第5話 新しい自分と新しい出会い
痛いのは嫌だ、辛いのも嫌だ、苦しいのも嫌だ。
こんなに苦しい事だらけなら、全てを捨てて逃げ去りたい……そう思ったけれど、何かが引っかかっているのか、まだオレという残骸はしつこく残っていた。
ただ、それは意識に残ったシミの様なもので、吹けば飛ぶようなものでしか無かった。
でも、そんな全てが粉々に砕けた中で音が、声が聞こえてくる。
誰かの声が、聞こえてきた。
「実験体は私だけにするって言っていたのに、なぜこの子まで巻き込んだんですか!」
少女の、悲痛な叫びが聞こえてくる。
「いやぁ、僕だって別にやりたかった訳じゃないさ。何せ”アレ”だって結構希少なわけだし……でもさ、結果的に彼も化け物にもならずに生きてるんだから、よかったんじゃない?」
一方で、軽薄な男の声も聞こえて来た。
ただ、何でかは分からないけど、少女が悲痛な叫びをあげているのが、どうしても気になった。
「まぁ、いいや。345号、君にはしばらくソレを任せるよ。まさか、嫌とはいはないよね? 僕としてはソレの代わりに、1077号で実験しても良いんだからさ」
男の声に対し、ギリッと何かを噛み締めるような音が聞こえた。
「……わたしが、この子の事を見てます」
「うん、素直なのが一番だよ。んじゃ、そう言うことでよろしく頼むね」
男の声が遠ざかるのと同時、近くですすり泣く様な声が聞こえてきた。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい」
そんな、懺悔するように謝る声が聞こえて来て……どうしてかソレを、無性に止めてあげたかった。
貴女は悪く無いんだと、悪いのはこの世界なんだと、伝えたくなった。
彼女に伝えるためには、口が必要だ。
だからオレは、自分が誰なのかさえあやふやな中で、必死に口を動かした。
――動け、動け……動け!
「な、か……な、いで」
「えっ……意識が!?」
何か声が聞こえた気がしたが、口を動かした反動からか、全方位からくる絶え間ない苦痛と耳鳴りのせいで、声がしたのはわかっても、理解する事ができなかった。
だがオレは、確かに伝えないといけないと思った。
「きっと、まも、るから」
真っ白になった頭では、何を守るのか、何を守りたいのかも分からない。
だけど、彼女には泣いてほしくないと思った。
しかし、オレの言葉を聞いた彼女は、一層泣いている様だった。
そして彼女は繰り返し、繰り返し、オレに謝罪をした。
「ごめんなさい。許されないのはわかってます。だからあなたの分も、ソレ以外の人の分の恨みも全て私が引き受けるから……だからどうか、あの子――ナナちゃんの事は許してあげて」
――どこかで聞いた様な名前が聞こえて来た。
――ナナ?
――それって、誰だっけ?
――でも、確かに聞いたことが有る気がする。
ふと、突然幼さの残る声が頭に響いた。
『私は……私は、どうなってもいいの。だから……お姉ちゃんに会わせて!』
――そんな悲痛な声が、聞こえた気がした。
『……お兄ちゃんの方が1個番号少ないから、そう呼ぼうかなって。ダメ?』
――そんな、少し照れた様な声が聞こえた気がした。
『ミヨコお姉ちゃん、これで本当に最期だね。……大好きだったよ』
――そんな少し大人びた、様々な感情の籠った声を聞いた気がした。
救いたい。
そう、救いたかった。
どうにもならないと、絶望的だと言われている彼女達の状況を覆せれば、きっと今のどうしようもない自分さえも覆せると信じて……ただ闇雲に、盲目的に解決策を探し続けた。
何十回、何百回とやってもうまく行かないから、ドンドンと胸の内には諦めが膨らんでいったけれど、それでも何とか彼女達を――そして、自分自身を救いたいと思った。
ああ、そうだ。
きっと本当に救いたかったのは、彼女達じゃなくて……どうしようもない、何を成し遂げることもできず、何をやっても上手くいかない自分自身だったのだと思う。
それでも、初めは例えそうだったとしても、やっぱり彼女達を救いたい気持ちに嘘は無いから。
……だから、もう一度踏み出そう。
今度こそ、彼女達を救うために。
◇◇◇
体が、痛む。
階段から盛大に転げ落ちても、ここまで痛くは無いんじゃないだろうか、そう思う程に痛みがあったが……何とか目を開けると、そこは少なくとも自分の部屋では無かった。
加えて体を何かで固定されているのか、殆ど動かない首を回して確認してみれば、どうやらオレはベッドに横たえられている様で、他にもう一つベッドが置いてあるだけの簡素な個室にいるらしい。
青白く光る壁の数字を見てみれば、今日が既に3/11に変わっている事を確認していると――人が扉を開けて入ってくる音がした。
「良かった、目が覚めたんだね?」
柔らかい、いつまでも聞いていたくなる様な甘い声が聞こえて、思わずそちらの方へと目を向け――言葉を失った。
青みがかった黒髪に、陶器の様に白く滑らかな肌。
吸い込まれそうな程に深いサファイアの様な大きな瞳に、女性と少女の間を絶妙にブレンドした様な少しあどけなさが残る顔。
まさに、美少女の体現者とも言うべき少女が、オレのベッド脇に座っていた。
と言うか、この子は――いや、この人は……。
「ミヨコ、さん?」
オレがそう問いかけると、彼女はただでさえ大きな瞳を、さらに大きくした。
「何で君が、その名前を知ってるの?」
少しほうけた表情で聞いてくるその顔もまた愛くるしくて、思わずその顔をもっと近くで見たくて、体を起き上がらせる。
「えっ!? まだ寝てなきゃダメだよ!」
「いや、大丈夫、です。それより、ミヨコさんで間違い無いですよね?」
「う、うん」
オレがやや強めにそう問いかけると、彼女はためらいながらも頷いた。
ソレを見て、思わずガッツポーズをしようとし……体中に走る激痛から断念した。
「えっと、大丈夫?」
「大丈夫、です」
オレは必死に痛みを堪えながら、そう答えながら、記憶を思い出していく。
確かオレは、ナナと離れた後にグンザークと遭遇して、それで……。
――途端に、猛烈な痛みと不快感がフラッシュバックした。
「おうぇえええっ」
「っ、大丈夫!?」
思わずその場で吐きそうになるも、既に胃の中が空だったのか、なんとか布団にぶちまける事なく済んだ。
同時に、背中をさすってくるミヨコさんの温かい手が、ささくれ立った胸を癒してくれる。
まだ記憶が曖昧な部分があるが、奴らに捕まったオレはどうやら”アレ”を埋め込まれたらしい。
ゲームでも現物は出てこなかったため初めて見たが、連中が話ししていた内容とオレの症状から見てまず間違い無いだろう。
――
連中の間でそう言われている羽根状の物体は、絶え間ない人体実験と狂気の産物だ。
「……ごめんね」
オレの背中をさすっていたミヨコさんが、突然そんな事を言い出した。
「えっと、突然どうしたんですか?」
オレが困惑しながら問いかけると、彼女は懺悔する様に言葉を続ける。
「私がもっと成果を出していれば、きっとアナタはそんな体にならずに済んだと思うから……」
そんな事を言われて、オレは思わず自分の体を確かめる。
腕は2本で、足も2本、特に羽根とかツノが生えている様子はないし、触った限りでは他の場所もおかしなことにはなってなさそうだ。
オレのそんな様子を見ていたミヨコさんは、少し気まずそうにしながら、オレに指摘した。
「えっと、表面的なことじゃなくて……あの羽を埋め込まれたこと」
「あー……」
そう言われて、オレは曖昧に頷いた。
確かに、あんなものを埋め込まれたのは、正直嬉しくはない。
アレは、言わば時限爆弾の様な物だから。
……だけど、逆にアレを埋め込まれたせいで痛感したことが2つある。
1つは、オレの脳はどうやらこの世界を、現実だと認識していること。
なんせ、今もこれだけの苦痛が続いていて目が覚めないんだ、オレの単なる夢とはとても思えなくなっていた。
そしてもう1つは、オレは何としても彼女達を救いたいと言う理想があると言うこと。
幸いかどうか分からないけど、1回壊れたせいか、別の人間の体に自分の意識がある事や、現実に戻るのが困難になった事へ、大きな忌避感はなかった。
「別に埋め込まれたのはミヨコさんが悪い訳じゃなし、気にしないで下さい」
オレがそう言って笑うと、ミヨコさんは目を瞬かせた後、クスリと笑った。
「キミ、変な子だね」
上品に笑いながら、目元の涙を拭う彼女を――これ以上なく魅力的に笑う彼女を見て、思わず口の端が上がった。
「ミヨコさんを笑わせられるなら、オレは幾らでも変になりますよ」
――なんせ、ゲームの中で登場した彼女は、何時も洗脳に必要な仮面を付けられていて、笑顔なんて最後まで見せることは無かったから。
「ふふっ、やっぱりキミは変な子だ。あっ、そういえば何で私をミヨコさんって呼ぶのかな? キミとは今日初めて会ったと思うんだけど……」
そう尋ねられたオレは、ナナと同じ説明をしたが、ミヨコさんは首を捻った。
「んー、そんなことあったかなぁ? と言うか、ナナちゃんと顔見知りだったんだね」
そう言いながら彼女はオレの肩をそっと押して、ベッドへと寝かしつけてくれた。
「……ねぇ、一つだけいいかな?」
「なんですか?」
「もし……もし、私がキミに助けてって言ったら、キミは助けてくれる?」
俯きながら、不安に声を震わせながらミヨコさんはそう聞いてきた。
その様子を見て、オレは思わず胸が詰まる気がする。
300番台と言う、ナナやこの体がこの施設に来る遥か前からこの施設に収容され、実験という名の拷問を受け続けた彼女。
その苦痛は、先ほどオレが味わったものなど比にならない程の絶望だったろう。
未だ12歳だと言うのに、彼女は様々なものを背負ってしまっていた。
これまで必死に1人で耐え抜き、戦ってきた彼女からこぼれ落ちた、僅かな弱音。
オレは、目の前にいる彼女のことはほとんど知らない――だけど、ゲームでの彼女なら世界一知っている自信がある。
だからオレは、彼女に満面の笑みで応えた。
「もちろん。例え火の中水の中、いつでもどこでも助けに行きますよ!」
そう心から言うと、彼女はオレの目をじっと見た後、涙を目に溜めながら儚げな笑顔を返してくれた。
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