ForeignerS

椋畏泪

第1話

『お疲れ様です。回収班が向かいますので、一度本部の方に帰還してください』


 鮮明で、しかし機械音を想起させるほど無機質で洗練された音声が耳掛け式のヘッドセットに流れた。


「チッ……。またハズレか」


 そんな音声の告げる内容を無視して、青年は不機嫌さを隠そうともせず呟いた。


 深夜の廃工場。そんなシチュエーションでも様になってしまう程度には、青年は美しかった。


『申し訳ありません。我々の探索網を持ってしても……』


「グズの下っ端に話をしても仕方ない。セシルのおっさんに言っておけ!」


 腹の底にある怨恨を吐き捨てるように言って、青年は無造作にヘッドセットを外した。それをキャソックと呼ばれるカトリックの神父の着るような服の懐へねじ込む。内側にも見事な刺繍がなされており、何かの通し番号のようなものと名前らしきものが露わになった。


 キース・ド・グレアム。それがこの不機嫌な美青年の、もっと言うと、人知れず何度も世界を守り続けている男の名前であった。


 もっとも、彼自身には「世界を守っている」なんて認識は希薄であり、おまけみたいなものらしいのだが、その辺りのことを彼は進んで周囲の人間に話そうともしなかった。


 加えて目つきが異様に鋭く、近づくものを容赦せずに狩りつくす殺気立った猛獣のような印象を連想させてしまうらしく、整った顔立ちとは裏腹に、彼から距離を取ろうとする者が多数であった。


 そのため真っ黒の装束とも相まって、影では『黒獅子』などと呼ばれているが、彼に知れるとあとが怖いため、面と向かってその呼び方をする者は、現状数名を除いてはいなかった。


 足音が近付く。


 キースは、もう少し距離があると判断し腕時計に視線を向けた。


 午前2時を少し過ぎたくらいの時間であった。


生まれつき綺麗なブロンドの髪だが、彼にとってはただ伸びてきてうざったいだけのようで、後ろで束きれない前髪を、辛気臭そうに掻き揚げた。


キースの両手には、現代日本には到底似つかわしくない剣が握られており、翠の液体がべったりこびりついているものの、彼が剣を薙ぐと剣はぞっとするような鋭利な刃物の輝きを取り戻した。


足音がしてからしばらくすると、暴力的な美しさを備えるキースとは対照的な、黒髪にこれと言った特徴の無い制服姿の地味な少年が息を切らしながら駆け寄って来る。


「ハァ……、ハァ……」


 少年にとってはかなりの距離を疾走したらしく、制服の上着まで汗ばみ、湯気が立つほどであった。


 少年の方もキースの存在に気付き、速度を落として立ち止まった。


 しかし、息も切れ切れの少年は満足に話すことさえかなわない。膝を抱えて視線が下がった時に、キースの足元に頭を両断され転がっている巨大な『原虫』の亡骸を見て、「あぁ、また間に合うことすらできなかった」と、酸欠の頭で理解するのがやっとであった。


 異世界からの侵略者と言われている『異法人』。


 今回はたまたま巨大な甲虫のような生物だったが、何も毎度こいつらばかりと言うわけではなく、様々なタイプがいる。今回のような化け物から、一見すると人類種と変哲のないものまで、バリエーションは無駄に豊かである。


「あ、あの……。遅く……、なりました……。申し訳……ありません……」


そんな化け物大の『原虫』であっても、例によってキースが苦戦することもなく一人で片づけてしまい、自分にできることはもう無いのだということの二つの事実を理解し、少年は肺に鞭打ってなんとか言葉を紡いだ。


 それを聞いたキースは深々とため息をつく。


 そして、少年の方へゆっくりと顔を向けた。


「遅い! 組織の一員という自覚がまるで足りていない! お前一人の失敗で被害がどれほど広がるのかは、講習を受けて聞いているはずだ!」


 先ほどのヘッドセットの音声に対してよりも、遥かに怒気を荒げる。それほど歳は離れていなさそうな二人であるが、そこには明確な上下関係が存在していた。


 少年の方も、申し訳なさそうに委縮するばかりな一方、こんな状況にも悪い意味で慣れてしまっているのか、小さく「すみません」と言ってその場を凌ごうとさえしていた。


 キースにもその少年の感情が伝わったのか、内側からさらなる怒りの第二波が込み上げてくるのを来るのを感じていたが、無駄なことを嫌う性質上、それ以上言及しようとはしなかった。


「まったく……」


 少年に聞こえるか聞こえないか程度の声で呟き、キースは原虫の腹の上から飛び降りた。


上着の神父服が閃き、夜に溶け込むような軽やかさで着地し、踵を返す。


何やら呟いた様子であったが、キース自身の母語で言ったらしく、少年には日本語と英語、それに韓国語や中国語ではないこと、そして愉快な内容でない言葉であることは理解できていた。



もっとも、それが分かったところで何になるというわけではないのだが、今でもキースの素性がほとんど知らされていない少年にとって、話されないからこそ気になり、それを知るにはキースに直接聞いてもまともに取り合ってくれないことは確かで、些細な仕草や趣味、嗜好から推察する他なかった。


「ここ数日、異法人の現界への侵入が増加している。今のところはいちいち俺が出るまでもないような雑魚ばかりだが……、まぁ良い。今回の反省を踏まえて、次に俺たちのチームに割り振られた異法人はお前が責任を持って処理しろ」


 数歩進んだところで足を止め、キースは嘆息交じりに少年に言った。

 

 語調からして、『命令』の方がニュアンスが近いかもしれない。


ともかく、キースにこう言われた少年は思う所こそあれ、反論は許されないのだとようやくまともに機能してきた脳で理解した。


 しかし、理解することと盲目的に付き従うことは同義ではない。


少年は言うことだけ言って足早に去ろうとするキースを「あの……」と自信なさげに呼び止めた。


声を聞いたキースは、元来の真面目さゆえか、イラついた表情ながらも立ち止まって少年の発言の先を聞こうとする。


少年は体が冷めてきたのか、嫌に白い息が多く感じていた。


そのことが少年の思考をやや鈍らせたが、元より出来のいい脳味噌ではないと自覚しているので、感覚だけで話すことには慣れている。


「俺、まだ組織に入隊して二週間目で良く分からない事もあると思うので、一応先輩も付いてきてくれませんか……?」


 小学生が両親に、テスト勉強を頑張ったからゲームを買ってくれとせがむような表情で、キースの顔を見る少年。


それに対してキースは再度大きなため息をつき、「標的があまりにも強力だと判断したらついていくが……」と、そこまで言ってキースは言葉を止めた。


冷静に、なぜこんなにもコイツは他者を頼ることに躊躇がないのかと、キースは疑問になってしまったのだ。


そして、見方によれば少年のふてぶてしいような態度に、キースは憤りを越えて呆れの表情になり、眉間に皺を寄せて「一人で行けと言ったはずだ。お前は腕だけでなく頭も悪いのか?」と吐き捨て、再度母語での悪態も添えて闇夜へと消えていった。


「あ、先輩! 待ってくださいよ!」


 と、少年は辛うじて声を上げたが、それ以降キースが振り返るようなことはなく、強がっていたが疲労は消え去っていない少年は、キースがいなくなったと確信するやその場に仰向けに、四肢を広げ放って文字通り大の字に倒れ込んだ。


 どうにも真冬の星空が綺麗で、すぐ近くにある巨大な原虫のことなど忘れてしまったかのように、睡魔に誘われるまま、しばし少年は眠りに落ちた。


 真冬の路面は冷たい。


そんな当然な教訓を数時間後に痛感することになるとは、この時の少年は想像だにしていなかった。

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