第30話 考える時間をください①


「三上さん、今日ご飯食べに行こうよ」


 金曜日の仕事終わり。

 いつものように気軽に声を掛ける河村君をちらりと見て、ごめんと告げる。


 ──いや、何故いつも通りなのかと不思議に思うところもあるが、思えば河村君は最初からマイペースだった。気にするだけ無駄だろう。


 あの日の翌日、河村君は気遣ってくれたけれど、深入りしないように気遣ってもくれた。

 その心遣いが嬉しくて……

 思わず頬を緩めた自分を叱咤し、ああ重症だと落ち込んだ。


「……今日は美夏と約束してるんだ」


 あれから四日。何となく今日あたり、河村君に声を掛けられるような気がしていて、美夏に声を掛けたのだ。


 


 振られて二か月ですが、いつも一緒にいただけで、もうあなたの事が好きになりました、なんて……チョロすぎて言えない。河村君だって想定外で、驚き困るだろう。


 多分河村君は、私が振られたばかりで……学生時代に智樹にのぼせ上がってた私を知っているから、声を掛けたのだろうから。


 けれど嘘の予定があるとは言いにくい、だってこの二か月、ほぼ毎日暇人だったのだ。急に断るなんておかしいだろう。


 私は河村君への気持ちを意識して、距離を置きたいと思った。

 彼女のフリなんて、友達だと思っていたから出来たのであって、好意を持ってしまった今はその距離感に愕然としている。

 自分たちの本当の距離は、遠い。


 それに気付いた私は焦った。

 いつか終わる関係なのに河村君の存在に甘えすぎて、勘違いして。

 危なかった……多くを求めてしまうところだった。

 寂しくはあるけれど、こうやって少しずつ必然の距離に戻した方が良いと思ったのだ。

 だって彼を自分の方に向かせるなんて……出来ないから。


 二年付き合っていた智樹だって、私の事はただの遊びだった。

 勿論智樹のした事は間違っていると思う。

 けれど私は、今はそんな智樹を好きだった自分も嫌悪している状態で。

 あれもこれも、一緒にいた楽しかった思い出は全部、私が勝手に思い込んで造り出した妄想の延長みたいなものだったんだろうなあ……なんて思うと……自分はなんて馬鹿だったんだろう、と……


 私にとって、異性への好意は……ただの一方的な思い込みに近いんじゃないか。

 返される事なんてありえないし……もし、また間違えてしまったらと思うと、怖くて仕方がない。


 だから距離を取りたい。

 気持ちが飽和するように。別に何か夢中になるような、趣味を始めるとか……ペットを飼い始めてもいいかもしれない。


 世間では犬を飼うと恋人が出来ないなんて言われるらしいし、丁度いいんじゃなかろうか。

 少なくとも、暫くは恋愛なんて無理だ。


 智樹との恋が終わって、優しくしてくれた河村君にころりといって。単純な自分が恥ずかしいから、恋愛的な話は休みたいのが本心だ。


「じゃあ明日は……」


「あ、明日から一週間、従弟が来るんだ! お世話してあげないと! ごめん!」


「従弟?」


「大学の下見にね」


 何故か怪訝な顔をする河村君に、にこにこと笑顔を返すが、背中はちょっと汗を掻いている。

 従弟の話は少し前から頼まれていたけど、普通一人暮らしの女性の家に男の子を頼むだろうか……? なんて疑念もあるが、父は身内を信頼している。

 疑わないようにしている。とも言えるけれど、親戚の頼み事は余程の事が無い限り断らない人だ。


 それに思い浮かべるのは、夏の日に半袖半ズボンでセミを追っかけ回していた五歳も年下の小学生の男の子。へびを背中に入れられそうになって泣きながら怒ったら、あかんべえをされた事。

(まあ、心配する事なんて無いよね……)

 今回ばかりは渡に船とばかりに頷いた。


 これは、神の、啓示!


 喜びに拳を握り河村君に顔を向ければ、眉間に皺を寄せた、難しいのままでこちらを見据えていた。


 けれどそれを見て思わずたじろぐ私に、すぐに表情を変え、いつもの顔で笑いかけてきた。


「じゃあ俺が預かるよ」

「は……?」

 ごく当たり前のようにそんな科白を吐く河村君に目を丸くする。


「従弟君は俺が預かるから、三上さんは心配しなくて良いよ」


 にこにこ笑う河村君に、いやそうじゃなくてと思わず突っ込むのはおかしくないと思う。


「俺んち三上さんの家から近いし、同性だし、何もおかしくないよ」

「いや、おかしいと……思うけど……」


 他人なのに……とは言えない。

 いや、そうなんだけれど、何だか言ってはいけない言葉のような重さに、必死に代わりの言葉を探す。


「えっと、迷惑を、かけちゃうから……」

「いいよ、その代わりまたお礼して欲しいな」


 でもどうやら河村君にはそんな言葉では動じないようで。

「それはちょっと!」


 思わず声を荒げれば河村君の目がすっと細まった。

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