第53話 予兆
ここは、領都カラムンドにある富裕層地区の閑静な住宅街にある石造りの邸宅内。
ここには、暗黒魔導教団シオの魔導士等が集結していた。
「さあ、時間だ。出発しよう」
ロキ・アルザイは、赤い仮面をその美貌にはめると、居並ぶ黒色のローブを纏った魔導士等に向けて声を発した。
「ハハッ!」
黒衣の暗黒魔導士等が応じる。
その中に黒いケープを纏った小柄な若い女がいる。茶色いセミロングの巻き毛の美しい女だが、右目は美しい青い瞳だが、左目は縦に印が走り、その眼は常に閉じられている。
「ラニ、休めたか?」
ロキが、昼に領都に到着したばかりの女性の暗黒魔導士のラニを気遣う。
「大丈夫です。問題ありません」
「うむ」
ロキとラニそれに6人の暗黒魔導士等は、カラムンド城近くの館を出発した。
時間を3時間ほど遡ろう。
ここは、カラムンド城内。
スフィーティア・エリス・クライは、カラミーア伯爵から夕食を兼ねた会合(会食)に呼ばれていた。
会場に到着すると、列席者はごく少数だった。
カラミーア伯爵、軍師サンタモニカ・クローゼ、内政担当大臣グレン・ハザーフォード、それに剣聖スフィーティア・エリス・クライだ。
場所も大食堂ではなく、カラミーア伯の私室だ。
依然戦時体制を敷いており、ボン戦役の戦勝祝賀会は行ったとは言え、カラミーア伯は、贅沢は慎み、質素な食事会とした。
香辛料の効いた煮込み料理などカラミーアの郷土料理が振舞われた。
料理は豪勢とは言えないが、カラミーアは、ワインの産地とあって、料理に合う年代物ヴィンテージの赤ワインが用意されていた。
スフィーティアは、カラミーア伯と対面して座った。
カラミーア伯の両脇にモニカとグレン大臣が座る。
「スフィーティア殿、まあ、寛いでくれ」
カラミーア伯は、テーブルに用意されていた赤ワインを手に取る。
「料理は戦時故質素で申し訳ないが、カラミーアはワインの産地としても有名でしてな。良質な葡萄が美味しいワインを産むんだ」
そう言いながら、カラミーア伯は、スフィーティアと自分のグラスにワインを注いだ。モニカには身体がアルコールを受け付けないためいつもの
「さあ、スフィーティア殿。貴殿とは、まだ勝利の祝杯をあげていませんでしたからな。ウワッハッハ!」
「いただきます。深いビロードの良い色ですね」
スフィーティアは、注がれた光で透けることがないほど深く濃厚な紫色のワインの注がれたグラスを軽く回す。
「乾杯!」
4人が声を揃え、ワインと炭酸水に口をつけた。
「なるほど、これは美味しい。香りが豊かで果実味と酸味の調和が絶妙な実に良質なワインです」
スフィーティアが一口口を付けて感想を述べた。
「あなた方剣聖も酔うのかね?」
「アルコールは体内ですぐ分解されるので、酔うことはないですね」
そう言うと、スフィーティアは、グラスのワインを一気に飲み干した。
カラミーア伯が、もう一杯注いだ。
「伯爵、私に何か伝えたいことがあったのではないですか?」
「うむ」
「実は、情報が入ってな。ルーマー帝国が、このドラゴン騒動に合わせ、
「ルーマー帝国は、しばしばアマルフィ王国の国境を侵す動きをし、その度に撃退されていると聞きますが」
「左様。しかし、今回は様相が違うのだよ」
「私が、説明しましょう」
グレン大臣のいつもの青白い顔は、ワインを飲み少し赤みを帯びていた。
「そうか。では、頼む」
「ここカラミーアの北に位置するサスールはカラミーアよりも先にドラゴンの攻撃を受け、またガラマーン族の侵攻も受けました。帝国と北方で国境を接する地であるためテンプル騎士団が常駐し、帝国の動きに対応していましたが、西から侵攻してきたガラマーン族に対し騎士団が動いた虚を突いて国境を侵してきました。これに対して、中央はサスールにテンプル騎士団の増派を行いました」
そこで、モニカが口を挟んだ。
「中央の対応が手厚すぎないですか?サスールには、常にガラマーン族と帝国に対応できる騎士団を置いているはずですが、さらに増派とは」
「ドラゴンですね」
スフィーティアが呟いた。
「その通りです。カラミーアと同じように、ガラマーン族の侵攻にドラゴンが現れました。ドラゴンはサスールの剣聖システィーナ・ゴールド殿によって撃退され、ガラマーン族も騎士団に駆逐されています。問題は、北からの帝国の侵攻の方です。今回の帝国の侵攻は本気と見るべきでしょう。噂でしかなかったルーマー皇帝直属の赤の軍団テスタロッサが、加わっているとのことで、長城があるサスールの国境をあっという間に突破し、帝国との国境を守る居城ドーマが落とされています。この動きに中央がテンプル騎士団を増派し、また、ガラマーン族を撃退した騎士団も引き返し、ドーマ奪還作戦を行いました。これでドーマ奪還もなったかに思われましたが、帝国のテスタロッサとテンプル騎士団の力は、ほぼ互角で膠着状態に陥っているようです。それと、一つ不思議なのは、サスール侯領都アクイラ付近に、2体のドラゴンが現れたようですが、これは、あっという間に撃退されたようです。どうやらシスティーナ殿以外の別の剣聖が動かれたようですが・・・」
グレン大臣が、スフィーティアの方を見るが、スフィーティアは、注がれたワイングラスをくるくると回し、香りを楽しむと一気に飲み干した。
サスールのドラゴン討伐には、スフィーティア自身が関与していたが、何も言う気がないようだ。※
(※第24、27話の「サスールの剣聖」を参照)。
「また、もう一つ気になる情報があります。これは確証が持てない情報ですが、アスランでも問題が発生したのではないか、との情報があります」
「どういうことですか?」
モニカが、
「最近、アスラン公があまり公に姿を見せないとの情報がありました。アスラン公は、国王陛下の兄君であらせられますが、アスランの民衆からの人望の篤い方で、人々の前に現れ、直接意見を聞くことも多かった。そのアスラン公がとんと姿を見せなくなったようです。そのため、中央もアスランで何かあれば一大事と思ったのでしょう。どうも、エリザベス王女殿下ご自身がアスランに赴かれたとか」
「え?王女ご自身がですか?」
モニカが驚きの声を発する。
「はい。ただ、これを知る者は、まだ少なく
「そんな情報を何で、お主は掴んでいるんだ?」
カラミーア伯が、呆れたという風に苦笑いをする。
「そしてもう一つ。どうもこの件で、王都の剣聖も動かれたと」
グレン大臣は、スフィーティアを一瞥する。
スフィーティアの眉が一瞬ピクっとほんの僅かに動いたが、ほんの一瞬のことだ。
「もう一杯いただけます?」
誤魔化すように手にしていた空のグラスを置いた。すぐに給仕がワインを注ぐ。
「良いですね。カラミーア産のワインはコクがあって。とても気に入りました」
「ほう、そうか。それは良かった。是非事が済んだら送らせよう」
地元のワインを褒められて、カラミーア伯もご満悦のようだ。
すると、その時スフィーティアの右耳のひし形の
「ああ、失礼。少し席を外させていただきます」
そう言うと、立ち上がり、スフィーティアは、部屋から出る。
吹き抜けの回廊を抜け、スフィーティアは、広いバルコニーに出た。
スフィーティアは、そこで明滅し震えているイヤリングに軽く触れた。
「やあ、スフィーティア。元気かい?」
聞き覚えのある柔和な男の声だ。
「何か用か?アレクセイ」
スフィーティアは、つまらなそうに応答した。
「君の声が聞きたくなってね」
「そうか、じゃあもういいな、切るぞ」
「嘘、嘘だよ。君に伝えて置くことがあってね」
「まあ、いい。お前、もしかしてアスランにいるのか?」
「どうして、それを?」
「ほう、図星か。ここには、すごい情報通がいるようだぞ」
スフィーティアは、ニヤリと笑う。
アレクセイはその言葉には反応せず、少し間を置いて、言った。
「リール・イングレースが死んだよ」
「何!どういうことだ?」
スフィーティアが、驚きの声を発した。
「ドラゴンに殺られた」
「馬鹿な。リール程の手練れが、そこらのドラゴンに殺られるわけないだろう。複数のドラゴン相手でも引けは取らないはずだ」
「そうなのだが、事実は事実だ。僕が彼の遺体を回収したからな。酷い有様だったよ。その際にエメラルド・ドラゴンと遭遇したが、これにやられたとは到底思えない。後ろに何かいるはずだ。だから、僕はエリザベス王女の護衛を引き受け、アスランまで来たんだ」
「リールが殺られるなんてことが・・。FG、いやPS
「うん、僕もそう考えている。間違いないだろう。相手はPS
(※ FGやPSはドラゴンの強さのランクを差す。PS級は最高クラスだが、それ以上の破壊的なドラゴンも存在する)
「それほどのドラゴンが現れたというのか。私がそっちに当たろうか?」
「いや、君はカラミーアで待機だ。こっちは僕が当たる」
「大丈夫なのか?お前一人で」
「ああ、リールを殺ったドラゴンを許すものか。任せてくれ。それに君をそこに置いておくのは、
「わかった。だが、無理はするなよ。相手が、PS級ならお前でも楽にはいかないだろうからな」
「わかっている。それよりも、僕は君が心配なんだよ」
アレクセイの語気が変わる。
「ふん、何を言う。私が望んでいたものが来ようというのだ。これを逃してなるものか」
スフィーティアの口元がニッと緩む。
「わかっているが、コードG´への対応は我々の最優先事項だ。出現したら、僕に声をかけてくれ。一人で当たるのは危険だ」
「私なら大丈夫だ。お前は、今はそっちに専念しろ。切るぞ」
「スフィーティアッ!」
スフィーティアは、通信を切った。
「ふふ、ふふふふふ、フハハハハハ・・・」
スフィーティアの心の昂りは抑えられず、夜空に美声が響いた。
スフィーティアは、アレクセイとの通信を終えると、会食の部屋に戻った。
しかし、場が、部屋を出た時とは違い、重苦しい空気となっていた。
「失礼しました。急な連絡が入ったもので」
スフィーティアが席につくと、モニカが重い口を開いた。
「スフィーティア、私は、あなたに
「どういうことですか?」
「これです」
モニカは、両掌で包める位の大きさの丸い透明な紫水晶を取り出した。
「話していませんでしたが、私は、予知魔法が使える
モニカが続ける。
「私はこの紫水晶を通して少し先のことですが、未来が見えます」
「未来が?」
「はい。見えると言ってせいぜい2、3日以内のことです。昨日この紫水晶にカラムンドが、巨大なドラゴンに襲われ壊滅する様が見えました」
「巨大なドラゴン・・・」
「見たこともないほど巨大な褐色のドラゴンです。もしや、あれが前話したグングニールなのではないかと」
スフィーティアの顔色が変わった。
「モニカ、あなたのその予知魔法はどれ位正確なのですか?」
「100%とは言えませんが、かなりの確率で実現すると信じています。ただ、未来は今の行動で変わります。私が見た景色にあなたの姿はありませんでした。スフィーティア、あなたは、何らかの事情でここを去ったのだと思います。でも、あなたがいれば、未来も変わるかと。ですので、この事をあなたにお話ししたのです」
少し沈黙を置いてスフィーティアは、話し始めた。
「その未来は、私がいてもあまり変わらないかもしれない。確かにそのドラゴンは私の知るグングニールかもしれない。前も話したが、
カラミーア伯とモニカは沈黙していたが、グレン大臣が口を開いた。
「ダメです。それはできません。ここカラムンドは人口20万人を抱える城塞都市です。私が守りを堅めてきました。モニカら魔道士の防御魔法を展開する装置もあります。いくら巨大なドラゴンの攻撃といえども、守れます」
この返答に、珍しくスフィーティアがカッときた。
「馬鹿な!あなたは、グングニールを過少評価しすぎだ。そんな防御手段など無意味と言ってもいいものだ。カラミーア伯、私は、過去に
モニカが口を開いた。
「噂を聞いたことがあります。
「・・・」
スフィーティアは、それには答えなかった。
「よい。スフィーティア殿、貴殿がそこまで恐れるドラゴンだと言うのであれば、わしは、信じよう。わしにとっては、領民の命を守るのが何より大事な事だ。住民は避難させることにする」
「しかし、伯爵」
グレン大臣が、席を立ち異議を唱えようとした。
「ただし、モニカの予知魔法も確証はないものだ。無用に住民を動かす訳にもいかぬ。グングニールが現れる兆候が見えたら、すぐに避難させられるよう準備を整えるのだ。やってもらうぞ、グレン」
最後は、語気を強めてグレン大臣に向かって言った。
「伯爵がそこまでおっしゃるのであれば、私が否む理由はありません」
グレン大臣は、いつもの平静さに戻り答えると、席に座った。
「感謝します。カラミーア伯。では、話はこれで。私は失礼させていただきます」
「スフィーティア、お疲れさまでした。ゆっくり休んでください」
モニカがそう言うと、スフィーティアは、それに頷き静かに部屋を出て行った。
その後ろ姿を見送った後カラミーア伯が口を開いた。
「モニカよ、あの
「はい、伯爵。剣聖はドラゴンの強大な力を得ますが、命を燃やして戦うと言います。故にドラゴンとの戦いで生き残っても彼らの一生はあまりに短いと・・・」
「うむ」
カラミーア伯は、瞑目した。
スフィーティアは、自分の部屋に戻ると、エリーシア・アシュレイは静かにベッドで寝ていた。その傍らに座り、スフィーティアは、エリーシアの顔を覗き込んだ。眼の下に涙の跡が見て取れた。
「お父さん。お母さん・・」
エリーシアがそう呟くと、閉じた瞼から涙が零れ落ちた。
スフィーティアは、手でエリーシアの涙をぬぐった。すると、エリーシアはその手を両手で握った。
(夢を見て泣いているのか・・。そう簡単に忘れられるものではない。この子にとっては、人生で一番過酷な経験だったのだ・・・)
しばらくそのままじっとしていると、スフィーティアもいつの間にかエリーシアの傍らにベッドに身を屈め、眠りに落ちてしまった。
数時間が経ったろうか。真夜中となり城内は静けさに包まれていた。スフィーティアは、まだエリーシアのベッド脇で眠りに落ちていた。
するとエリーシアは、むくりと起き上がった。
目は開いていない。傍らのスフィーティアには、気にも留めず、ベッドを出ると音もたてず窓辺に歩いて行った。
窓辺に立つと、何者かに招かれているかのように躊躇なく空中に飛び出した。すると、何かに支えられているかのようにゆっくりと静かに着地した。
エリーシアは裏庭の方に向かって歩いて行った。城壁の隅に、黒いマントを全身に纏った男が立っていた。男の顔は、フードをしているので確認できない。男がマントを広げ、エリーシアを招き入れると、エリーシアはマントの中に見えなくなった。
男はフッと笑みを浮かべると、城壁の方を向き、壁の中にスーッと消えて行った。
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