青井戸

エリー.ファー

青井戸

 答えが分からない。

 ずっと井戸の中で考えている。

 どうすればよかったのか。

 何が正解だったのか全く分からない。

 急に意識が飛びそうになるような感覚と言えばわかりやすいだろうか。

 顔が熱くなり、自分の中にある臓器が飛び出してしまうような感覚。

 情緒が暴れだして、制御できない。

 意味を考えられない。

 肌がかゆい。

 唾を飲み込もうとしてむせる。

 そして。

 井戸の中。

 青い井戸の中に捨てられてしまった私の体である。いつか干からびてここから消えてしまうのではないかと思える。まるで何かに復讐するがごとく、自分の人生を捧げている。

 あぁ。戻ってきた。

 また、ここに戻って来れた。

 どうして、自分から遠ざかりそうになってしまうのだろう。忘れそうになるのは、自分の思考や宗教そのものである。

 自分は一度だけでも大切にしておくべきだと思っていた。

 でも。

 最初からそんなに重要ではなかったのかもしれない。

 この井戸に捨てられるまで続いた勘違い。

 井戸が狭い。この中では何も思いを作り出すことができない。

 井戸の中の物語を、少しでも誰かに知ってもらいたい。光に恋焦がれてしまう、哀れさを語りたい。

 井戸を埋めてしまえと誰かが言うものだから、走って逃げだしたいというのに誰かの寂しさが食い込んで、体が重くなっていく。誰かの思い出が、身勝手に質量をもって私にとりついている。卑怯だ。自分で持てないからといって、井戸の中に投げ込んでよいという道理など存在するはずもない。

 こうやって損ばかりである。

 得がない。

 損に慣れてしまう自分に心から苛立ってしまう。やめてほしい。本当に、ここで終わりにしたい。

 この心の呪いを、どこかにある、誰かのための、なんてことのない井戸に投げ込んでしまいたい。聞きたくないのだ。声を。

 たまに考えてしまうのは。

 この声も、誰かの力になるのか、ということだ。

 この苦しみが誰かにとっての力となり、その力が誰かにとってはまっすぐな思いそのものになっていくのなら悪くはないと思える。そのための喉を潰し、そのために心を歪ませ、そのために自分という生き方に向き合っているならそれも悪くはない。

 と、思いたかった。

 自分を騙したかった。

 駄目だ。やはり、この場所に幸福はない。

 それを知ってもらうためだけの叫び声でしかない。

 この想いを井戸の外へ、そして必ず誰かの心を震わせる何かへ。

「もしもし、井戸の底に誰かいらっしゃいますか。私はこの辺りに住んでいる者です。井戸の中から何か物音がすると聞いたのでやって来たのです。誰かいませんか。今なら、助けられますので声を出していただけますか。もしもし、そこに誰かいらっしゃいませんか。誰かいらっしゃいませんか」

 声を出す絶好のタイミングである。

 声帯を震わせようとした。

 何を口に出すか考えた。

 それから一時間。

 沈黙した。

 誰かの足音がきこえる。遠ざかっていく。自然音だけになり、音が澄んでいく。

 目を瞑り、腕を組み、井戸の壁面を指でなぞる。滑っている。非常に気持ちがいい。舌を出して舐める。冷たい。苔を齧る。苦みがある。

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