第29話 ぶさいく。
「ああっ! こいつ超不細工!」
「うわっ、ホントだ!」
「うええ、変な顔~」
子供達の声が聞こえる。内容に反しなんとも悪意のない喜色である。遠巻きに、キャッキャと合唱する小五月蠅い猿のようだが、他人様の顔についてなんとも楽し気だった。
だがそれを向けらていたのは一匹の猫だ。
小さな子猫、チョコのような濃い茶色の、モップの様まとまった長毛。
それに、饅頭のような潰れ顔。腫れぼったい肉厚な瞼に口元の潰れた髭袋は、その色も濃厚なお洒落なチョコのお菓子ではなく、味噌の混じったアンコのぽってり顔だ。
なんとも個性的な顔立ちの猫である、猫を十匹並べたらまず真っ先にこの子に目が吸い寄せられるだろう――それは他のどんな可愛いと綺麗よりも素敵な出で立ちに見えるのだが私の目の方がおかしいのだろうか?
「それにしてもブサイクだな~」
「ほんと、俺なら絶対飼いたくねえ」
「ブサイク!」
……子供達にとっては違うらしい。
いや、子供達は本当の希少価値という物を理解できないのだろう。まあ普通の子供の価値観では、カッコイイ、カワイイ、きれい――それ以外の見た目の評価など在って無いようなものだ。漫画やアニメでも、個性的な悪役や脇役ではなく、主人公とその仲間にしか興味を持てないだろう。
そんな彼らにとって、足元に寄って来る個性派猫などペットの魅力にはならないのだ。
その当のモップ猫と言えば、
「ニャ~ッ!? ニャ~ッ?!」
必死に、何かを訴えるように、子供達に鳴き声を投げ掛け、何事か問い掛けているようである。
それが私には『――どうして?! ねえどうして!?』と子供達の声に疑問の悲鳴を上げているように見えた。
「うわ、こっちくんな!」
「ぎゃはは! かっこわりぃ!」
彼らの足元に追い縋ろうとする子猫を嘲笑いながらステップを踏み、避けては距離を置き、しかし着かず離れず直近で囃し立てながら踊るように円を描いて逃げる。
見ていて気持ちの良いものではない。想いのままに笑い、揶揄い、嘲り、子供たちの無邪気さがこれほど醜く見えるものはない。
義憤に駆られるどころか、つい冷めた目で彼ら子供達を見てしまった。
「行こうぜぇ?!」
「な?」
「こら追ってくんなよ」
そうしてついには弄ぶだけ弄んだ挙句、一目散に駆け出しモップ猫を置いてけぼりに道の彼方へ消えて行く。その後を、ほんの数歩追い掛け、そして猫は諦め立ち止まった。
そこからほんの少し離れた我が家、門の所でそれを見つめる私に気づいたのか、モップ猫は私に目をやり、そして、また必死にトコトコ歩いて私の元で佇んだ。
靴の爪先、そこで四本足のまま見上げてくる。
「ニャ~?! ニャ~?!」
「……ああ。かわいい、おまえは可愛いよ」
「……ニャー……」
猫のそれは、自分自身で喉を握り締めながら、ギッと絞り出すような声だった。
それから、私の応答に答えるよう、その猫は私に首筋を差し出すよう足元を回り始めた。
私はしゃがんで手の平を差し出す、と、すぐ猫はそれに顔を押し当て、何度も上下に頬を押し当てる。
媚びを売っているように見えるが、それ以前に人を怖がらない様子だ。もしかしたら人に飼われていたのだろうか?
首輪も無く、周囲に親猫を探すが――見当たらない。
野良の子猫なら、必ず周囲に親兄弟が居るはずなのだが――
人に飼われ――この子だけ捨てられたのだろうか? だとしたら、きっとあの子供達のような人間なのだろう。
こんな、よちよち歩きは脱しているようだが、体も、そして心根も、愛情を必要とする頃なのだろう。それを投げ出し、
しかし、
「……ごめんね? 私はこれから出掛けるところなんだ」
「ニャー? ――ニャー」
まだ手の平に甘えついてくるのだが、これ以上は構えず、そぞろにこの猫の元を立ち去った。
買い物を終えて、愛車を車庫に入れ運転席のドアを開ける。
車を降り、そして周囲を見回すと、それに気付いたように車庫の隅からあの猫が小走りに私に近寄って来た。
「――ニャ~」
おかえりなさい? そして、私が一撫ですると、それから玄関へ行き、私に中に上げてとせがんで来る。
ああ――なんてことだ、これは間違いなく人に捨てられた子だ。
この幼さで、それが入口であることを知っているし、中に入って人が住むことも知っているのだ。これは間違いなく野良が始まりではない。
胸の奥を殴られたような気分だ、まったく、最悪だ……。
しかしそれでも、
「……ごめんな? 私は動物を飼わないことにしているんだ」
「……ニャアン? ……ニャァア?」
私だって、そうなのだ。どうして? と哀しい眼で訊いて来るが、
「……命を背負う面倒を……見切れないんだよ……私は……」
想像するだけでも、怖ろしい……毎日毎日トイレの世話をして、毛や爪の手入れに、動物病院に連れて行っての健康診断と予防接種……一体いくら懸るのかと。
それ以上に……多分、そのどこかで、それを放棄することが怖ろしい。
投げ出してはいけないものを、飽きたから、不都合だから、面倒だからと投げ出してしまう……自分の世話それさえ投げ出しているのに。
そこを他人に回せる余力などあるはずもないだろう、精々――他人の距離が限界なのだ。
家族なんてもっての外――埒外の世界である。
その上、私は他者への関心があまりない――人のしていることに興味を覚えたことも、共感や、興奮、同情、その他、あるべき感情というものを感じ得ない。
へえ、そういうものなんだ、へえ、そんなものか、それくらいのもので、人から与えられるものに感情の部分が反応しない。
だからか、スポーツ観戦をしても何も盛り上がれないし、何が面白いのか分らない。
実際それに参加することさえ無意味に思えてしまう。社会適性を欠いているのだ。多分、人が居ないと寂しいとか、一緒に居る嬉しいとか、そういうそれが壊れているのだ。
だから、周りに居る人間は、いつも私が傍に居ると酷くつまらなそうにする。いずれ、他の人と居る方が幸せだと思うようになる。
何せ、生きる楽しみや喜びを一つも共有できないのだから、それはそうだろう。
そして哀しみや憎しみ、怒りそれ自体は理解できるのだが、やはり共感はしえない――これはもう、愛情が無いといっても差し支えないのではなかろうか?
共に暮らすうえで、それが最も辛くなかろうか? 特に、これくらいの子供には。
いや、たとえ子供でなくとも、だ。
もはやそう推測するしかないのだが。
さて、きっと他に行くことも出来ず、留まることもできない……それで、どうするのか、この猫は。
まあ要するに、私のすることではないのであるが、
「……よければ、家族になれる人を、探しましょうか?」
「……ニャァ?」
この猫は、酷く素直に首を傾げたのだが。
その意味が、分かっているのだろうか?
私は知り合いの猫飼いに連絡を取り、そうして、ホームステイさせて貰い――
その上で費用を持ち、動物病院や保護団体、更に近場の猫飼いに里親を探して貰った。
きわめて個性的な容姿をしているその猫は、すぐに愛好家たちの間で噂され、ほどなくして極めて熱烈な家族が引き取りに来た。
それが私に出来る、最大で、最後の行為だった。
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