第29話 清算を終えて ※ 智樹視点


『愛莉がすまなかったな』


 電話の向こうの声は複雑そうだ。

 ともすれば義父となる相手だった人。

 

「いえ、僕こそ……すみません。将来を考えていたのに、こんな形になってしまって……」

 

 口にしずらい会話には、気まずい沈黙が度々支配する。


『……いや……それより借りたお金は愛莉に働かせて返すつもりだ。もう少し待って欲しい』

「いえ、それは……」

 縁が切れればもういらない。

 手切金みたいなものだ。


「一緒に生活していたんですから、生活費の一部みたいなものだと思っています。おじさんたちで、愛莉の為に貯金してあげて下さい」


『そうか……すまない、な……じゃあ、これで……』

「はい、失礼します」


 ぷつりと切れたスマホを見れば、終わった事に対する安堵が込み上げてきた。


(喪失感じゃ、無いんだな……)


 清算が終わった。

 今はもう、あれだけ好きだった愛莉に対して、無駄な時間を過ごして来た、と。自分を詰りたい気持ちしか湧いて来ない。

 尽くして尽くして尽くして……

 愛莉が笑ってくれれば幸せだと思ってた愚かな自分。


(愛莉は俺なんか、一度も見た事なんて無かったのに……)


 同棲と聞いて浮かれてしまった。

 あれこれ余所見をしていても、結局は俺を選ぶんだ、と。

 でも違った。


 愛莉は別の誰かと結婚するつもりだったらしい。

 会社の誰かが嗤いながら教えてくれた。


 会社では同棲は伏せて、ただの幼馴染として振る舞ってきたから。不思議な事に、誰も愛莉と俺がそんな関係だとは疑わなかった。

(釣り合って無かったのかもな……)

 

 そいつも愛莉が好きだったから、俺の視線の先にいつもいる愛莉に気が付いたんだろう。

 

 同じように愛莉に弄ばれている奴。


 同じ……


 目の前のこの嫌らしい笑みを浮かべる奴と、俺は……


(そんなのは……)


 嫌だ──


 そうなってやっと、俺は愛莉の取り巻きの一人に過ぎない。己の惨めな現実を受け入れた。




 身辺整理を少しずつしていても、愛莉は気づかない。熱心に睨みつけているスマホをちらりと覗き見てみれば、成る程確かに婚活中らしい。

 

(俺は本当にただの同居人なんだな)


 セックスだって愛莉には友情があれば応じられる程度の、手を繋ぐ事の延長のようなものなのかもしれない。

 気持ちの整理がまだつかない頃は、そんな事でも度々落ち込んでいた。

 

 それから愛莉の我儘に爆発して、家を飛び出して……


 親に相談して一人で住むところを見つけた。

 勿論うちの親だって相当動揺していた。けど、


「もう愛莉とはやっていけない」と言えば、何かしら察するところがあったらしい。

 そう言えば母は、確かに愛莉を可愛がっていたが、同棲には少し抵抗があるようだったから。

 ……女の勘、というやつだろうか……


 愛莉がいない間に俺の荷物を少しずつ運び出していく。

 でも気付いて無いだろうな。

 家の中は日に日に荒れていく。多少物が減っても、これじゃあ分からないと思う。

 掃除も片付けも、本当に何もしない。

 俺がしないと怒るくせに、自分ではやらない。


(本当に、こいつのどこが良かったんだろう……)


 コンビニで買ってきたお惣菜が、食べかけのままテーブルに放置してある。この季節にこんな事してたら虫が寄ってくるってのに……

 見ていて気分は悪くなるけど、もう愛莉の為に指一本も動かす事も出来なかった。


 改めて見れば家の中は愛莉のものでいっぱいだ。ここの主人は愛莉だと、家にもそう言われているかのように感じてしまう。


 愛莉の為に奮発した住まいには、俺の居場所なんてない。あると思っていただけで、最初から無かったのかもしれない。

 荷物をまとめて、そそくさと退散する。


 ドアを閉めて鍵を掛けて……


(この鍵もあと少ししたらお別れだ)


 そんな事を思いながら、頭に浮かぶ人物がいた。


 お別れ……


 やっぱり愛莉がいいからと別れた彼女。

 三上雪子が、ずっと頭から離れなかった。


(雪子もずっと、こんな気持ちだったのかな……)


 別れを口にした時、雪子は放心したようだった。

 それでいて、何か……諦めていたような……


(似てる……)


 今なら雪子の気持ちがよく分かる。

 相手を思って自分の気持ちを殺して耐えてきた事。


 雪子は俺の為にずっと、尽くしてきてくれたんだ。

(それなのに……)

 今までの行いが不誠実だったとやっと気付けた。


(だから、きっとやり直せる)


 俺の一途さが好きだと言ってくれた雪子こそ、とても一途な人なのだから。

 雪子はきっと俺を待っていると、確信できた。




 すると何故か大嫌いな顔も合わせて思い出されて、思わず顔を顰めた。

 河村貴也。

 好きになるのと同じくらい嫌いにも理由はあるけれど、その感情を覆すのも同じように難しい。

 河村の場合は、いけすかない。に尽きる。


 あいつが物欲しそうに雪子を見てたのを知っている。

 雪子は相手にしてなかったけれど……

 

 あの頃、愛莉以外考えられなかった俺は、雪子との身体の関係はやんわりと拒んでいた。

 まだ学生だし、責任が取れないから──と。

 事実、もし何かあって愛莉が離れたりしたら、と思えば怖くて何もする気は起きなかった。


 雪子はほっとしたような、どこか寂しそうな顔をしていたけれど、だからってそれ以上の事は求めてこなかった。

 ……今思うと本当に慎ましい。


(──俺が雪子と結ばれたら、あいつはさぞ悔しがるだろうな)

 そんな思いが込み上げては笑いを噛み殺す。


 なんであんな奴を思い出したのかは分からないけれど……あいつのおかげ、でもあるからだろうか。

 得難いものが誰かが改めて知れた。


 だから、一応感謝してやるか。雪子の事は、お前の分まで幸せにしてやるよ。


 ああ早く……

 全部片付けて会いに行こう。

 きっと受け入れてくれる。その日が待ち遠しい。

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