第17話「十四歳のハロー・ワールド その2」

「いや〜はは……助かったよ……少年。名前は?」

 ずぶ濡れの少女が言う。おそらく高校生くらいだろうか? 年上のお姉さんから「少年」だなんて呼ばれる、そんな漫画みたいな経験、あるか? ちょっと嬉しかったのを覚えているよ。

 でもなんかこのお姉さん、さっきまで川で溺れていたので妙に生臭くて、魚の缶詰を洗った後のスポンジみたいな匂いがしたよ……不思議と嫌じゃなかったんだけど、あんまり絵にはならないと思うな。


「山……いや、ミヤモトです。ミヤモトと言います」

 本名を名乗るのは、なんとなく抵抗があったので、とっさに、さっきまで聴いていたCDのボーカル、ミヤモトの名前を口にした。俺は江戸川コナンかよ。

 ……でもさ、「山田 太一」なんて本名じゃ、なんとなく格好つかないよな? 全国の「山田 太一」さん。すまねえな。俺は好きだぜ。この名前。

 

「ミヤモト。改めて、ありがとね。いじめを苦に飛び降りようとした女の子を助けるなんて、なかなか出来たもんじゃないよ。貴重な経験だったね」

 うわなんだ、コイツ。聞いてもないのに自分の境遇を語り出した上に妙に上から目線で腹立つな……あと、自分も名乗れよ……なんか全体的に湿ってて生臭いクセにカッコつけてんじゃねえよ。

 そんなこと考えながら、彼女の白いブラウスに透けた水色をぼんやりと眺めていたら、馬鹿馬鹿しくなって吹き出してしまった。


 なんかさ、やっぱり……自殺なんてドラマチックなこと、似合わねえんだなって。俺らみたいな間抜けなガキには。


「あ、ちょっと待っててくださいね。タオルと……あと、サンダルとか……買ってきます。そこの百均で」

 彼女をその場に残し、百均で、三枚セット百円のタオルと、派手な色のビニールサンダルを購入した。所持金が二百円しかなかったので、十円の消費税を払うために、自販機の下に手を突っ込んだりもしたんだが、それは見逃してくれたら嬉しい。

「男子中学生」って言葉には「万年金欠」って意味もあるんだ。まァ俺は今でも万年金欠なんだけどな。どうして……


 当時の俺はいつでも女の子のことばかり考えていた。中学生のガキながら、女子の学生服姿なんかは、特にキュートだと思っていた。

 今でも、眠れない夜だとかに、オークションサイトやフリマサイトで、学生服を見て、妙にむず痒い気分になったりする。購入したことはないんだけどな……万年金欠なので……


「母校の制服の出品者が、昔好きだった女の子で、なんやかんや会うことになって始まる青春のアフターストーリー」といった筋書きの小説をネットに載せていた黒歴史だってある。

 あの主人公はどうなったんだっけ……幸せになっているといいが、そんなやつ、幸福になんかなれっこなさそうだよな。


 まぁ、とにかく当時の俺は、いつでも女の子のことを考えていて、女の子が困っていたら、多少ムカつくやつでも全財産を投げ打ってでも、助けになりたいと思っていた。と、そんな意気込んだことを言っても、川に流された靴の代わりにサンダルを買ってくるとか、そのくらいのことしかできないんだけどな。


 そんなこんなでペラペラのタオルとサンダルを手渡すと彼女は「ありがとう」と言ってぎこちなく笑った。

 俺も不思議と悪い気はしなかったけど、妙にくすぐったい気持ちになったので

「あ、そういえばこの辺で……エロ本落ちてる場所って知ってますか?」

 と不器用な照れ隠しをした。


「……なんで?」

 当然の疑問が返ってきたので、ここに来た経緯を話した。

 家出願望のこと、資金のためエロ本が必要なこと……


「ただのアホなガキじゃん」

 そう言って彼女は笑った。ケタケタと、笑い慣れてない人みたいに笑った。釣られて俺も笑った。少し乾いた茶色いボブカットが、風に吹かれて、少しだけ、春みたいな香りがした、気がした。実際は、たぶん、臭かったんだろうけどな。


 その後、名前も知らない女の子との、素敵なボーイミーツガールが始まる……! ということはなかった。

 真夏のような汗と、川の匂いの混ざった最悪な人間が二人いて、男の子が女の子を自転車の荷台に座らせて家まで送り届けた。ただ、それだけで終わる話。


 日も暮れて、女の子の家が近づいて、熱を持った足が痛くて、もうすぐお別れで、「右」とか、「左、あ、ちょっと右行ってから左ね」とかそんな雑なナビゲートにも慣れてきて、カラスがめんどくさそうに鳴いて、永遠みたいな顔した時の流れにイラついて、もうお別れで。

「次の角を曲がって、そこの空き地の前で下ろしてね」って指示をくれた女の子がボソッと

「まぁ、もう少しだけ生きてみるか」

 とつぶやいて。

 そんな、名前も知らない女の子のことを、俺はなんとなく、いつまでも覚えていて。ただそれだけの話で。


 その後、俺は別に、家出なんてドラマチックな行動もせず、なんとなく普通に高校を出て、なんとなく普通に就職して、なんとなく普通に心を病んで、なんとなく普通に体も病んで。

 ただのくたばりぞこないの三十代になっても「まぁ、もう少しだけ生きてみるか」と、図々しく生きている。


 ごめんな、十四歳の俺。カッコ悪いよな。でもさ……世界はたまに楽しいぜ。


 ——


 久しぶりに配信でもしようか。アカウントとか消しちゃったけどさ……もともと図々しいから、今更だろ……?

 アキバ産の怪しいジャンク品で組み上げたオンボロデスクトップの電源を押す。まるで、俺の体みたいに嫌な悲鳴をあげて、めんどくさそうに起動する。ブラウザを立ち上げ、動画サイトを開く。


 そしたらそこに、ノノがいた。

 予想だにしていなかったことに、俺はケタケタと笑って、久しぶりに笑ったことを思い出して、少し胸が苦しくなって、少しだけ泣いて、その後、昨日風呂入ってなかったことを思い出して、絵にならなくて、また少し笑った。


 なぁ、俺、十四歳の俺。世界は楽しいぜ。

 

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