第一章 堕ちた魔人 ※改稿済み

第1話 魔人への序曲

 六畳一間の部屋の中。

 この部屋には、テレビが一台とパソコンが一台ずつ設置されている。中央に大きなベッドがあり、周囲には本棚が並んでいた。

 そしてベッドの上には、一人の人間が座っている。少しビール腹が気になる小太りの男性だ。四十代後半の中年で、氷河期世代と呼ばれる年齢だった。


「つまんね」


 その男性は、テレビを見ながらつぶやく。

 映っているのは、二人組のお笑い芸人だった。人気のある番組で面白そうだが、男性の視線は冷たい。


「どいつもこいつも同じに見えるなあ」


 男性は手に持ったリモコンを操作して、番組を変える。しかしながら興味を引く番組は無く、テレビの電源が落とされた。

 そして体をずらし、隣に設置されたパソコンを操作する。インターネットに接続して、モニターに文字と写真を大量に表示させた。

 それらをマウスでクリックして、次のページに飛んでいく。暫くモニターを見ていると、また最初の画面に戻った。

 それを数回ほど繰り返している。


(へえ。こいつが結婚するのか。さて、お相手はっと……。ちっ。人気アイドルじゃねぇか。お約束のようだが羨ましいねえ)


「くそっ!」


(嫉妬を獲得)


「ん? 声が聞こえたけど……。気のせいか」


 その後も男性は様々なページを見ているが、やはり興味を引くものが無い。喉が渇いたのか、パソコンの横に置いてあるペットボトルに手を伸ばす。

 中身を一口飲んだ後は、パソコンを操作する。裸体女性の画像が大量に表示された画面に進み、ペットボトルを元の場所へ戻した。

 そして、おもむろにズボンを脱ぐ。

 下半身を露出させた男性は、スムーズな流れで気に入った画面をクリックした。すると動画が再生されて、性欲を刺激する女性のあえぎ声が流れだす。

 男性は下半身へ手を伸ばして処理を開始した。


「はあ。虚しいが他にやることもねぇしな」


 男性は暫く処理を続けて、動画を止める。

 それからティッシュで汚れをふき取り、ゴミ箱に投げ捨てた。もちろんそれで終わったわけでもなく、二度三度と同様の行為を繰り返す。

 随分とまっていたのだろう。飽きるまで続けていた。


「ふう。こんなものかな」


(色欲を獲得)


「ん?」


 先ほども聞いたような声が耳に入る。とはいえそれっきり何も聞こえないので、何事もなかったかのように部屋を出た。

 男性の向かう先は台所で、冷蔵庫を開けて食品を取り出す。

 それらはインスタント食品だった。男性はカップ麺に湯を注いで、電子レンジで冷凍食品を解凍する。

 テーブルの上には、大量のインスタント食品が置いてあった。カップ麺が三個、冷凍の唐揚げやエビチリなどもある。

 男性は夜にしか食さない。朝と昼は抜き、まとめて夜中に食べているのだ。


「食い過ぎか? でも一日で見れば平気か」


 首を傾げた男性は、テーブルに並べた食品を残さず平らげた。

 腹八分を通り越して満腹である。お腹に手を置いて背中を反らすと、とても苦し気な表情を浮かべた。


「さっさすがにもう食べられない。うっぷ!」


(暴食を獲得)


「またか……。隣のテレビの音か?」


 男性は耳を澄ましたが、何も聞こえなかった。

 このまま台所にいても仕方ないので、次は風呂場に移動する。バスユニットタイプだが、湯は張られていない。

 服を脱いだ後は、体を入念に洗う。続けてシャワーを浴び、浴室を出た。体に付着した水滴は、バスタオルを使って拭き取る。最後はドライヤーを使って、髪の毛を乾かした。

 特に決まった髪形はない。


(さて、明日は薬をもらいに病院へ行かねえとなあ。でも面倒臭いな。そういや明日は雨だっけ? やめだやめ! 行かねぇ)


 男性はブツブツと呟きながら、六畳一間の部屋に戻った。

 そしてベッドの上に座り、パソコンの横に置いてある飲料を旨そうに飲み干す。空になったペットボトルはゴミ袋に入れ、裸のまま横になって火照りを冷ます。


「はぁ……」


 その火照りが消えた頃に、男性は服を着て寝転がった。

 それからテレビを見るが、残念ながら男性の興味を引く番組はない。当然のように電源が落とされた。その後はパソコンを起動してゲームを始める。

 これは日課であり、無料ゲームに手を出して遊んでいた。


「飽きたな。寝よ」


 男性は部屋の電気を消して睡眠に入る。

 寝ている間は、何度もうなされていた。額からは汗が吹き出し、酷いいびきをかきながら寝返りを打っている。

 そして、朝を迎えて目覚めた。


「朝か。あぁだるい……。よし二度寝」


 男性は目を覚ましたが、再び目を閉じて惰眠を貪る。

 現在は無職だった。この男性の世代で職探しは無理があり、雇ってくれる企業は皆無である。日雇いの仕事を探す必要があっても、働く意欲は無かった。

 唯一の頼みである貯金が底を突く寸前でも、だ。


(怠惰を獲得)


 再び謎の声が部屋に響く。とはいえ、今回は眠っているので聞こえなかった。惰眠を貪って、時間だけが過ぎていく。

 そして、昼間近くになってから目を覚ました。


「んっ! 起きるか……」


 目を擦りながら起きだした男性は、リモコンを操作してテレビを点ける。

 この時間に流れている番組は情報番組ばかりだった。司会者とコメンテーターが様々な事柄について、一方的な考えを述べているような番組である。


(こいつらって、適当なことばかり言ってるよなあ。後出しばっか。文句があるならオメエがやれよって感じだな)


 現在の自分を棚に上げて、男性はコメンテーターを罵った。

 もちろん、自身の現状は分かっている。分かっていて言っているのだ。にもかかわらず、相手を上から目線で見てしまう。


(傲慢を獲得)


「あん?」


 他人を侮辱しているときは、決まって機嫌が悪い。

 就寝前まで聞こえていた声のことは、すっかり忘れていた。しかしながら再び声が聞こえたので、機嫌が更に悪くなる。


「起きたかい? ご飯があるけど……」

「うるせえよ!」


 部屋の扉の前から、母親の声が聞こえた。ところが機嫌が悪くなっているために、大声で怒鳴ってしまった。

 この男性は、自宅に引き籠っていたのだ。

 社会問題となっている氷河期世代の引き籠りだった。


「だけどね。せっかく作ったんだから……」

「頼んでねえよ! 部屋まで来るんじゃねえ!」


(憤怒を獲得)


「ああっ! うるせぇ、うるせぇ、うるせえよ!」

「わっ分かったわよ」


 怒鳴り散らされたことに恐怖したのか、母親は部屋の前から離れていく。

 後悔の念が男性に押し寄せるが、頭を振って追い出した。


「分かってんだ。でも、どうしようもねぇんだよ」


(二十年も勤めた会社から解雇を言い渡されて、彼女にも振られて……。それから人を遠くから眺めるようになって、人間が嫌いになっちまったんだよ!)


 男性はベッドへ横になりながら考える。

 それは、答えのないループだった。

 母親は高齢だ。本来ならば、働いて楽をさせる必要がある。もちろん分かっているが、職を探す気力が無い。

 それでも働かないと、数年後には飯が食べられなくなる。


(金か。金が無いと生きていけねぇ。だが、金を稼ぐには働かなきゃならねぇ。俺はこんなクズだ。働けねえ。何でこうなったんだろ?)


「俺は四十代後半だ。不摂生がたたって病気持ちだし……」


 男性は十年以上も、引き籠りを続けている。

 酒は飲んでいないが、煙草をやめられない。好きなときに食べて、好きなときに寝る。運動もやっていない。

 不摂生になるものうなずける。


(死ぬまで後二十年ぐらいか? 宝クジでも当たればなあ。欲しいものも買えるし、旨い飯も食える。女もできるだろ。女は無理か。この歳で不細工だしな)


(強欲を獲得)


「またか……。この声は何なんだ?」


 苛立った男性はベッドから起き上がり、パソコンの電源を入れる。

 すると、昨日までスムーズに動いていたパソコンが起動しない。モニターの画面は真っ黒の状態だ。

 触ったりたたいたりして様子を見るが、まったく反応がない。


「壊れたか? 金なんて無いから終わりだなあ」


 男性は不貞腐れながら、ベッドに座り直した。

 それから絶望にゆがんだ表情に変わって、モニターをジッと眺めている。いま現在パソコンが唯一の楽しみであり、男性のすべてだった。

 それが壊れるということは、これから何もやれなくなることと同義である。


「終わりだなあ。じゃあ死ぬか」


 男性は部屋あるクローゼットの中から、太めのロープを取り出す。

 前々から用意していた。自分の状態は分かっている。それゆえの用意だった。前から考えていたのだ。


 どうやって死のうかと……。


 それでも痛いのが苦手で、体を傷つけたりする行為は無理だった。だからこそ、首をるわけだ。しかしながらロープを取り出しても、天井へ吊り下げられない。引っかけられるものが無いからだ。

 照明用のライトに巻いても、すぐに取れてしまう。


「くそっ! 俺はダメダメだな」


 気が抜けてしまった男性は、ベッドへ腰を落とした。自宅の外に出て死のうにも、その行動自体が面倒だった。

 ロープを手に取って考えるが、良い方法が浮かばない。


「うーん。餓死が楽かもなあ。何も食わなきゃ死ねるかな?」


 男性はひらめいたつもりで、ベッドの上で横になる。

 食事も用意されている自宅で、餓死が可能かどうかは分からない。底の浅い思考ではあるが、そのまま目を閉じて眠ってしまった。

 もう飯を食べないと思いながら……。



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