戦場へ

 鞄に着替えを詰め、出発の準備を終えた。

 私の荷物、こんなに少なかったのね……救護施設ではドレスなんて着れないし、至急される看護服を着なくちゃいけない。念のため、普段着のドレスを数着、カバンに入れた。

 そして、『応急手当全集』と、『看護の心得』……この二冊もカバンに入れる。

 内容はすっかり暗器してしまった。

 

「…………はぁ」


 私は、ベッドに倒れ込む。

 明日。私はこの家を出て、戦場へ行く。

 クレッセント男爵家の長女として、本来ならあり得ない、貴族として戦地へ行く。

 私の心は、すでに諦めに入っていた。

 理不尽な仕打ちに怒るわけでもなく……リリアンヌに婚約者を取られたのに怒ることなく……もう、私の心はすでに、死んでいるのかもしれない。

 これもきっと、『銀』の不幸かもしれない。


「……一応、必要よね」


 私は、髪染めの塗料をカバンに入れておいた。

 『銀』が不幸を呼ぶ。なら、戦場で何か不幸があれば自分のせいにされるかもしれない。なので、出発前に髪を金色に染めろと、お父様から渡された塗料だ。

 こんなもの、使いたくなかった。

 でも……あらぬ罪を着せられる可能性もあったので、受け入れた。


「…………」


 ベッドに寝転がり、天蓋を見る。

 慣れ親しんだこのベッドとも、お別れ。

 それなのに……なんで、こんなにも心が冷えてるのかな。


「…………」


 明日、出発なのに……お父様もお母様も、何も言いに来ない。

 当然、リリアンヌも。

 

「……最後だし、挨拶くらいは」


 私は部屋を出て、お母様を探す。

 まず、お母様の部屋のドアをノックした。


「どうぞ」

「失礼します。お母様」

「ラプンツェル? 悪いわね、少し忙しいから、後にしておくれ」


 お母様は、テーブルいっぱいに本を並べていた。

 全部、ドレス関係の本だ。さらに、宝石関係や美容関係……どれも私とは縁のない本だ。

 

「あの、お母様……私、明日」

「ああ、明日出発だったね。大変だろうけど、頑張るんだよ」

「は、はい。あの……」

「まだ何かあるのかい? 全く、リリアンヌの衣装選びで忙しいの」

「…………」


 リリアンヌの衣装。

 ああ、結婚衣装……まだグレンドール様への返事も届いていないのに。

 お母様は、もう私を見ていなかった。

 私は一礼し───部屋を後にした。


「…………お父様は」


 次に向かったのは、お父様の書斎。

 ドアをノックすると、「入れ」と短い返事が。

 

「お父様、失礼します」

「悪いが忙しい。用件があるなら手短にな」

「はい……あの、明日出発します」

「知っている」

「その……」

「それだけなら出て行け。結婚式の招待状を書くのに忙しいんだ」

「…………は、い」


 お父様も、私を見ていない。

 ああ、お母様もお父様も、戦地に行く娘より、侯爵家に嫁ぐ娘の方が大事なんだ。

 私はフラフラしながらお父様の書斎を出て、自分の部屋へ戻ろうとする。

 すると、私の部屋の前に、リリアンヌがいた。


「お姉様。明日ですわね」

「……そうね」

「ふふ♪ どうかお気を付けて」

「…………ええ」


 リリアンヌの笑みが、小馬鹿にするような笑みにしか見えない。

 でも、私の心は冷えていた。

 

「リリアンヌ」

「はい?」

「どうか、幸せにね」

「ええ。お姉様……さようなら・・・・・


 まるで、永遠の別れのような挨拶をして、リリアンヌは去って行った。


 ◇◇◇◇◇◇


 夕食も、朝食も喉を通らず……出発の朝になった。

 私は、ラスタリア王国へ向かう行商人の馬車に乗り込む。

 屋敷の前に、見送りなんていない。

 私なんか初めからいないかのように、クレッセント男爵家はいつも通りの朝を迎えた。


「…………いって、きます」


 お父様、お母様、リリアンヌ。使用人やメイドも誰もいない。

 私の呟きは、誰にも届くことなく消えていった。

 行商人の馬車が走り出し、屋敷が遠くなっていく。


「…………っぅ、ぅぅ」


 なぜ、このタイミングなのか?

 私の眼から、涙があふれてきた。

 もう、二度と帰ることはないだろう。

 何の思い出もない家だけど……間違いなく、私が十六年間過ごした屋敷なのだ。

 

「なんで、こんな……っ、なんで」


 私は、行商人の荷物に挟まれながら、一人呟く。

 ふつふつと、お腹の奥から……熱い何かがせり上がってきた。

 でも、私はそれを抑え込んだ。

 きっと、これは溢れさせてはいけない。


「…………ひっく」


 涙を拭い、これから来るであろう《試練》に備えるため、私は強く拳を握った。

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