お後がよろしいようで。
薫
第一章 「魔界」
白いスニーカーの汚れが目立つ。
朝早くに雨が降ったらしく、道のいたるところに水たまりがあった。
今朝、何も考えずに白いスニーカーを履いてきたことを後悔するが今更もう遅い。
既に真っ白だったスニーカーに鼠色のシミがついてしまっている。
もう今年で25歳になるというのに、こんな事にも気づけないとは。
つくづく自分の不甲斐なさを痛感する。
深くため息をつき、駅のホームに立つ。
背中に風を感じながら少し待つと、
「新宿行き」と表示された快速電車が来た。
時刻は午後5時。
車両にはぽつぽつと空席があり、丁度真ん中あたりの席に腰をかける。
向かいには白髪で腰がすこし曲がっている小柄な老婆が座っている。
目があったのでニコリと微笑むが、悲しいことにその優しさが返ってくる事はなかった。
「これだから都会は嫌いだ。」誰にも聞こえないようにポツリと呟く。
車両には他にもヘッドフォンで音楽を聴いている若者や、スーツを着て疲れた顔をしているサラリーマン風の男性、いかにもこれからデートに行きそうな恰好をした男女もいた。皆それぞれ自分しか見えていないようだ。
ふと光が車両に入ってきて一瞬まぶしくなり、窓の外をみると丁度夕日が見え、手前には多摩川がとてもよく見える。川には夕日が反射し、水が鮮やかな橙色になっている。いつも見ている景色だが何故か今日だけ特別綺麗に見えた気がした。
ぼーっと眺めていると、あるはずのない悩みも解決したような気分になった。
電車に揺られているとあっという間に新宿に到着した。
電車を降り、人の波に身を任せ改札へ流れ階段を上がると南口と書かれた改札についた。
目的地は東の方なのに。そう思ったが、別にそこまで距離が離れているわけではないため歩いて東側に向かうことにした。
改札をでて歩くと外は生ぬるく、とても気持ちいいといえる気温ではなかった。
飲食店の換気扇から流れてくる油の匂いと、緊張と外の気温から汗ばんだ自分の匂いがした。人をかき分け路地に入る。
ふと足元を見るとスニーカーのシミが目に入り、また気分が落ちる。
路地は大通りと違い、少し静かでハッキリと聞こえていた通行人の会話なども雑音の一種にしか聞こえなくなった。
そのまま路地を進み3つ目の角を右に曲がると、
途中で小学校低学年くらいの金魚柄の浴衣を着た少女とすれ違った。
髪をお団子に結って、目はまんまるとしていて、頬が少し淡紅色に染まっていた。楽しそうにニコニコ笑いながらもどこか凛としていて、走りながら横をすり抜けていった。
今日は縁日だったか?と疑問に思いながら室外機をよけながらまた奥へと進むと赤い鳥居が現れ、その上には「ようこそ八百万通りへ」と書かれた看板があった。
看板の周りには無数のライトがついているがいくつか光がついておらず、そのせいで多少不気味に感じられた。
鳥居の奥を覗くと出店が並んでいた。「やきそば」「はしまき」「金魚すくい」「くじ引き」
出店が並んでいる通りの上には無数の提灯が点いており、それは通りの端から端まで続いているようだった。
目的地はここではなかったが、せっかくだから少し見て回る事にした。
人の流れに沿いながら回っていると1人の男に声をかけられた。
黒い薄汚れたキャップを被っていて、無精髭を生やした50歳くらいの男だ。
お世辞にもダンディとは言い難い身なりだった。
「あなた何かお探しで?」突然声をかけられたので少し驚いた。もともと人との会話は得意な方でもないのだ。
「いいえ、何も」そう答えると、
「いいや、あなたは探している。」と意味の分からない返しをされた。
何を言っているんだこのおじさんはと思いながら、半分呆れながらも
「はい?」と聞き返すと、
「あなたはまだ分かっていないだけ。そのうち分かりますよ。」と不気味な笑みを浮かべながら言った。
「夜は長い、特に今日は。探し物が見つかるといいですね。では、楽しんでいってください。私はいつもこの3丁目にいるので困ったことがあれば声をかけてくださいね。魔界へようこそ。皆ここをそう呼ぶんです。ひひっ」
男は不気味にそう言うと、通りの隅に消えた。
変なおっさんに絡まれた。なんだったんだ?と少し不機嫌になりながら先を行った。今度あのおっさんを見かけても避けようと心に固く誓った。
通りを進んでいると左手にまた赤い鳥居が見えた。
看板にはやはり「ようこそ八百万通りへ」と書かれているが、よく見ると小さめの字で(4丁目)と書かれている。
なるほど入口がいくつかあり、迷子にならないようにそれぞれ何丁目と数字が振られているのか。と気づいた。
帰りは3丁目以外の鳥居を通ろうと思い、また通りを進んだ。
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