第35話 レイナ・ヴァレンシュタイン

 みんなへ、レイナ・ヴァレンシュタインについて話をしてから3日が過ぎた。


 あれからミヨコ姉とナナはすっかりヘソを曲げてしまい、オレがレイナの元へ行かないと言うまでは許すつもりが無いと言って、まともに話もしてくれなくなっていた。


 とはいえ今回は事情が事情であるため、そう易々と折れてあげる訳にもいかず……気が付けばヴァレンシュタイン家からの使いが来る当日になってしまっていた。


「ねぇセン……まだ一人で魔法を習いに行く意志は変わらないの?」


 訓練が終わった宵の口、訓練場の掃除をユフィと一緒にしていた所、そう尋ねられた。


「まぁ……こればっかりは、幾らミヨコ姉やナナ、ユフィに言われても曲げられないかな」


 エンブレのヒロイン達を救いたい――その気持は、オレの心に強く刻みこまれている。


 たとえそれが、未だ実際に会った事がない伯爵令嬢だとしても変わらない。


 彼女の事を救うためには、伯爵たちを殺させない事が必要不可欠だし、その為には外敵を倒す力が必要になって来る。


 ……もしかしたら他の、ミヨコ姉達に反対されない方法も有るのかも知れないけど、今のオレにはコレしか思いつかなかった。


 だから、ミヨコ姉やナナに幾ら言われても、今回の行動を捻じ曲げるわけには行かない。


「そう……なんだ」


 閉ざされているまぶたを開き、金色の瞳でジッとオレの顔を見たユフィは、すぐに視線を反らした。


「……私達がいくら頼んでも、気持ちは変わらないんだね?」


 悲し気な、すこし低い声で尋ねて来るユフィに、オレは頷く事しかできない。


「ごめん……」


 すっかり日が暮れ、辺り一帯が暗くなっただだっ広い訓練場で、オレは頭を下げた。


「私は……まぁセンの気持ちをある程度は分かってるけど、二人には改めてちゃんと説明してあげて。そろそろ、迎えが来る時間なんでしょう?」


 儚げな顔で、月に照らされた銀髪を揺らしながら、ユフィが尋ねてきた。


 それを見てオレは……。


 ――ビシャンッ


 突如、オレとユフィが向かい合っている中、空気が破裂する様な音が上空から聞こえて来て視線を上げると……そこには、一台の馬車が空を走っていた。


 しかも2頭の白い馬に引かれた馬車は徐々に地上へとドンドンと近づいて来る。


「あれは……」


 目を細めながらその全貌を掴もうとしている間に、空を駆ける馬車はその大きな質量に反して、静かな音と共に地上へと降り立った。


「骨の……馬?」


 目の前で起きた事を理解できないのか、口を半開きにしながらユフィがそう呟いた。


 正直ゲームで見ていたオレも、目の前の光景が信じられない。


 空を駆けた馬車を引っ張っていたのは、真っ白い骨で体を構成され、馬体が一般の馬の倍はありそうな、瞳に紫の炎を宿した馬たち。


 しかも引かれていた馬車の方は、優に10人は乗れそうな巨大な物で、装飾も赤を基調に黄金を各所にちりばめられた豪奢なものだ。


 登場の仕方、馬車の外見どちらも異様だが……本当に異様なのは、馬車の中から感じる気配の方だ。


 正直、余りにも巨大すぎて降り立った直後は気づけなかったが、理解した途端に全身の産毛が逆立つのを感じる。


「なに……これ」


 ユフィもその気配に気づいたのか、呻く様な言葉を漏らしながら、体をよろめかせた。


「ユフィ!」


 慌ててよろめいた体を抱き留めると、ユフィの体の体温は下がり、小刻みに震えている事が分かった。


「――ふむ、驚かせてしまったようですね。やはりこの馬車は、人族の方々の元へ赴くには些か不向きでしたか」


 しわがれた、それでいて深く太い声が聞こえて来て、そちらに目を向けてみれば、御者台から一人の老人が地面へと降り立つ。


 身長は180cm半ばほど、筋骨隆々と言う訳では無いが引き締まった肉体に、年齢を感じさせる灰色の短髪、月日を感じさせる皺が刻まれながらも精悍な顔つきをしていた。


「……あなたは」


「ああ、申し訳ありません。申し遅れましたが、わたくしの名前はグレイ。ヴァレンシュタイン家のしがない執事でございます」


 自己紹介の後うやうやしく一礼するグレイさんの姿は、ソレだけの所作にも関わらず、完成された美しさの様な物さえ感じられた。


「えっとオレ……自分は、天空騎士団のセンと申します」


 慌ててオレが頭を下げると、グレイさんはポンと手を打った。


「ああ、貴方が書状にあった少年騎士殿ですか。なるほどなるほど、実に精悍な顔つきをしていらっしゃる」


 灰色の瞳を一瞬細めた後、グレイさんは笑顔を見せたが――直後、ドンッという大きな音と共に馬車が揺れた。


「あはは……申し訳ありません。少々本日はお嬢様のご機嫌が悪くて……」


 そうグレイさんが言った直後、先程よりもさらに大きな音が馬車の中から聞こえ、今度は地面さえも一緒に揺れた。


「えー……これ以上お嬢様のご機嫌を損ねる前に城へと戻りたいのですが、準備は出来ておいででしょうか?」


 膨れ上がる馬車の不穏な気配にも動じる事無くグレイさんが問いかけて来るが……正直、オレとユフィは立って居るだけで精いっぱいだ。


「ふむ……困りましたね」


 そんな、大して困って無さそうなグレイさんの声色を聞いた直後、遠くから大きな声が聞こえて来た。


「弟くん!」


「お兄ちゃーん!」


 耳慣れた、ミヨコ姉とナナの大声を聴いて振り返れば、二人が険しげな顔で走って来る所だった。


「弟くん、今すぐここから離れよう! 大丈夫、レイ団長は呼びに行って貰ってるから!」


「お兄ちゃん、ユフィお姉ちゃん、みんなで逃げよう!」


 既に隊舎へと戻っていた筈にも関わらず、魔力適正の高い二人は馬車の不穏な気配を感じて慌てて戻ってきたようだ。


「……大丈夫、レイ団長が来るまでの間は私が時間を稼ぐから。弟くんは、ユフィちゃんとナナちゃんを連れて逃げて」


 そう言って魔導書を取り出したミヨコ姉だったが、その手や足は小刻みに震えている。


「――おもしろいわね」


 張りつめた空気の中、少女の様な澄んだ声が一帯に響き渡った。


「グレイ、暫くの間この子達以外をここに近づけないで貰える?」


 静かに紡がれたその言葉は疑問形でこそあったが、そこには強い強制力を感じさせた。


「……それは、ここの騎士団長様も含めてという事でしょうか?」


「それは、聞くまでも無いことじゃない?」


「……御意」


 そう答えると、それまで正面にいた筈のグレイさんの姿は、音も無く消え去っていた。


 そして残されたのは、一台の不穏な気配を発する馬車と俺達だけ。


 全く現在の状況も理解できない中、ただただ正面から発される圧倒的な力の気配を前に、既に涼しい季節だと言うのに汗が頬を伝う。


「……私に師事したいと言うから、どれほどの物かとおもったけれど、正直期待外れね」


 そんな言葉と共に馬車の扉が開き、降りて来たのは……真っ白いドレスに身を包み、薄紫色の髪と真っ赤な瞳をした、おれ達とそう変わらない年に見える、とてつもない美少女だった。

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