EXIT!

仲間 四恩

プロローグ

 20XX年8時間鈴鹿耐久バイクレース、既にライトオンされた最終周。

1位~3位のトップ集団をワークスチームが占めていた。その差は1秒以内と大接戦。

 トップ集団に1秒ほど遅れて、奇跡が起きていた。プライベートチームが、4位に食らいついていたのだ。弱者が強者に勝つための綿密な戦略。それは、常軌を逸したピット回数の削減。その結果は、タイヤへの負担となって表れていた。


 グリップ力が落ちたタイヤと必死の格闘を続ける、プライベートチームの名は「ピンキーサイクロン」鈴鹿サーキットのスプーンカーブを立ち上がる最後のスプリントは、チームメインライダーがマシンを駆る。

 ピンキーサイクロンのメインライダーは、身長150センチ以下か?カウルの陰に体をすっぼりと隠す事が出来る。その空力特性はワークスマシンを遥かに凌ぐ。しかも、体重は並み居るトップライダーより、40キロ以上軽い。


 伝説のF1パイロット、アラン・プロストは身長165センチ。ケケ・ロズベルグ、ジル・ビルニューブも欧米人としては身長が低く、体重は軽かった。

 ピンキーサイクロンメインライダーの身長と体重は、200馬力を超えるワークスモンスターマシンとプライベーターマシンが、互角に戦うための最強の武器だった。


 スプーンカーブの立ち上がり加速で、先行する3位のワークスチームマシンのスリップストリームに入った4位のピンキーサイクロン。煌々と輝くヘッドライトの光に、1位のライダーのグリーンのヘルメットが、ちらちらと輝く。1位までの差は0.5秒もない。

 2~4位までのライダーに、今の順位に満足している者は一人もいない。

絶対に優勝する。そのためには…、全員同じ戦術を考えていた。

「最終コーナー手前、シケインで勝負をかける」

130Rを過ぎるまで、このままの位置をキープ。最終コーナー手前の、右曲がり第一シケインの突っ込みで先行する。左曲がりの第二シケインから最終コーナーは、そのまま先行をキープし、先頭でチェッカーを受ける。


「そうすれば、俺が優勝だ!」


 時速250キロオーバーで走るトップ集団に、第一シケインがみるみる近づいてくる。

 2位から4位までの逆転戦術は、先頭のライダーもお見通し。限界ぎりぎりのブレーキングをしシフトダウン。バイクを右に傾け、アウトからインへ切り込んでいく。「ダメだ。突っ込みで負けた、抜けない」2、3位のライダーがそう思ったその時だった。


 ヘルメットからカウルまで、オールショッキングピンクのマシンが、1位のバイクのイン側をカウルをかすめて、追い抜いていく。常軌を逸したコーナーアプローチに、先頭グループのライダーも、シケインから最終コーナーまで目視できるメインスタンドの観客も、モニターを見ていた鈴鹿サーキットの観客も、全員が「曲がり切れない!」と思った。その刹那、ピンキーサイクロンは、タイヤがロックするぎりぎりのブレーキをかけ、同時にローギアまで一気にシフトダウン。前輪に過重移動しアクセルをがばっと開けると、パワーバンドをキープし続けてた190馬力のエンジンが最大限のパワーとトルクを発揮し、スリックタイヤの後輪が激しくホイールスピン。暴れるショッキングピンクの跳ね馬をピンキーサイクロンメインライダーは全身で抑えつけ、竜巻のように右へ急旋回して第一シケインを曲がっていく。

 曲がりながら、第二シケインから最終コーナーへのラインが見える直前、百分の一秒以下の一瞬に、アクセルを開けたまま、ギアをセカンドをアップしカウンターステアを当てる。遠心力で車体を立ち上がる力を利用して、すぱっと反対側の左側に切り返すし、第二シケインを前輪と後輪を同時に滑らせて、加速しながら曲がっていく。


 「やられた!」

ピンクの跳ね馬の後塵を拝したワークスチームライダー達が、そう思った瞬間、第二シケインのクリッピングポイントを通り過ぎたピンキーサイクロンは、今度はバイクを右側へ切り返し、立ち上がろうとするマシンをハングオンで抑えつける。右ひざを地面に擦りながら、さらに右肩までも地面にすれすれにして、フルスロットルで二輪ドリフト。甲高いレーシングエンジンの咆哮を轟かせ、最終コーナーを先頭で立ち上がっていく。


「何だあのコーナーリング!」

「凄いもの見ちゃったよ!」

 鈴鹿サーキットのメインスタンドがどよめく。

 モニターにくぎ付けとなった、女性メカニックだけのピンキーサイクロンのパドックでは、黄色い大歓声が上がる。メインライダーとコンビを組んでいる、サブライダーの井形ユリがパドックを飛び出し、聞こえるはずも無いのに、最終コーナーへ向かって叫んだ。

「行けぇぇぇ!」


 最終コーナーを二輪ドリフトで駆け抜けていくピンキーサイクロン。レーシングマシンのエキゾーストノートに隠されて、ズブンッと野太い音がメインライダーに聞こえ、がくっとした振動が前腕に伝わる。

 遂にタイヤが限界を超えた。前輪がバーストしたのだ。

 万事休す…。

 しかし、ピンキーサイクロンは、何事も無かったように最終コーナーを理想のラインをトレースして、立ち上がっていく。レーシングバイクの安定性は神の領域か?いや違う。前輪のバーストを察知したメインライダーが、とっさに後輪だけで走行する、ウィリー走行へ切り替えたのだ。 鈴鹿サーキット最終コーナーを後輪だけでドリフトし、フルスロットルでハングオン!

 メインライダーは歯を食いしばり、スロットルを少しも戻さず、パワーバンドを維持するため、遠心力と戦っている。身長と体重だけが、ピンキーサイクロンメインライダーの武器では無いのだ。

 しかし、一輪での限界は二輪よりも低い。ピンキーサイクロンは理想のラインから外れ、最終コーナーの外側への膨らんでいった


 その背後。世界トップ3の実力を誇るワークスマシン達が、最終コーナーのクリッピングポイントを超えて、アクセルを全開にしていた。モンスターワークスマシン3台が、DOHCエンジンの咆哮を挙げ、ピンキーサイクロンに襲い掛かる。もう、フィニッシュラインまで、1秒もかからない。


 4台のヘッドライトが、4本の稲妻となり、フィニッシュラインを通り過ぎた。


 妙に静かだ。自ら駆っていた、マシンのエンジン音が聞こえないサーキットは、奇妙な静寂を感じる。前輪がバーストしたピンキーサイクロンは、フィニッシュラインを超えた直後、パワーバンドをキープし続けたエンジンは限界を超えた。ウィリー走行のまま惰性で走りづつて、ホームストレ―トの終わり、コースの端にピンキーサイクロンは止まった。

 「良く走ってくれた。ありがとう」

そうピンキーサイクロンを労わるメインライダーに向って、 メインスタンドからは、声援と拍手が送られていた。

「すげえぞ!ピンキー…なんとか!」

「あのコーナーリングは、エディ・ローソンを超えたぞ!」

「神だ!神!」

 コアなレースファンしか知らない、全くの無名チームのピンキーサイクロン。それが、ワークスマシンと堂々と渡り合ったのだ。観衆のボルテージは最高潮に達していた。


 すっかり日は、落ちた鈴鹿サーキット。

 ピンキーサイクロンのメインライダーが、フルフェイスのヘルメットを外した。次々に通り過ぎるヘッドライトに照らされるその表情は、冷めたぶすっとしていた。それでも、メインスタンドの観衆に手を振る。


 その姿が、鈴鹿サーキット内各地にあるモニターに写された途端、鈴鹿サーキットの全てで、地響きのようなどよめきが起こった。

「え?女の子?」

「マジか!あのランディングだぞ」

「名前からして男だろ!」

どよめきを無視して、「はぁ…」とため息をついたメインライダー。メインスタンド前の巨大モニターに写されていた、日の丸を持ちウィンニングランをするグリーンのワークスマシンを見て、唇を噛みしめていた。

(いくらほめられたって、負けは負け。表彰台にも乗れやしないし…)

 そう思い、 ピットへと歩きはじめた。

 ピットから、ライディングスーツ姿が一人、全速力で駆け寄ってくる。井形ユリだった。

 「ゆってぃ!凄いよ!凄すぎるよ!」

 ゆってぃとは、ピンキーサイクロン、メインライダー神木祐希のニックネーム。二人はコンビを組み、この耐久レースを8時間闘い抜いた戦友だ。


 ピットへ帰った祐希とユリを、ピットクルーは大歓声で迎えた。

「ゆってぃ!ユリ!ありがとう!四位入賞なんて夢みたいだよ!」

監督のポップ山村が、涙で顔をくしゃくしゃにして、祐希とユリを抱きしめ言った。

「来年は、優勝を狙う!いや、絶対に優勝する!」


「予想通りでしたね」

「ええ、まあ。そんなに難しい予想じゃ無かったけど」

「それでも、1位から3位を当てるなんて、凄い事ですよ」

「日本のワークスチームの3社が、勝つのは見えてるでしょ?」

「でも、今回の優勝は26年ぶりです。なかなか当たりませんよ」

「運がよかったのかな」そう笑う女。その手の世界では、顔が知れた女だった。

 そこは、都内高級バーのVIPルーム。壁には300インチの巨大スクリーンがセットされていて、8時間鈴鹿耐久バイクレースの表彰式が、生中継で写されていた。 反対の壁には、競馬のように、単式、連勝複式、3連単などのオッズが表示されている。

 そう、その手の世界とはギャンブル。


「はい、こちらが3連単を当てた、あなたの取り分です」

2,000万円程の勝ち金をサムソナイトのキャリーバッグに詰め込んだ女は、VIPルームから出て、エレベーターに乗り込んだ。一人になり女は、気が緩んだのか、大きなため息をついた。

 危なかった。

 もしもあの時、ピンキーサイクロンが3位以内に入っていたら今日のギャンブルは大負けだっだ。


綿密な情報収集。

収集した情報の分析から得た確率。

その確率に基いた、勝利の方程式。

それが、ギャンブルに勝つための戦術である。


 1回の勝負だけなら、ギャンブルには運はある。しかし、何回、何十回もの勝負から、勝敗を決するのなら、ギャンブルは確率論で決まる。今回のレースのように、8時間もの時間の中、ライダーが交代し天候が変わり、コースを何周も周り、人間も機械も疲労する。

精神力が無い者などいない。

全員が貪欲に勝利を目指し、戦い続ける勝負。

運だけで勝てるはずが無い。

ギャンブルの勝敗に運はない。それが女の持論だっだ。


「それが、何なの!あのピンキーサイクロンっていうチームは!」 

 もちろん、彼女のデータに漏れは無かった。プライベーターのピンキーサイクロンもリサーチしていた。8時間鈴鹿耐久バイクレースへ23回目出場している。毎回チーム名を変えて出てくるので判りずらいが、監督は毎回同一人物。その成績は21回のリタイヤ。最高順位は70チーム中62位。これは、8チームがリタイヤしての62位、つまり完走したチームの中では最下位だった。それが最高順位だったのだ。

 プライベーターは、金も人も無い。それが、ピンキーサイクロンに増えたという情報も無かった。しかも、女性ライダーが二人だ。3位以内に入る確率は、限りなくゼロに近い。いや、絶対にゼロと言っても良い。絶対にありえないい。

 それが、なんでトップ争いに加わったのか?

 一瞬とは言え、一位にもなったのか?

 あの、最後の第一シケインへの突っ込みは何?

 リスクがありすぎる!

 ライトアップされているとは言え、午後7時で辺りは暗い。 勝負がかかっていたら尚更、誰もが恐れてプッシュ出来ない。諦めて現状キープだ。しかも、タイヤがパンクしたってのに、絶体絶命でも平然と勝負しにくる、絶対に諦めない、踏み出すことを恐れない、あの神木祐希って何者?

もしかしたら…。


「ギャンブラーとしても、私よりも上かも」という言葉を、女は飲み込んでいた。

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