長唄、遂に到達す

 生き残りたちが一人が、恐る恐る顔を上げた。

 なにもかもを吹き飛ばしに来た閃光と大音声から、幾ばくの時が過ぎたのだろうか。

 不意に訪れた静寂と平衡の中、彼はその目を開き――


「おお……」


 期せずして、両の手を合わせ掛けた。

 頭を強かに瓦礫にやられたが故の、朦朧とした意識が成した業かもしれない。

 しかしそれでも、彼には神々しい景色が見えていた。


 柳生獣兵衛と、見知らぬ剣客。

 獣兵衛は刀を手に提げ、気だるげに剣客を見ていた。

 剣客は両の手で大太刀をしっかと握り、獣兵衛をめつけていた。


 後に『剣客阿修羅像』として伝わる著名な一対の像。

 そのモチーフとして語られた光景である。


 ***


「死なぬか」

「まだだ」


 長唄の視界は、気だるげな獣兵衛に満たされていた。

 彼の目には鬱憤があるように、長唄は感じた。

 彼はその目に、心当たりがあった。


 幼き頃、戯れに犬猫の遊び相手などをしたことがあった。

 だが、遊びはやがて飽きる。犬猫はそれでもまとわりつく。

 そういう時に、こんな目をした。かすかな記憶だ。


「ふう」


 口の中で、人知れずため息を吐く。

 己を振り絞り、ついに斬鉄を果たしてなお。

 柳生獣兵衛は遠くにあった。


「俺は飽きた」


 獣兵衛から手刀が飛んだ。

 リーチはともかく、纏う衝撃波が桁違いだった。

 長唄は己に強いて、後ろへと跳んだ。


 だが思う。避けるばかりでは、獣兵衛の興味は引けぬ。

 獣兵衛相手に、なにも刻めぬまま終わる。

 それは長唄にとって、自決を覚悟するほどの失態だ。


 ならば? 逃げるのは、これで最後だ。

 包み隠さず、己をぶつける。

 それができなければ、なに一つとして始まらない!


「……ぬんっっっ!」


 跳んで着地した直後。長唄は即座に地面を踏み切った。

 四肢をあやつり、大太刀を鞘へとしまう。

 狙うは、あやつりによる神速を利した、音をも越える居合――


「目の付け所は悪くない。だが悲しいかな。貴様は我には届かない」


「があっ!?」


 三歩まで迫ったその時。見えない壁が、長唄を阻んだ。正面衝突、吹っ飛ばされる。

 それが闘気による制空圏と気付くまで、長唄は数秒を要した。

 その数秒は、獣兵衛にとっては大きな隙――


「もういい。終われ。我が愛刀で、消えるが良い」


 獣兵衛の両断が、長唄へと迫る。

 獣兵衛の斬撃とは思えぬほど、それはゆったりして見えた。

 しかしそれは並の剣客が持つ感覚。実際には、一撃にて奪命の剣。


「クソがっ!」


 長唄は毒づき、かろうじて両断剣を弾いた。

 そのまま遮二無二転がり、必殺の間合いから脱した。


「羽虫」


 怒れる獣兵衛の闘気が、再びそこら中の瓦礫を浮かばせる。

 だが今回は、割って入る者どもが居た。


「獣兵衛ぇっ! こっちも見やがれぇ!」


 そう。捨て置かれ、瓦礫にさらされた剣客どもだ。

 半数がたおれ、生き残りどもも大半が大小に手傷を負っている。

 しかしそれでも。最強最悪の剣客と向き合う意志は萎えていなかった。


 そんな彼らの手段は、数だった。

 刀砲弾。斬撃による衝撃波。あるいは空間射出刀。

 全方位から、獣兵衛を目指す刀の群れ。


「……巫山戯るな」


 だが獣兵衛は、それにも怒った。

 己の不甲斐なさにか? 否、羽虫の煩さにである。

 故に獣兵衛は、迎撃した。


「死ねぇい!」


 彼の脳裏から、遊びという言葉が消えた。

 制空圏ではなく、己の斬撃にてけりを付ける。

 一回旋。それで十分……のはずだった。


「オオオオオッ!」


 気付いた時には、すでに遅かった。

 一回旋の刀を抜き切り、今まさに旋風とならんとした刹那。

 別の風が、彼の視界へと割り込んだ。低く、それでいて異常に疾い。


 風が薙ぐ。朱が走る。

 周縁から襲い来るすべての攻撃が、地に落ちる。

 十秒にすら満たぬ時の間に、あまりにも多くの出来事が起きた。


「届いたぁ……!」


 最初に声を漏らしたのは、朱鞘大太刀を担いだ、一本括りの剣士。

 笑みこそ漏らさぬまでも、喜色は隠せぬ声だった。


 彼が。浄瑠璃長唄が見出した活路。

 それは、獣兵衛が行う死刑執行――攻撃行為――の瞬間にあった。

 攻撃の刹那、それを通すために制空圏が消える。賭けたのは、その一点のみ。


 かすかな間隙に気付いた長唄は、恐怖を押し殺し、己をあやつり。

 ついに獣兵衛の肌を裂いたのだ。


「小兎どもがぁ……!」


 続いて声を上げたのは、当世最強、最悪の剣客。

 完全に隙を突かれた一撃は、浅くともその肌を傷つけるに至った。今も肌からは血が滴り、大地を濡らす。

 彼の心に渦巻く感情は、もはやこれまでの比にならない。


「滅べえっ!」


 にわかに、獣兵衛の闘気が噴き上がった。

 それは大地さえも割り、マグマめいて衝撃波が八方へと走った。

 伸び放題の髪が逆立ち、燃え上がるかの如くだった。


「ぎゃっ!?」


「ぎえっ!?」


 衝撃波の射線にいた戦士が、逃げる間もなく突き上げられる。

 そうでない生き残りたちも、再び己を優先せざるを得なくなった。

 そうした彼らを一瞥いちべつした獣兵衛は、足音も重く長唄へと進んだ。


「我が刀に賭けて、うぬは滅する」


 獣兵衛が、刀を正眼に構える。

 長唄は腰を落とし、正面から見据えた。


「覚悟は不要。ただ、滅べ」


 彼が見つめた獣兵衛の瞳に、もはや気だるさは消えていた――。

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