翠の悲鳴

@hankus

第1話

翠の悲鳴

 柔らかな風が吹き抜ける。

体をなぞり、包むように優しく駆けていった風は、縋ることなく流れ去って行った。


 こんな心地よい場所で食べる野草は、一際美味しい。

一口、また一口。いくらでも食べられそうだ。


「やあ、また野草にご執心かい。」


 声を掛けてきたのはBだ。

知り合ったのは少し前――とはいえ、子供の頃だっただろうか。


「ああ、本当に良いものだよ。野草さえあれば俺は何も必要ないね。」


 やれやれ。とでも言いたげにBは首を振る。

もしや、また説教を始める気だろうか。いい加減聞き飽きてきたのだが。


「千切られ、すり潰され、悲鳴をあげる彼らの声は聞こえないのか?残酷だよ。残忍極まりない。」


 また始まった。

最近やけに増えたきたこの手の思想は、若い世代を中心に爆発的に広まりつつある。

 声なんて聞こえるわけがない。ならその野草達は土の悲鳴が聞こえているのか?仮に外敵が俺やお前を襲って、さあ食べようと言う時、悲鳴に耳を傾けてくれるとでも思っているのだろうか。


「では何を食えと?まさか肉だなんて言うんじゃないだろうな。俺達鹿が肉を?それだけは絶対に御免だ。」


 Bは首を上げてしてやったりとでも言いたげに――いや、見下したような眼で俺を一瞥した。


「わからないか?果実だよ。果実。落ちていなくとも、木を揺らせば食べる事ができる。生物ではないし気兼ねなく食べられるだろう?主として食べていなかった分、豊富な種類が実っているじゃないか。未だ誰も口にした事がない果実も数多くある。これが生き物達の助け合いと言うものさ。」


「ああそう。そりゃ素晴らしい!なら勝手にどうぞ。お前がなんと言おうと、俺は野草を食べ続けるね。遥か昔から、ご先祖さまも皆そうしてきたんだ。それが理にかなってるってもんだ。」


 Bはあからさまに失望した顔をする。

俺もB達と同じ思想になるとでも思っていたのだろうか。

どうやら、自分達の思想以外は絶対に認めるつもりはないようだ。

まあ、それは俺も同じだろうか。とはいえ、俺には根拠がある。

最近ぽっと出てきたような思想に傾倒するような、ヤワな生き方はしていないもんでな。


「どうやら君とはもう道を同じくする事はないらしい。残念だよ。これが今生の別れになるのかもしれない。」


「なに、俺はお前がその馬鹿な考えから解放される事を願ってるよ。じゃあ、またな。」


「また――そうだね。また会おう。」


 踵を返して歩くBの後ろ姿は、やけに哀しげに見えた。

沈みつつある太陽が、木々の隙間から俺とBを分断するように、淡く強く光を投げつける。


 次にBと会えたのは、それから日が三度巡った日であった。

力なく横たわるBは、息も絶え絶えに語りかける。


「ああ、A、参ったよ。本当に参った。手当たり次第に食べなければ良かった。きっと毒があったんだ。身体がいう事を聞かなくてね。因果応報とでもいうのかな。君が正しかった。つまりね」


 言葉も出ない。そう、果実は種。木の子供であるのであって、それもまた命という事を忘れた者に、強烈な反撃を食らわせたのだろう。

途端、鼻のひん曲がるような臭気がする。

――これは熊だ。視界の端に、確かに存在を確認できる。


「A、逃げてくれ、どうせ動けない。置いて逃げてくれ。」


 言われなくてもそうするさ。

だって、お前が望んだ生き様だったんだろう。


「じゃあ――また。」


「ああ、そうだね。また。」


 遠目に見たBは、腹から熊に齧られ、貪られている。

悲痛な叫びは熊の耳に少しも入っていないかのようだ。

何とも、何とも言い難くやるせない。


 これなら人にでも撃たれた方がよっぽどマシだったのではないだろうか。


 十分に離れたとみて、もう一度Bの方を見た。

先程の熊と、ほかにまた2頭、奪い合うでも無く分け合ってBを食べている。

 何故取り合わず――何かがおかしい。

得体の知れぬ不気味さを感じ、本能的に逃げ出した。




「なあ、言った通りだったろ?」


「ああ。果物ばっかり食わせるとこんなにうまいんだな。もう他の鹿なんて食えねえよ。」


「子鹿攫って育てて、鹿は果物を食べるもんだと教え込んで放つ。後は影響された鹿達が勝手に尾鰭つけて広めてくれる。」


「適当な果物に根っこから取った毒を塗って、後は待つだけ。こんなに楽な話はない。」 


「実行に移して良かったよ。仲間内で取り合う必要もなくなった。」


 涼しく爽やかな風が吹き抜ける。

仲間と分け合って肉を食べるのがこんなに楽しいとは。

いくらでも食べられそうだ。一口、また一口――――――

 

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