第1話 事件の予兆

 ただでさえ不気味なその部屋はいつも以上に異様な雰囲気を醸し出していた。


 部屋の床には白いチョークで円が描かれており、その中には正九角形。円と九角形の接点にはロウソクが立てられていて、あたしがその中心に座らされていた。


 部屋には遮光性の高い黒のカーテンがかかっている。本来なら外の光を遮断するためのものだが、そのカーテンにはところどころ虫が食ったような小さな穴が空いていて、細く淡い星の光が室内に漏れている。


「準備はいいかい?」


 人を殴り殺せるんじゃないかってくらい分厚い本を両手で広げながら、“黒魔術部”の部長、三浦小藪みうらこやぶがあたしに話しかける。


「とっくにオッケーよ!」


「じゃあ始めよう」


 彼がそう言うと、本にか書かれている呪文を読み始める。まったく意味不明な文章の羅列がしばらく続くと床に描かれた紋様が青白い光を放つ。


「頑張ってね、みな実ん!」


 ことの状況を見守る親友の翔子が陣の中心にいるあたしにエールを送る。その隣に座るカレンは大して興味なさそうに明後日の方向に顔を向けている。


 あたしと翔子がしっかりとうなずき合う。


 このときのあたしは、――やったろうじゃないの!! と、気合十分だった。


 そして……


 あたしは真犯人を見つけるために“過去”へと跳んだ。


 ……………………


 …………


 目覚ましがけたたましい音を立ててあたしの睡眠の妨害をはじめた。


「う~ん。うるさああああああい!!」


 叫びながら体を起こして、目覚ましを止めて、窓の方に視線を向ける。カーテンの向こうは明るく、鳥の鳴き声も聞こえてくる。


 時計を確認する。


 10月9日、火曜日。時刻は朝の6時30分。


「もうこんな時間……」


 気だるい気持ちを振り払って体を起こし着替えを済ませて、階下へと降りる。


「あらおはよう、みな実。今日はひとりで起きられたみたいね」


「あ、うん」


「ほら。ボーッと立ってないでちゃっちゃとご飯食べる。遅刻するわよ!」


「は~い」


 あたしは食パンをトースターにぶち込んでダイヤルを回す。


 テーブルに着いてテレビのリモコンを操作した。


『――現場の池崎です。見えますでしょうか。あちらが昨日の明け方に火災が発生したアパートです。事件発生から一日経った今もその火災の凄さがありありとわかります。――また焼け跡から見つかった1名の遺体は損傷が激しく身元の特定が困難で未だ詳細が不明のままとなっています』


「火事ねぇ……」


 テレビ画面に映っていたのは焼け焦げたアパートの残骸。レポーターが言ったようにそこで火事があって消防の懸命な消火作業も虚しく全焼してしまったのだ。


 ちなみにそのアパートがある場所はあたしが住んでいる市内にあるそれなりに賑わいのある商店街の一角。あたしが小さかったころからあるぼろっちい木造のアパートでその外見から通称幽霊屋敷なんて呼ばれていた。

 住人はおらず敷地の境には立入禁止の策が立てられていて人が入れないようになっていたんだけど、子どもの頃その策を乗り越えアパート内を探検し大人に見つかって怒られたのも今となってはいい思い出だ。


 あたしはパンを食べながらテレビのニュースに耳を傾けた。


 ゆっくりしすぎて、気づくともう家を出ないといけない時間になっていた。


 …………


「おはよー、みな実ん!」


「あ、おはよ」


 学校へ行く途中で声を掛けてきたのは親友の渡瀬翔子わたせしょうこだった。


 ちなみにみな実んというのはあたしのあだ名。あたしの名前が鳥海とりうみみなだからみな実ん。あたしのことをそう呼ぶのは翔子だけだけどね。


「相変わらず朝は弱いんだね」


「あんたが強すぎんのよ」


「え? えへへ、そう?」


 なぜそこで照れる。


「あー、あれか。そかそか。そうだよねー」


 翔子のテンションが高い理由はなんとなく察しが付いている。


 学校に行けば大好きな人に会えるから、ってことだろう。


 ――なんて単純な……


 あたしも好きな人ができれば朝が強くなるのかね?


「……て、そんなバカな!?」


「ばか? 何が?」


「うわぁ! なんでもないこっちの話!」


 心の声が外に漏れていたようで、慌てて取り繕った。


 …………


「あ、渡瀬さん! 大変なんだ!」


 教室を目指して歩いているとあたしたちは三浦みうらに呼び止められた。本名三浦小藪みうらこやぶ黒縁メガネの真面目な男子生徒。


 あたしと翔子とは別のクラスだけど、翔子が所属している黒魔術部なる怪しげな部の部長だ。で、翔子はその部の部員。


「ど、どうしたの!? 三浦くん!?」


「部室へ行ったら大変なことになってて――」


「大変なこと? わかった、すぐ行くよ。……ね?」


 翔子はあたしの方を向いて同意を求めるように言う。


「え? いや、あたし関係ないし――ってなんで!?」


 翔子は有無を言わさずあたしの手を引いていく。


 あたしは黒魔術部とは無関係な人間だ。


 翔子がクソ怪しげな部に入るとかいい出した時、あたしは超絶反対した。


 そもそも翔子は黒魔術のくの字も興味がないわけで。じゃあそんな彼女がなぜ黒魔術部に入ったのかと言うと、翔子の好きな人ってのがこの三浦だからだ。


 恋は盲目とは言うけど盲目すぎるのもどうかと思う……


 ――こんな怪しい趣味のヤツのどこが好きなんだろうね。


 部室に到着。


 教室に入ってすぐに違和感。


「あら? 珍しくカーテン開けてんのね」


 いつもは閉めっぱなしの遮光カーテンは珍しく開けてあった。いつも辛気臭そうな雰囲気を漂わせている部屋はこの時ばかりは少し違った印象を受けた。


 普段のこの部屋の様子を知っているのは。何度かこの部屋に来たことがあるからだ。もちろん自分の意志ではなく翔子に頼まれてだ。2人っきりになると恥ずかしいからとか言ってね。

 翔子は、この部に入るまで黒魔術部のメンバーが三浦ひとりだけだってことは知らなかったらしいのだ。


 そりゃあ、こんな怪しい部活に入ろうなんて誰も思わないよ。


 まぁ、そんなわけでちょくちょく連れてこられてるってわけね。あたしはあたしでそれが嫌ってわけじゃなかった。なにせ2人きりの部室に若い男女が2人だけとくれば間違いが起こる可能性だってある。


 言うなればあたしはお目付け役だ。


 実際のところは翔子は奥手過ぎるし、三浦は黒魔術ラブで翔子のことなんてほとんど気にしてないっぽいから間違いなんて起こらなさそうだけど……


「カーテンを開けてるわけじゃないんだ。そもそもカーテンがないんだよ!」


「え!? カーテンがない!?」


「うん。朝学校に来て、先生からカギを受け取ってここに来たらなぜかカギが掛かってなくて、中に入ったらこの状態だったんだ。おそらく何者かが持ち去ったんだ」三浦は眼鏡のブリッジをクイッと上げた。「部室に入ってすぐに異変に気づいたぼくは、ほかにもなにかなくなっていないか調べたんだ。そしたら、カーテンの他にそこに飾っておいたドミノマスクがなくなっていた」


 三浦が指差した方向には高さ2メートル弱の飾り棚があった。そこにはいかにも魔術的なものを連想させるグッズがキレイにディスプレイされていた。


 翔子が棚に近づいて失くなってるものを確認する。


「ねえ、ドミノマスクって何?」


 誰に言うでもなく質問するあたし。


 答えたのは翔子だった。


「えっと、簡単に言うと上半分のマスクだよ」


「上半分? マスクなのに?」


「目の部分が空いたアイマスクみたいなものだよ」


 三浦が補足を入れる。


「ああ、そういうこと」


 翔子は顔の上半分に装着するマスクって言いたかったらしい。そのマスクってのはおそらく仮面舞踏会的なやつだ。


「ちなみに他になくなったものはあるの?」


 翔子が三浦に訊ねると、彼は首を横に振った。


「ってことは犯人は遮光カーテンとドミノマスクを盗んでいったってことですね」


 盗んだ前提で話すすめるんだ……


「仮に盗まれたんだとして、犯人はそんなもん盗んでどうするつもりなんだろね?」


 なんとなく発言してみる。


「ふむ……心当たりがあるとすれば……嫌がらせかな?」


 嫌がらせされる心当たりあるんだ……


「ああ。鳥海さんは知らないだろうけど、黒魔術部は周りからあまり良く思われていなくてね」


 伏し目がちに顔をそらす三浦。


 ――うん、まあ、疎まれる理由なんとなくわかるわ。


 黒魔術部もれっきとした部として認められているので学校からいくらかの予算が出ている。『こんな怪しげな部活動に予算を割くのはおかしいだろ』、『さっさと潰して浮いた予算を別のとこに回せよ』とかそういうねたそねみがあることは容易に想像できた。


「三浦くん……」


 小さく漏らして心配そうに見つめる翔子。


 ガチで惚れてんだなって改めて実感させられる。


「ねえ、さっきカギが開いてたって言ってたよね? だったら誰でも盗みに入れる状態だったってことだよね?」


 翔子の発言を三浦はいやと否定した。


「先生は先週の土曜の部活終わりにちゃんとこの部屋のカギを閉めたと言っていたから誰でもは無理だよ。おそらくピッキングか何かで――」


「なら簡単じゃん。その先生が犯人だね」あたしは三浦の言葉を遮って続けた。「カギを開けることが出来たのは先生だけ。つまりそいうことでしょ?」


「バカな!? 先生が盗みを働くなんて……!?」


「先生だって人間なんだから魔が差すことくらいあるでしょ。はい解決。終わり終わり」


 あたしは投げやりに言って部室を出ていこうとする。


「みな実ん! 黒魔術部の顧問の先生は輪島先生だよ!」


「あっと、そう言えばそうだったわね」


 輪島先生というのはうちのクラスの担任だ。ちょっぴり厳しいけど真面目な女先生。さすがにあの輪島先生が犯人とは考えにくい。


「とにかく犯人を探して盗まれたものを取り返さないと!」


「でも三浦くん。もうすぐ授業始まっちゃうよ。――犯人探しは後にして一旦教室に戻ろ」


「……そうだね、そうしよう」


  その場は解散となった。

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