第25話 それは炊き立てのひのひかり(7月10日)
深夜に調べ物をしていると「孤独のグルメごっこは止めた方が良い」という記事を見かけて読んでみたのだが、思わず笑ってしまった。
その中身を抜粋すると、同じように気になった店へ無作為に入ると失敗することもあるから、その前にグルメサイトを確認したほうが良いというものである。
失礼を承知で書くのだが、このような主張をする方は「孤独なグルメ」を楽しんでいるだけなのだろう。
ただ一人で旨いものを食って感動できればよく、それは空腹を虚しく満たしているに過ぎない。
あくまでも美食は「孤独のグルメ」の本質の半分ではなかろうか。
残る半分を考える前に、聖地巡礼の際のメニューについて触れたいが、これはおそらく私がやれば好き放題に食べて飲んでしまうことだろう。
私は主人公ほどの大食漢でもなければ、旨いものは悉く酒肴としてしまうためとても合わせることなどできまい。
熱心なファンからの白眼視は間違いないだろうが、私はそれでよいと思っているからなおさらたちが悪い。
では「孤独のグルメ」の本質とは何なのか。
まず、主人公は居酒屋であろうと何であろうと物怖じせずに飛び込んでいく。
そこに白い飯を求めることが多々あるのだが、私はこの反対で喫茶店でも隙あらば飲もうとする。
次いで、何かを頼るのではなく目の前にあるものに神経を集中させ、その全てを任せる。
他者の注文に気を取られることはあっても、それはあくまでも目の前に与えられた情報に過ぎない。
誰かの恣意性が極力排除された情報のみで判断するのは難しい。
そして、その場の空気に溶け込み、周りのさざ波を愉しむ。
これを乱す者に容赦のないアームロックをかますこともあるが、それは彼の信条に因るのだろう。
故に、失敗もやらかしも「孤独のグルメ」にはつきものである。
ドラマでは実在の店を紹介するため否定的な部分は出せぬのだろうが、それでも、この主人公もまたそれらを存分に味わえるのだろう。
「食うために生きるな。生きるために食え」
「生きる」というのはそういうものである。
【今日の出来事】
◎「孤独のグルメ~シーズン9」放送開始
今日の出来事と話の内容がまるっきり被ってしまったが、それもまたたまにはいいだろう。
この時世において、この一編を創り上げようという主演の松重氏、原作の久住氏、そしてスタッフの皆様の情熱には自然と頭が下がる。
「俺の食事に密はない」
原作者の言葉を聞いて、
「我々は一人でも多く生き残らなければならない」
という思いを強くさせられたのは自然な成り行きであったのかもしれない。
◎教員免許更新制の廃止検討
負担感から廃止論の根強かった話題なのかもしれないが、それよりも減らすべき負担は本当にないのだろうか。
保護者による理不尽な要求への対処や部活動指導などと、教員の本分である生徒指導や授業研究が天秤にかけられ、後者が負けることがあってはならない。
【食日記】
朝:ヌク
昼:チキンカツカレー、コーンサラダ
カツカレーやかつ丼を見て、心を動かされぬほどの大物に、私はなりたい。
夕:ちりめん山椒炒飯、唐揚げ、ビール大瓶1
他:おーいお茶
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