第95話 辛さをつらさととるか旨さととるか(9月18日)
晩酌で獅子唐をいただいたのであるが、今週二本目の「当たり」を引いてしまった。
大の大人が泣くというのはそうそうないことであるのかもしれないが、流石の刺激にとめどなく涙が溢れてしまう。
酒を飲んでも水を飲んでも中々落ち着かぬというのは絶望的な思いもし、しかし、これが獅子唐であったというのを思い出される。
十分ほどの大騒ぎとなったが、落ち着いた後の疲れはひどく爽やかなものであった。
煩悶した後の疲れを爽やかとしたが、ここ一週間の疲労が少しだけ和らいだというのが大きかったのかもしれない。
いや、確かに酷い辛さであったためそういいものではないのかもしれないが、時に劇薬のような刺激は身体を癒すらしい。
とはいえ、そう何度も味わいたいと思うものではなく、また気構えていただいてしまってはその効果も薄らぐのだろうと思う。
獅子唐を食べる際に求めるのは酒に合う程よい刺激であり、決して激辛の上をいくものではない。
それを本当に求めるのであれば、そのまま唐辛子をいただくだろう。
疲れがとんだ刺激というのは、この思わぬという淵に潜んでいるのかもしれない。
そう考えると、私が追い求める旅というのは獅子唐の辛さに似ている。
何もかも知り尽くして伺うのではなく、その先で予期せぬものと出会ったとき、私の感動は最高潮に達する。
それには、程よい日々を過ごすのもまた必須であり、ここで強い刺激を浴び続ければ脳が焼き切れてしまう。
なるほど、今の生活は私にとって丁度良いのかもしれない。
そのようなことを浮かべながら飲み続けているのだが、さて、残った獅子唐はどうしたものか。
羹に懲りて膾をふくではないが、流石に二度も当たった獅子唐のパックの続きをいただくのには勇気がいる。
さりとてせっかくの命を粗末にすることもできぬため、少々気合を入れてからいただくこととしよう。
【本日の出来事】
◎菅首相のコロナ対策 評価しない二五パーセント 共同通信調査
評価するがどれほどの割合であったのかを公表しない共同通信の姿勢こそ評価されぬのではないか。
残りの七五パーセントはどこに消えたのか、それが報道の闇と言うべきか。
なお、この割合は「評価しない」と「あまり評価しない」の合算である。
◎尾身会長 インスタライブを実施
感染症の諮問会議の会長が芸能人と同じことをやって何にになるのかというのが正直な思いである。
一般の人の意見を聞きたいのであれば、休業の並ぶ繁華街をまずは訪ねてみればよい。
怨嗟の声から耳を背けていくのはあまり利口な行いとは思えぬ。
【食日記】
朝:ヌク
昼:かつ丼、カップヌードル チリトマト&チーズカレー、野菜ジュース
夕:獅子唐の大蒜炒め、キャベツと豚バラのサブジ、卵かけご飯2、ウィスキーお湯割り4
他:おーいお茶
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