第16話 限界を感じて ※ 智樹視点

 

「あの子と会ってたんじゃないの!?」

 

 仕事から帰って、ただいまと、たったそれだけの挨拶すらないままに、飛んできた叫び声。

 いい加減にげんなりしてきた。


「会うわけないだろう。同棲中の彼女がいるのに」


 付き合って二年経つとこんなもんだろうか。

 学生の時は学校が違うせいであまり会えなかった。

 そんな状態の方が恋愛としては丁度良い距離感だったのかもしれない。

 たまに会う関係は、濃く甘かった。

 

(雪子とは、そんなの無かったんだけど……)


 けれど毎日会っても自然で……嫌だとか面倒だとか思った事は無かった。

 幼馴染を大事にする姿勢を尊重してくれた彼女は、二股にも気付かない鈍感な人ではあったけれど……


 ほとぼりが冷めた後も、なんとなく別れ難くて、付き合い続けた。

 休みの日はほぼ愛莉に独占されてたから、大したデートも出来なかったのに、不満を言うよりも、今ある中で楽しいものを探して笑う人だったから……


 今、愛莉とは同じ会社に同じ家。

 卒業後、二人の両親にも認められて始めた同棲生活。

 愛莉との関係は、早くも暗礁に乗り上げている。


「そんなに仕事が忙しい?」


 上目遣いで睨みつけられると結構怖い……


(初めの内は、こんな顔も可愛いとか思ってたんだけどなあ……)


 追いかけてる時は夢中だったけど、一緒にいるとこんなにアラが目立つなんて思って無かった。


 ……いや、相手を振り回すタイプだって事は分かっていて、それでも奔放さに惹かれていて……


 けどそれは、毎日通うキャンパスで、そんな愛莉の話を雪子が笑って聞いてくれていたから……


 溜息が出そうになる。

 雪子はもういないのに。

 他でもない愛莉の為に別れたんだ。

 

「同じ職場なんだから分かるだろう? 俺の部署は残業も多いし、入社して数ヶ月の新人が勝手に早上がりなんて出来る筈ないんだから」


「だからって! 家に帰って来ても疲れてるって機嫌悪いし、全然構ってくれないじゃない!」


「……それは愛莉が……愛莉だって疲れてるからって家事を何もしないだろう。飲み会は多いし、こっちは残業して遅くに帰ってきて、その上二人分の家事が待ってれば、不機嫌にくらいなるさ!」


「何言ってるのよ! 私の事が好きなら、それくらい我慢してよ!」


「何で我慢しなきゃいけないんだ!!」


 思わず強く叫んだ俺に愛莉の肩がびくりと跳ねた。


 最近よくこんな感じで喧嘩ばかりしている。

 終わりが見えて来たような展開の繰り返し。

 でも、


 二人で住む為に借りたマンション。

 もし別れたら……どちらかが出て行って、ここに一人で住むには広い上、家賃が勿体ない。


 だから、引っ越し面倒だなあとか、敷金礼金勿体無いなあ、とかが頭を巡っては、仲直りした方が楽だから、俺の方が折れて愛莉に謝罪してきた。愛莉が好きだった、から。


 それにやっぱり親の影響力は大きい。

 俺一人が放り出していい話じゃないんだ。

 拳を握り視線を下ろす。


 目を潤ませながらこちらを見上げる愛莉は相も変わらず可愛い。


 ……けど、


 それでも……


 やっぱり──


(もう……無理だ……)


 何より愛莉が口にした「我慢」。

 そんな事もう、ずっとしてきた。


 馬鹿みたいに……


 そもそもそれって俺の義務なの? 好きになったのが俺のが先だから? 一緒に暮らすんならさ、お互い譲り合って生活する方法を考えようとか、そういう話はしてくれないのかな。


 今後、ずっと、一生……?


(お姫様みたいに扱って欲しいって言ってんのかな? やって来たよ俺なりに。でももう辛いんだ)


「別れよう、愛莉」


「え」


 どこかで決めてた言葉を口にすれば、愛莉は目を丸くしている。でももう、その姿を可愛いと感じるより──


「もう俺たちは無理だよ。毎日こんな事を続けてたんじゃ、お互いの為にならない。離れた方がいいよ」


「……智樹、どうしてそんな事言うのよ? いつもみたいに謝ってくれたら、私……許すのよ?」


(……もう謝るのにも疲れた……職場で気を張って、謝って、頼んで……家でも謝って、お願いして……俺、そんなに駄目か? 何も出来ないか?)


 そしてこんな思いがいつまでも続くと思えば、即座に無理だと断ずる。


「悪い」


 それだけ言って家を飛び出した。


「やだ智樹っ、待ってよ!」


 愛莉の必死な声を振り払うように、急ぎ、歩く。

 明日も会社だ。通勤の支度の為に、一旦家に戻る事になる。

 

(けど、あの家にはもう、帰らない……)


 何日経ってもきっともう覚悟は揺るがない。

 愛莉の泣き声が追いかけて来たけれど、振り向く事も足を止める事も無かった。

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