行くことになり、ディアドラはそれに無理やり付いて行ったのだ。

 誰にも気づかれることなく荷物に紛れることに成功し、人間界についた時点でそれが発覚。そのまま連れていくしかないと周りが折れた形であった。

 幼いディアドラは、それくらいお転婆だったのだ。

 ついでに言うと好奇心旺盛で、何にでも興味を持ってしまうほどであり、周りはかなり手を焼かされた。しかし将来の魔王として、見聞を広める意味では決して悪いことでもない――そう見なされていた。


「――まぁ、お父様が娘の私に対して甘かった、というのも大きかったけどね」


 ディアドラが懐かしそうに空を仰ぐ。


「おかげで幼い頃は、私も割と影口っぽいことを言われたものよ。典型的な七光りのダメ娘になるんじゃないかってね」

「ふむ。今のお前さんを見ている限りでは、そうは思えんが……」

「だとしたら嬉しい限りね。そうならないよう、たくさん努力してきたから」

「なるほどのう」


 エンゼルもすんなり納得した。生まれつき強い者などいない。それは魔物もヒトも同じであることは、長年生きてきただけに分かる。

 こうして笑顔を見せているディアドラも、陰ではどれだけ苦労してきたのか。

 想像してもしきれない。

 そもそも魔物である彼からすれば、生きる世界そのものが根本から違う。それを考慮した上でも、やはりどう考えても理解はしきれない。


「それで、人間界へこっそり付いて行ったと言っておったが?」

「えぇ。そこで私は、お父様たちとはぐれたのよ」


 魔界とは明らかに違う、自然豊かな山奥の景色。その目に飛び込んでくる全ての光景が珍しく、早々に夢中となってしまったのが事の始まりだった。

 気がついたら周りには誰もいなかった。

 どれだけ見渡しても、どれだけ歩いても、人の影すら見えてこなかった。


 ――おとうさまー、どこー?


 今までにないくらい必死に叫んだ。しかし大好きな父の声が、返ってくることはなかった。


「あの時のことは、ホント忘れられないわ――」


 人生で初めて本気で恐怖した。このまま誰にも見つけてもらえずに、一人で知らない世界で生きていかなければならないのかと、幼い子供なりに最悪の展開を想像してしまったのだ。

 既に王族としての教育を開始していたディアドラだからこそ、変なところで冷静に頭が働いてしまった形である。

 ディアドラは泣いた。

 声に出さず、ひたすら大粒の涙を流し続けた。

 しかし歩きを止めることはなかった。

 もう何も考えられていない。立ち止まればもう二度と歩けなくなる――体がそう判断したが故の、一種の自己防衛だったのかもしれない。


「それでも限界は訪れたわ。無理もないわよね。幼い子供が山奥の道なき道を歩き続けるなんて、普通ならば不可能だもの」


 とうとう歩けなくなったディアドラは、大きな岩によじ登り、座り込んだ。

 少しでも高い場所を選んだのは、見つけてもらいやすくするため。きっと大好きな父たちが、今頃心配して探してくれていると信じていた。

 しかし来なかった。

 もう自分のことなんて忘れて、魔界へ帰ってしまったのではと思い、幼いディアドラの目に再び涙が溢れる。

 とうとう声を上げた。

 どんなに厳しい勉強や訓練でも、決して上げたことなんてなかった泣き声が、ここにきて決壊したのだった。

 少女の泣き声は、雲一つない青空に吸い込まれるばかりであった。


「正直、もうダメだと思っていたわ。でも、その時だった――」


 ――ねぇ、だいじょーぶ?


 そう呼びかけられた。ディアドラは泣き止み、涙を流しながら視線を向けると、スライムと一緒に立っている男の子がいた。


 ――ぼく、アレン。みんなでピクニックにきたんだよ。キミは?


 自分よりも少し年下に見えたその男の子は、無邪気な笑みを浮かべていた。

 それまで抱いていた絶望感が、あっという間に吹き飛んでいく。ディアドラは男の子の笑顔に、完全に引き込まれていた。


「なるほど。それがアレンとの出会いということか」

「えぇ。お腹が空いていた私に、お弁当のサンドイッチを分けてくれたの。そして迷子の私を助けるために、一緒に来ていた大人の方たちにも話して、みんなでお父様たちを探してくれたわ」

「協力してくれたということか……」


 話を聞いていたエンゼルは、一つ疑問が浮かんでいた。


「お前さんは魔族じゃろう? 人間とは確執があったのではないか?」

「確かに不思議な話よね」


 当時はそれどころではなかったため、そこまで考える余裕はなかった。しかし思い返してみれば、よく何事もなく助けてくれたものだと言える。


「困っている時はお互い様――村の人たちのその言葉に、お父様は驚いてたわ。人間界にもあのような者たちがいようとはな、ってね」

「それだけ衝撃的だったということか」

「えぇ。そして私は、声をかけてくれたアレンに、すっかり惚れてしまっていた」


 困っている人を助けただけだよ。そんな大したことしてないもん――アレンはまっすぐな笑顔で、はっきりとそう告げてきた。

 ディアドラからしてみれば、大きな衝撃そのものであった。

 彼女は魔王の娘。向けられる笑顔も、家柄や地位を求めた下心満載が基本。裏も何もない眩しさを誇る表情は、それが初めてだったのかもしれない。


「そして私は、お父様と再会できた。容赦のないゲンコツをもらって、それから優しく抱きしめてくれたわ」


 これに関しては、完全に自分が悪いからとディアドラも納得している。

 たとえ娘が相手であろうと、叱るときは全力で――そんな教育方針を徹底していた父親だからこその行動であったと。


「本当はアレンともっとお話とかしたかったのだけど、そうもいかなかった」


 しかし、このまま何も言わずに別れるのだけは、どうしても嫌だった。

 そこでディアドラはアレンに言った。


 ――いつか私が大きくなって迎えに行くから、そのときは結婚しましょう!

 ――ケッコン? うん、いいよー♪


 そんなやり取りを交わして二人は別れを告げたのだった。


「恐らく……というか間違いなく、アレンは私が言ったことの意味なんて、全く理解していなかったと思うわ」

「……じゃろうなぁ」


 エンゼルもその姿が想像できてしまい、思わず苦笑する。それはディアドラも同じくであった。


「まぁ、結果的にアレンとは夫婦になれたから、結果オーライなのだけどね」

「そうか」

「あ、ちなみにこのことは、ここだけの話でお願いするわ」

「ふむ……」


 人差し指を立ててウィンクするディアドラだったが、エンゼルは突如として悩ましそうに視線を逸らす。


「済まんがそれは、無理な相談となってしまうのう」

「えっ?」


 急にどうしたのだろうか――ディアドラがそう思った瞬間、突如として近くに一人分の気配が生まれた。

 驚きながら振り向いてみると、そこには――


「やぁ……ディアドラ」

「ア、アレンっ? な、ど、どうして……」


 完全に不意を突かれたディアドラは、目を見開いて驚く。

 なんとアレンは、島の魔物たちの特殊な力を借りて、気配を消した上でずっと今の話を聞いていたのだった。


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