繰り返される夢

高里奏

繰り返される夢



 私の父の故郷では女の子が生まれると市松人形を贈る習慣があった。最近ではすっかりと廃れてしまったその習慣だが、私はその条件に当てはまったらしい。妹の時にはもう既になかった。しかし、私が生まれたとき、父方の祖父の姉がそれはそれは大変立派な人形を贈ってくれた。

 市松人形というものは立派な硝子ケースに飾られていて、ケースから出して遊ぶことも出来ず、高価な物なので子供には触れさせない。子供からしてみても、イマイチかわいくないし、着せ替え遊びもお世話遊びもさせて貰えない人形なんて嬉しくない贈り物だろう。

 私の母は人形が嫌いだった。本当はぬいぐるみも嫌いらしく、幼い頃はお世話人形どころかぬいぐるみさえろくに買って貰えなかった。しかしぬいぐるみとは増えるものである。母は私の部屋に飾られたぬいぐるみの大群がいつか動き出すのではないかと怯えているようにも見えた。

 結局その市松人形は頂いてから一度も箱から出されないまま幾度も引っ越し、その際も厳重に梱包され、まるで封印されるように納戸に押し込まれていた。

 特にその市松人形は別格なほど母に嫌われていた。その人形は母の知人に似ていたらしい。その人にとてもよく似ているので、母はそれを「とんこ人形」と読んでいた。

 とんこ、と言う人は、母が昔いじめていた人らしく、母はその人形に怯えていた。

 だからだろう。永久に封印される、はずだった。

 しかし私は母とは正反対だった。

 つまり人形を愛する人種だ。大学に入学した年の秋には初めてのアルバイトで得た給与で念願の人形を手に入れた。別にアンティークだとかそう言ったものではない。決して子供向けではないけれど、ごくありふれた海外のファッションドールを購入した。それは次第に数が増え、今では十体を越える。人形専門誌も読むようになり、日本人形の魅力にも惹かれるようになった。元々雛人形が好きだったこともあり、雛人形なら我が家のものが一番美人だと口にし、高校の先生を呆れさせた過去もある。

 ある日、なぜか人形の話になった。突然「とんこ」が話題に上がったのだ。

 生まれてから二十年、全く存在すら知らなかったその人形を、二十歳を過ぎた頃に知らされた。

 好奇心。たぶんそれだった。

 私は渋る母に見せてくれとせがんだ。

 今思うとそれがよくなかったのかもしれない。

 生まれて初めて見た【私の】市松人形は酷く不気味に見えた。

 うっすらと浮かべた笑み。上品と言うよりはどこか薄情に見える。

 化粧は全く剥げていない。それどころか今日買ってきた新品と言われても信じてしまうほど状態が良い。ケースがやや汚れていることを除けば二十年もこの家にあったとは思えない品だった。

「気持ち悪い。捨てようよ」

 とんこが箱から出されてすぐに妹が言った。

「結構かわいい顔してるじゃない」

 不気味に思えてしまったのは母の拒絶のせいだと思い、そう答える。

「人形オタクは黙ってろ」

 妹は本気で拒絶しているように見えた。

「とんこはもう仕舞うよ。さっさと人形供養でも持っていった方がいいかな」

 母はそう言いながら再びとんこを箱に戻し、厳重に梱包した。

 仕舞う直前、とんこが恨めしそうにこちらを見た気がしたけれど、それはきっと人形の中に擬人化した性格が見えただけで私の一部を投影してしまっただけなのだろう。

 それっきり、私も家族もとんこのことは忘れてしまった。


 夢を見たのは二十一になる少し前だった。

 ある日突然とんこが夢に現れた。


 なにもない空間にぼうっと人形の白い顔がある。

 あかあかとした紅が愛らしい。見覚えのある市松人形。唇が少し薄く見える化粧は間違いなくとんこだと直感した。

 ふと、とんこと目が合う。

 とんこは私を見てニタァと笑みを浮かべた。


 とくにこれといって害があるわけではない。ただ、とんこは続けて夢に現れる。

 次の日は「ケケケケケケケッ」と笑い声を上げ、その次の日は「ケーッケッケッケ」と浄瑠璃の人形みたいにカタカタと揺れながら笑っていた。

 ただ、それだけだ。

 直接害があるわけではない。

 ただ、毎晩私の夢に現れた。

 夢が五日ほど続いた頃、私が二十一になった次の日に。母に夢の話をした。

 すると母は疲れたように私を見て、そう、とだけ言う。

「美容室に行ったらあんたが体調悪いのとんこのせいだって言われてね」

 母は言う。

 母がよく通う美容室はお喋りな美容師姉妹のお店で、迷信深いというか、少し拝み屋の真似事のようなものが入る店だ。そして、私は体調を崩しやすい。昔患った病気のおかげでまだ体力がそこまで回復していないからだ。

 しかし、それととんこを結びつけることは出来ない。

「とんこを出してあげなさいって言われて、出したんだけど。気持ち悪くてやっぱり仕舞ったの」

 母はそう、溜息を吐いた。

「ただの偶然でしょ」

「やっぱり供養に連れて行こうかな」

「それでもいいけど」

 人形供養ってのは人形を埋めたり封じ込めたり焼いたりするって聞く。それはなんだか可哀想な気がした。

 愛されるために作られた人形が疎まれて一度も誰にも愛でられることなく封印され続ける。それはなんだか酷いことのように思えた。

 その日はそれ以上母と話さなかった。

 そして、その日もまたとんこは夢に現れた。


 とんこは夢に現れるだけで直接害を加えない。

 ただ、とんこのおかげで私が寝不足になるのもまた事実だ。

 とんこが夢に現れて、接近すると決まって目が覚めてしまう。

 時刻は毎夜午前三時。一秒の狂いなく。嫌になる。

 うんざりすることに、とんこは今も尚律儀に私の夢に現れてくれる。

 毎夜毎夜同じ時間に、同じように現れて、奇声を発して私を起こす。

 きっと今夜もまた、とんこは私の夢に現れるのだろう。














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繰り返される夢 高里奏 @KanadeTakasato

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