真夜中の来客

高里奏

真夜中の来客

 不本意ながら、学生には宿題というものがある。

 ただし、それを自分でこなすとは限らない。

 私の妹もそのひとりだった。家庭科の刺繍の宿題を姉で押しつけ、彼女は男友達と夏祭りへと遊びに出かけた。母は今夜は仕事で戻らない。

 ともなると、私はサウナのように暑い部屋にクーラーをつけ、裁縫箱から赤い刺繍糸とフランス刺繍針を取りだし果てしないアウトラインステッチを始めることになる。

 刺繍自体は嫌いじゃない。

 けれどもフランス刺繍よりはクロスステッチの方が好きだ。どうも、フランス刺繍の針は私の指を刺すのが好きのようだ。クロスステッチのそれとは違い先が尖っている。

 少しばかり飽きを感じつつもイニシアルの刺繍を続けていく。うっかり『M』にしてはいけない。『H』だ、自分の名前ではなく妹の名前の刺繍。

 妹とはずるい生き物だと思う。母を味方につけ、都合のいいときだけ姉を使い、普段は姉を邪魔者扱い。

 邪険にされるのには慣れているものの少しばかり寂しく思う。

 寂しい。

 今夜は寂しい。

 ひとり、クーラーの音だけが響くその部屋で刺繍を続ける。

 時折本棚に座ったクマのぬいぐるみと目が合う。私はクマに笑いかけた。特に意味のない行為だったけれども少しばかり気を紛らわせるくらいの役には立ってくれるだろう。

 そう、期待した。

 物音はクーラーの機械音。私の呼吸音。そして窓の外から風の音だけ。


 コンコン。


 誰かがとを叩いたのだろうか?

 なにか音がした。


 コンコン。


 いや、これは窓の方だ。

 窓を叩くとき、丁度こんな音がする。


 コンコン。


 きっと風の音だろう。

 ここは二階だ。


 コンコン。


 そう言えば、こないだ一年生の女の子が、全裸のおっさんに追いかけ回され友達の家に逃げ込んだ話を聞いたな。


 コンコン。


 彼女の友人の家はアパートの二階だったのに、窓を激しく叩かれたと聞く。


 コンコンコンコンコンコンコンコン。


 うるさい。

 音が小刻みになる。

 これがラップ音とかいうやつなのだろうか。


 コンコンコンコンコンコンコンコン。


 刺繍の手を止める。『コレ』はよくない。

 音楽でも聴いてきこえないふりでもしよう。

 そう思って、立ち上がり、棚からお気に入りのヘヴィメタルバンドのアルバムを取りだしプレイヤーにセットする。


 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン。


 今度はノックじゃない。


 パンパンッ。

 パンッ。


 叩く音。

 それも激しく叩く音。


 もう、我慢できない。


「ちょっと誰なの? もう止めなさい!」


 カーテンを開けて叫ぶ。

「え? 誰も……いない?」

 幻聴?

 疲れているせいかしら。

 音はもう止まった。

 きっと気のせいだった。外の空気を吸おう。それがいい。気分転換になる。

 全裸のおっさんがいなかったんだ。それだけでも安心だ。

 窓を開けようと手を伸ばすと、窓の下に白く煌めくなにかがあった。

 なんだろうと目を凝らして見る。

 それはゆらりと揺れた。

 もっと目を凝らす。

 まるでおいでおいでをするようなしぐさ。

 そして気付く。

 白いそれは人の腕だ。細く、しなやかそうに見えるそれは若い女の腕だろう。

 慌てて窓を閉めた。

 あの子の言っていた全裸のおっさんではなかったが、白い女の腕。

 夜の闇の中で煌めくそれはまるで地の底へと招くようだ。


 見てはいけない。

 見てはいけないものだ。


 ゆっくりとカーテンを閉める。

 忘れよう。

 CDプレイヤーの電源を入れる。懐かしい時代の音楽が流れ始めた。

 そして、先程見たものを振り払うように再び刺繍の手を動かした。



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真夜中の来客 高里奏 @KanadeTakasato

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