イズとラピス

 馬に乗るのと腰掛けるのが、こんなに違うなんて。

 

「楽だろう?」

「ええ、まぁ……ですが、イカリオス……ではなく、イズ。あなたは歩きでいいのですか?」

「何度も言うな。それに、鍛えているからな。この程度、どうってことない。それより、任務を忘れるな」

「はい」


 私は平民婦人、イズは商会務めの夫で、商会の仕事のついでに、妻を旅行がてら連れてきたという設定になっている。まぁ、新婚旅行ということだ。

 今日は、近くの農村で一泊……ラスタリア王国の情勢をある程度調べる。

 

「あの、イズ……」

「なんだ」

「あの農村で、国の情勢なんてわかるのでしょうか?」

「わかるわけないだろう。せいぜいが噂話や愚痴がいいところだ……が、こういう農村の情報は馬鹿にできない。なぜなら、国の政策に最も影響がある国民は、農民だからな」

「……そうか! ラスタリア王国の主な産業は稲作」

「そうだ。不自然に税金が上がっていれば、戦争への資金集めといったところだろう。役人や衛兵の評判なども重要だ」

「はい。わかりました」

「まず、宿を取る。その後、商店などで買い物をしつつ情報収集だ」

「わかりました」

「酒場などで情報収集すればいいし、分かれて行動すれば効率も上がるだろうが……妻を置いて酒場に行く夫などと怪しまれたくはない。二人で行動するぞ」


 農村が見えてきた。

 私はゴクリと唾を飲み込む……ラスタリア王国は故郷なのに、農村の入口が虎の咢に見えた。 

 ラグナ帝国軍の一員として、偵察任務を行う。

 知られたらまずい。


「……ラピス」

「は、はい!」

「気負うな。普段通りにしておけ」

「ふ、普段通り……ですか?」

「ああ。お前は、十六の小娘。オレに嫁いだばかりの新妻だ。初めての旅行で少し緊張している……そういう設定にしておくんだ」

「せ、設定ですね。はい」

「やれやれ。剣術は見込みがあるそうだが、潜入任務はダメのようだな」

「ぅ……」


 言い返せなかった。

 だって……こういうの、縁がなかったんだもん。


「さぁ、始まるぞ……気取られるなよ」


 私たちは、農村入口に到着した。


 ◇◇◇◇◇◇


「こんにちは。ラスタリア王国から来たんだが、宿はあるかな?」


 イズは、村の入口にいた農民に挨拶した。

 農民の男性は少し驚いたようだが、すぐに笑顔になる。


「いやはや、貴族様かい?」

「いや、商会務めの平民さ。商談がてら、妻を連れて旅行にね」


 イズが慈愛に満ちた笑みを浮かべたので、私も笑みを浮かべて首を傾ける。

 

「はっはっは! 優しい旦那さんだなぁ」

「ええ。本当に」

「宿は、村に一軒だけあるぞ。村の真ん中に看板がかかってる。その隣に道具屋、んで酒場がある」

「ありがとう。では、世話になるよ」


 農民さんは、ニコニコしながら見送ってくれた。

 私は、ボソリという。


「……優しい人でしたね」

「ああ。重税で苦しんでいるようにも見えないな」

「……わかるのですか?」

「苦しんでる人間は、目や態度に出る。あの農民はそうではない」


 宿に到着し、馬を繋ぐ。

 馬から降りようとすると、イズが手を差し出した。


「さぁ、手を」

「あ、ありがとうございます」

「ふ……初心で可愛い芝居は上手だな」

「っ」


 可愛い……そんなことを言われて照れてしまう。

 イズが差しだした手をそっと握り、私は馬から降りた。


「きゃっ!?」

「おっと」


 そして───よろめいたところを、抱きしめられる。


「あ、あの」

「…………もっと鍛えておけ」

「は、はい……申し訳ございません」


 イズは私から手を放す……あれ? 耳が赤いような。


「さて、部屋を取ったら買い物に行こうか」

「はい」


 どうやら、気のせい……なのかな?


 ◇◇◇◇◇◇


 道具屋で、アクセサリーを見ながら品揃えを確認したり、店主のおばさんに話を聞いた。

 ラスタリア王国に何か変わったことがないかを遠回しに聞いたが、「別になにも」とか、「税金? 相変わらず高いけどいつも通りさ」などの返答だった。

 農民の暮らしのことを聞いても「別に変っていない」ばかり。

 店から出て、夕食がてら隣の酒場へ。

 仕事を終えた村人たちが、お酒を飲んでいるようだ。

 私とイズが入ると、一瞬だけ注目されてすぐに喧騒に包まれる。

 適当な席に座ると、私と同い年くらいの女の子が注文を取りにきた。


「ご注文は?」

「そうだな。おススメを」

「私も同じものを」

「はーい! お兄さん、お姉さん、旅の貴族様?」

「いや、しがない商人さ」

「ふーん。何もない村だけど、ゆっくりしていってね!」


 女の子は、ニコニコしながらカウンターへ。

 私はお水を飲みながらイズに言った。


「……お芝居には見えませんね」

「ああ。どうやら……信じ難いことだが、戦争準備をしていないのかもしれん」

「えっ」

「戦争を始めるとなれば資金が必要だ。その場合、国民の税金を上げて戦争準備金を集めるのが普通……だが、ここでの暮らしを見ると、税金に困窮しているようには見えん。それに、見ろ……テーブルに並んでいる料理。肉、魚、野菜……」

「……生活に困っているようには見えません」

「以前、戦争準備をしている国を偵察したことがあるが……悲惨な食生活だった。こんな、国境間近の農村が、国境にラグナ帝国軍が常駐しているにも関わらず、何も知らないように生活しているとは」


 イズは驚いていた。

 あり得ない話だが、ここの人たちは……。


「戦争に行くのは兵士、命を賭けるのは兵士、戦うのは兵士」

「……なに?」

「私もそうでした。戦争なんて、私の現実にはなかった……だから、実感がないのかもしれません。私みたいに、衛生兵として招集されて、初めて戦争を理解する……ここが戦火に包まれて始めて、住人たちは『戦争』を理解するのかも」

「…………」


 料理が到着した。

 肉と魚、野菜のスープに、村で獲れた小麦で作ったパンが並ぶ。

 どれも美味しかった。

 すぐ近くの国境がラグナ帝国軍に占領され、今まさに進行されている最中だとも知らずに。


「……少し、席を外す」

「え?」

「住人たちに酒を奢ってくる。近くにいるから大丈夫だ」

「わかりました」


 イズは立ち上がり、近くで飲んでいる男性たちに声を掛ける。

 私を見てウインクすると、男性たちが「ヒューッ」と口笛を吹く。どうやら軽くからかわれているようだけど、すぐに打ち解けていた。

 すごいな……私に、あんなことできない。


「…………戦争、かぁ」


 もし、ラグナ帝国軍がラスタリア王国を征服すれば……この農村から笑顔が消えるかもしれない。

 もちろん、カディ様が圧政を強いることはないと信じている。

 それでも、それでも……この笑顔が失われるかもしれないと考えるのは、辛かった。

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