第2話 後編
円満に離縁し、私は実家に帰った。白い結婚ではあったけど二十歳前のバツイチの私はお荷物だ。両親と兄夫婦は優しくゆっくりしていればいいと言ってくれてはいたが、私自身が気にしていた。何とか手に職をと考え、得意の刺繍で内職しつつ暮らしていると、私の刺繍を気に入ったある侯爵夫人から依頼を受けた。直接的なやり取りではなく、お抱えの商会を間に挟んだやり取りだ。その商会の商会長こそが、ルドルフ・スーダン。今の私の夫である。がむしゃらに働いてきたルドルフは独身で、商談のやり取りをしている内に気が合った私達はトントン拍子に結婚を考える仲になり、円満離縁から一年半後くらいには、私は晴れてシンディ・スーダンとなったのだった。
それからずっと二人で一緒にやってきた商会は更に大きくなり、三人の子供達にも恵まれ、今に至るのだ。
「……十五年ぶりね」
馬車を走らせ伯爵領に入り、クランクイン伯爵の屋敷がある町に着いた。流石に十年以上も経てば町の雰囲気も変わるかと思っていたが、記憶そのままの懐かしい町並み。商談が無事に終われば町を巡る時間が取れるかしらと思いつつ、町で一番大きな宿屋で一泊して、身支度を念入りに整えた。
夫の焦げたパンのような濃い茶色の髪に寝癖がないか確認し、深い藍色の瞳を覗き込む。夫も私の癖毛が変に跳ねていないか確認し、私の眼を見つめてくれる。
「さぁ、気を引き締めて行くわよ」
「もちろんだとも」
勝負の日は快晴。先触れを宿屋の者に出してもらい、約束の時間に合わせて出発する。ゆっくり馬車を走らせていけば、ようやく見えてくる懐かしい伯爵家の門構え。
私はもうクランクイン伯爵家とは何の関係もない。でも、必ずや商談を成功させて見せよう。そして、私は幸せであると言葉にせずとも態度で伝えるのだ。それが私と契約結婚し、離縁してくれた元旦那へのお礼となると信じて――
「おお、期待して待っていたのだ。私がクランクイン伯爵家、当主のジーンだ」
「妻のアイシャですわ」
若い執事に案内された応接間、そこに並んでいたのは待っていたのは、茶髪青目の美丈夫と銀髪緑目の美女。美女の腕の中にはすぴすぴ眠る赤子が抱かれている。
……あれ、ジョナサンは???
結論を言おう。
ジョナサンは、居なかった。何でも怪我で長期療養が必要となり、今は先代伯爵と一緒に領内の別荘宅で暮らしているそうだ。伯爵家は従兄であったジーンを養子とすることで継いでいく形となったそうな。
『私は真実の愛を貫きたい』
『例え神であろうとも彼女へのこの想いは消されはしない』
『彼女との子供はきっと天使のように愛らしいだろう』
ジョナサンは屋敷に来るたび、私に愛人さんとの愛を一方的に語っていた。正直、うるさかったので相手にするのも疲れたが、これも仕事だと笑顔で聞くことにしていた。その大事なジョナサンの妻となったはずの愛人さんは屋敷を飛び出した後行方知れずとなり、産まれていた赤子は病をもらい儚くなってしまったようだ。
…これが、真実の愛の結末か。私も貴族の端くれだったもの。伯爵が語る言葉通りだとは思わなかったが、深追いは禁物。スーダン商会長の妻として笑顔で商談を続けるだけだ。
商談は成功に終わった。今後も利用してくれるだけでなく、色々取り計らってくれるようだ。子供向けの商品を中心に用意していた甲斐があるというものである。商談が終わればそのまま宿屋に戻り、夫婦水入らずとなる。
「さて…あ、な、た?」
「あ~、宿の近くに美味しいパン屋があると」
「知ってるわ、前からあるお店だもの。それより話すこと、あるわよね?」
商人は情報収集を怠らないものだ。商会長であるルドルフが伯爵家のことを知らないとは思わない。きっと以前からあの家の内情をある程度知っていたはず。
「私は貴方の妻よ? なんで教えてくれなかったの」
失態、とまでは行かなくとも妻が商談先の内情を全く知らないでいるのはおかしい。下手をすると商談が失敗に終わっていた可能性だって充分あるのだ。
「……言ったら、君が気にすると思って…」
「十年以上前の話で、しかも恋愛じゃなく契約結婚で円満離婚したのに?」
「話したら絶対気にする。優しい君のことだからね。同情でも何でも君の心を惹きつけるのが嫌だったんだよ。今の君は僕の奥さんなのにさ」
あ、拗ねてる。強面なのに私の夫はこういう所が可愛い……じゃなくて。
「私が知らない方がいいことなのね?」
「……大体は伯爵が言っていたことで合ってるさ」
観念した夫が話すことには、ジョナサンの怪我は愛人さんから花瓶で頭を殴りつけられたことが原因。幸い意識は回復したが、頭以外の全身がマヒしてまともに動けなくなったそうだ。犯人である愛人さんは慌てて逃走しそのまま行方知れずになり、追手を掛けているそうだが今も尚見つかっていない。残された動けなくなったジョナサンが当主として働けるはずもなく、ジョナサンの父である先代の主導により当主変更となった訳だ。
「何故そんなことに…」
「……待望の産まれた子供が、ね」
妊娠中に結婚し、名実ともに夫婦となって出産を迎えたが、産まれた赤子は黒髪、赤目、褐色肌。どう見てもジョナサンに似ておらず、腰を痛めて休んでいた専属庭師の代わりに、臨時の庭師として一時期雇っていた男にそっくりだったそうだ。二人は連日大喧嘩、そしてある日喧嘩の勢い余って…。その問題の子供はこれ以上の伯爵家の醜聞を防ぐ為に亡くなったことにして、密かに領地内の孤児院に預けられているという。
「…真実の愛って、結局なんだったのかしら」
「さぁ、少なくとも誠実でなかったその二人の間には無いモノなんじゃないか」
「そうかもね」
話はこれで終わりとばかりに夫が出掛ける用意をし始める。どこに出掛けるのかと思いきや、私の方を見て楽しそうに笑い、
「せっかくだし、デートしよう。君の行きつけの店があったんだろう?」
「ふふ、そうね! まだやってるかしら」
「話だけ聞いていたから楽しみだ」
「ちょっと待ってて、もう少し楽な服装に着替えるわ」
やっぱり、私は幸せだわ。素直に愛してくれる夫に、家に帰れば愛しい子供達が待っている。ジョナサンに伝えそびれてしまったことはちょっと残念だけど、私は今の生活が大事だ。お見舞いなどに行ってわざわざ関わりになるつもりはない。ジョナサンとは円満離縁後、その縁はしっかり切れたのだ。
思考を切り替え、夫をどこに連れて行こうかと、私は久しぶりのデートに浮かれ、急いで着替え始めたのだった。
「…ベッドの上でずっとシンディの名を呼んでるらしいけど、もう僕の奥さんだからさ」
シンディとの愛が真実の愛だったんだ、なんて戯言をデートに喜ぶ可愛い奥さんに聞かせるはずもない。シンディは契約の義務感でしかなかったのに、何が真実の愛なのだろう。
僕は着替え終えた奥さんを腕の中に閉じ込める。嬉しそうにほほ笑むその顔を見て、実感する。僕の愛はここにある、と。
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