第104話 リリエラ日記1
小さな箱に銅貨が投げ入れられ、チャリーンと音が聞こえた。
その音を皮切りに、誰とも知れない男性たちが
月日も判断できないぐらいになると、毎日のように吐き気を催した。行為が終わった後に気付いた男性が、下品に笑いながら「
この時点で、自分の行き着く先を悟った。
「うぅ」
その地獄のような毎日も、夫のハーラス・デルヴィ伯爵が訪れて終わりを告げる。この金と権力の化け物に嫁いだのが運の尽きだった。
殺害を示唆されたが、気を失っている間に奴隷商人に売られていた。
ここで行われた調教では、人間の尊厳を
「ぁっ」
そして、可愛らしい小悪魔が現れた。
彼女の
他に助かる道が無いのならば、悪魔にでも魂を売ろう。
そう考えて、彼女に言われるがままに『
そして目を覚ましたら、小太りの男性が目の前にいた。
「はっ!」
(ゆ、夢? 私はミリアを捨てたのに、その夢を見るなんてね。リリエラという名前を
リリエラは眠そうな目を擦りながら、ベッドの上から起きだした。
太陽の光が部屋の中まで差し込んで、森と大地の匂いが心地良く感じる。しかしながら何かを思い出したかのように、勢いよく起きあがった。
今日は出発の日である。急いでフォルトのいる場所に向かわないと、不興を買って処分されるかもしれない。
「いっ急ぐっす!」
この口調は、フォルトの命令で使うようになった。
今のリリエラは、ミリアから生まれ変わったのだ。口調を変えたほうが、より別人になれるだろう。
与えられた小屋を出ると、彼女がマスターと呼ぶ人物が目に映った。
「マスター!」
「ん? 起きたか」
「マ、マスターの手が……」
「あぁ気にするな」
フォルトはテラスでくつろぎながら、カーミラを触っていた。
そういった行為にはトラウマがある。もちろん抗議ができる立場ではないので、リリエラは表情を曇らせた。
「ふわぁあ」
「大きな欠伸っすね」
「いつもは寝てる時間でーす!」
「そうっすか」
「リリエラを送りだしたら二度寝に入る」
「そっそうっすか?」
昨日は混乱しながらも、フォルトを観察していた。
リリエラとの会話中は眠そうだったが、それは食事中も同様である。少しでも目を離すと、幸せそうな顔で目を閉じていた。
また必ずと言って良いほど、誰かの体を触っている。
「では支度金を渡す。カーミラ……」
「はあい! これを使ってねぇ」
「ありがとうっす!」
カーミラから手渡された支度金は、日本円に換算すると十万円である。
つまり、金貨一枚だ。
リリエラがカルメリー王国の王女だった頃は、平民の生活に目を向けていた。彼らからすると、かなりの大金だと知っている。
そしてフォルトが、金銭や行動について口にする。
「今後は渡さないからな」
「はいっす!」
「双竜山の森に戻るのは一週間後だ」
「はいっす!」
「森の外まで一日。リトの町まで一日。往復で四日だな」
「はいっす!」
「残りの三日をどうするかはリリエラが考えろ」
「働けばいいっすか?」
「それも含めてな。さっさと戻って報告してもいい」
「なるほどっす」
(つまり自分で考えてやり繰りしろと……。普通の話だけど、これはマスターの遊びだわ。楽しませないと不興を買うわね)
悪魔のカーミラと結んだ『
楽しませなければ、双竜山の麓に捨てた男性のように処分されるだろう。
「森の外まではゴブリンが案内する。ついていけ」
「ゴブリンっすか?」
「うむ。リリエラには危害を加えないよう言ってある」
「凄いっすね!」
「戻るときも同様だ。入口で「森のゴブリンさーん!」と叫べ」
「………………」
「どうした?」
「森のゴブリンさーん!」
「それでいい」
リリエラは考える。
フォルトの遊びは、行動の過程を楽しむゲームだ。ならばそれを踏まえて、次のクエストが出されるはずだ。
それには、自身の成長も入っている。となると、成長の方向性も考える必要があるだろう。しかしながら、それは後回しでも良いか。
まずは与えられた金貨を増やすことが、最も重要だと思われた。
「ニャンシー」
「出発かの?」
フォルトの影から、ケットシーのニャンシーが現れた。
可愛くて抱きしめたくなるが、リリエラは抑えた。彼の使った魔法で奴隷紋は消えても、扱いが玩具であることには変わりない。
(マスターは優しそうだけど、冷酷な人でもあるわね。私を買おうとしていた男を平気で殺してしまった。悪魔を使役する人間なんてお察しだわ)
助けてもらって命を永らえたが、フォルトのことは何も知らない。
周囲にいる女性たちの中には、悪魔や魔族がいる。どう考えても優しいだけの人間ではないだろう。とはいえ、聖女だったソフィアもいる。
このあたりが、リリエラにはよく分からない。彼女の名声や人柄は知っている。悪人の近くにいるとは思えなかった。
「
「うむ。ではリリエラ、よろしくなのじゃ」
「よろしくお願いするっす!」
「今回はお助けキャラとして、ニャンシーを同行させる」
「分かったっす!」
「だが、身の危険から守るだけだ。他の件での助力は無いぞ」
「………………」
要はクエストについての相談ができないということだ。
魔物や暴漢に襲われたときだけ、ニャンシーが助けてくれる。
「ではゲームを再開する。出発しろ!」
「行ってくるっす!」
これから向かうリトの町は、双竜山の森から南に位置する。
リリエラは南側に広がる森に歩いていく。だが数十歩ほど進んだところで、いったん立ち止まって考え込む。
本当に、これで良いのかと……。
(何かおかしいわね。金貨一枚を支給されて、リトの町に出発。一見すると、何も問題は無さそうだけど……)
「あっ! マスター!」
リリエラは何かに思い当たり、振り向いてから戻る。
フォルトは二度寝に入ると言っていたが、ずっと行動を見ていた。
「どうした。行かないのか?」
「携帯用の食料と水袋を提供してほしいっす」
「ははっ。よく気付いたな」
「はいっす!」
金銭以外に何も持たず、出発などあり得ない。
フォルトの屋敷からリトの町までは、森の中を含めて二日も必要なのだ。リリエラの足であれば、ほとんど休憩は取れない。
食料や水が無ければ、確実に倒れてしまう。
「他は?」
「両替してほしいっす!」
「金貨を持ち歩いてると危ないか?」
「そうっす。マスターも人が悪いっす」
試されていたわけではないだろう。
このまま出発しても、フォルトは何も言わなかったと思われた。過程を楽しむのだから、道中でリリエラが倒れることもゲームの内である。空腹で動けなくなった場合は、ニャンシーが連れ戻すはずだ。
そうなると、失望されて評価が下がる。自身にとって良い結果にならない。
「カーミラ、渡してやれ」
「はあい! じゃあ小銭のほうを多くしとくねぇ」
「はいっす!」
「しかし、リリエラは頭がいいな」
「そうでもないっすよ?」
「飲み水なら、川のほうがいいぞ」
「分かったっす!」
(あれ? それを教えてくれるんだ。マスターってよく分からない人ね。黙っていれば、湖か川の選択を見られるのに……)
フォルトを見ると機嫌が良いようだ。
気に入られたかと思ったが、リリエラは首を振って否定した。まだそのような期待をしては駄目である。
「どうした?」
「なんでもないっす!」
「袋も渡しとくねぇ。中身を確認してくださーい!」
「ありがとうっす………………え?」
もともと準備していたようで、カーミラから袋を受け取った。中身は食料や水袋の他に、なんと鉄製のナイフが入っている。
これには驚いてしまった。
ナイフの先が自分たちに向くとは考えないのか、と。
「えへへ。やってみますかぁ?」
「あ……。じ、自衛のためですよね?」
「そうでーす!」
悪魔のカーミラには、リリエラの心などお見通しなのだろう。
ナイフを向けた瞬間に殺されるだけだ。
「マ、マスター、今度こそ行ってくるっす!」
「あぁ気を付けてな」
「はいっす!」
慌てたリリエラはフォルトの提案どおり、川に向かって出発する。
ここで湖の水を
「ニャンシー様」
「………………」
リリエラは川に到着すると、自身の影を見ながら水袋を満たす。
そしてニャンシーに声をかけるが、まったく反応がない。フォルトの命令を忠実に守っているのだろう。
(マスターって何者なのかしら? 悪魔に魔族、それに魔界の魔物。元ローイン家令嬢や異世界人の女性。そして、元聖女のソフィア様……)
昨日は全員と食卓を囲んだので、彼女たちと会話した。大したことは話していないが、とても考えられない組み合わせだ。
またフォルトの屋敷では、召喚された魔物が使役されている。しかもそれらは、リリエラを襲ってこない。ただ黙々と仕事に従事していた。
改めて出発の準備を終えて、南の森に足を踏み入れた。
(怖いわ。でも、あの地獄と比べれば……)
「森のゴブリンさーん!」
「ギャ?」
「きゃあ!」
「ツイテコイ」
フォルトから言われたとおりに叫んでみると、一体のゴブリンが現れた。
ビックリしてしまったが、リリエラに対して手招きしている。襲ってくる気配も無く、道案内をしてくれた。
それから一日をかけて森を抜け、一番近いリトの町まで歩く。幸いにも魔物や夜盗に襲われず、夕方までには到着した。
ただし、食料や水は底をついている。
(着いたわ。でも、食料と水があって良かったわ。これが無ければ途中でヘバっていたわね。夜には夜盗も出るし、運がいいのかしら?)
リトの町は大きくないが、それなりに人が往来していた。
町の中央には、意味深な塔が建っている。魔法的な何かを
そして、ここからが問題だ。
まずは教会に立ち寄って、カードを作る必要がある。
「あ、あの……」
早速リリエラは、近くにいた男性に声をかける。
リトの町には初めて訪れたので、街並みなどは分からない。
「何だい?」
「教会ってどこっすか?」
「お嬢ちゃんは、リトの町が初めてかい?」
「そうっす!」
「なら、おじさんが連れていってあげよう」
男性をよく見ると、フォルトのような中年だった。
人の良さそう顔をして、ニコニコと笑顔を浮かべている。しかしながら、リリエラにはある不安が浮かんだ。
(私の格好って、どう見てもスラムにいそうな人間よね? なのにおじさんは、嫌な顔をしないで優しく……)
「いっいえ。場所だけ教えてほしいっす!」
「そう言わずにさ。おじさんに任せなさい」
「だっだっだっ大丈夫っす!」
リリエラは走り出して、その場から立ち去った。
男性は追いかけてこないが、とにかく必死に離れる。
「はぁはぁ。ここまでくれば……」
逃げるにしても、闇雲に走ったわけではない。
スキルの『
(危なかったわ。スラムの人間が行方不明になるなんて普通だからね。服装をどうにかしたいけど、今は買えないわ)
「すっすみません! 教会ってどこっすか?」
「教会なら……」
「ありがとうっす!」
今度はふくよかな中年女性に声をかけてみた。
しかも買物の帰りで、荷物を持っていた女性である。それが功を奏したのか、目的の場所を教えてもらえた。
教会では、無償で宿を提供してくれるはずだ。
「教会に何か御用ですか?」
教会に到着すると、女性の神官が笑顔で出迎えてくれた。
優しそうな表情にホッとしたリリエラは、教会に訪れた目的を伝える。
「身分証明書用のカードですね。では中で手続きします」
「はいっす!」
「もう夜になるので、宿を提供しましょうか?」
「助かるっす!」
リリエラの服装で判断されたのだろうが、宿の提供は狙っていた。炊き出し程度の食事にもありつけるため、金銭を節約できる。
手続きを完了させた後は、両替してもらった銀貨で支払った。ここで金貨を出したら、宿の提供どころか衛兵に突き出されるだろう。
(そう言えば、私のカードってどうなってるのかしら?)
女性の神官からカードを受け取ったリリエラは、その内容を見てホッとする。名前の欄には、リリエラと書かれていた。
ミリアと表示されるのではないか、とばかり思っていた。
「仕組みなんて分からないっす」
そう
教会を頼ってきた男女がいるが、声をかけたりはしなかった。
(これからやるべきは……。仕事を見つけることだわ。残りは五日かぁ。三日は働けるから、朝一番で探さないとね! すぐに働けるといいのだけれど……)
良くも悪くも、フォルトのゲームはスタートしている。
これからどうなるか、リリエラには気が気でない。とはいえ、あの地獄のような日々には戻りたくなかった。誰からも犯されず、こうやってご飯も食べられる。
そんなことを考えながら、炊き出しを食べて眠りに就いたのであった。
――――――――――
Copyright(C)2021-特攻君
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