11-2
【前回のあらすじ】
USSAの奇襲は五大マフィアにも及んだ。当主を人質に取られたために、動けなかったのだ。
そんな最中、ハウンドはUSSAに『絵本』の存在を堂々と明かす。唯一現存している、『失われたリスト』の証拠の存在を――。
【用語紹介】
●合衆国安全保障局(USSA)
12年前の同時多発テロ発生直後に急遽設立された大統領直属の情報機関で、年々発言力を増している。現長官はアーサー・フォレスター。
●失われたリスト
イラク戦争中、国連主導で行われた『石油食料交換プログラム』を隠れ蓑に世界各国の大物たち(国連のトップ、現職の大臣、資本家、宗教関係者など)がこぞって汚職を行った『バグダッドスキャンダル』に関与した人物らの名が記されたブラックリスト。
このリストを公表するだけで、世界各国代表の首がすげ変わるほど破壊力を持った代物。『双頭の雄鹿』の資金源と目される。
●絵本
ニコラスがハウンドから譲り受けた手書きの絵本。人間に連れ去られた黒い子狼が、5頭の犬たちの力を借りながら故郷を目指す物語が描かれている。作者はラルフ・コールマン。
炙り出しで謎の文がページの各所に仕込まれており、それらを解き明かすと『証人はブラックドッグ』、『リーダーはアーサー・フォレスター』となる。
【前回のあらすじ】
USSAの奇襲は五大マフィアにも及んだ。当主を人質に取られたために、動けなかったのだ。
そんな最中、ハウンドはUSSAに『絵本』の存在を堂々と明かす。唯一現存している、『失われたリスト』の証拠の存在を――。
【用語紹介】
●合衆国安全保障局(USSA)
12年前の同時多発テロ発生直後に急遽設立された大統領直属の情報機関で、年々発言力を増している。現長官はアーサー・フォレスター。
●失われたリスト
イラク戦争中、国連主導で行われた『石油食料交換プログラム』を隠れ蓑に世界各国の大物たち(国連のトップ、現職の大臣、資本家、宗教関係者など)がこぞって汚職を行った『バグダッドスキャンダル』に関与した人物らの名が記されたブラックリスト。
このリストを公表するだけで、世界各国代表の首がすげ変わるほど破壊力を持った代物。『双頭の雄鹿』の資金源と目される。
●絵本
ニコラスがハウンドから譲り受けた手書きの絵本。人間に連れ去られた黒い子狼が、5頭の犬たちの力を借りながら故郷を目指す物語が描かれている。作者はラルフ・コールマン。
炙り出しで謎の文がページの各所に仕込まれており、それらを解き明かすと『証人はブラックドッグ』、『リーダーはアーサー・フォレスター』となる。
●《トゥアハデ》
『双頭の雄鹿』の実働部隊。世界各国の特殊部隊から引き抜いた兵士で構成されており、長のフォレスターが自ら選んだ幹部“銘あり”が数人存在する。
現時点で確認されている“銘あり”は『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』、『モリガン』、『ディラン』、『スェウ』、オヴェドの七名。
現時点(11節冒頭)で『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』の三名は死亡。
またなぜかオヴェドは名を与えられていない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――まあ、出てくるよな。
見慣れきった路地を駆け抜けながら、ハウンドは背後の集団を一瞥する。
徽章一つない所属不明の兵士を率いた、黒づくめの大男たち。デンロン社、アッパー半島と、これまで幾度となく戦ってきた、あの双子だ。
ヘリ対策に追跡しづらい路地を選んだらこれだ。近接戦に長けた双子で開けた場所へ追い立て、一気に叩き潰そうという腹づもりだろう。
そのうえ、この兵士の数。時間をかければかけるほど、包囲網が狭まって逃げ場がなくなる。加えて体力のない自分では、いつまで逃げられることか。
分かっている。分かっているのだが、これしか打つ手がない。
――ニコなら上手くやってくれるだろうけど……どこまでやれるか。
頭上、こちらにピッタリ寄り添いながら飛行する27番地所属ドローンを見上げながら、ハウンドはひたすら走る。
みんな、ドローン越しに見ているのだろうか。
――私の動きについてこれるってことは、操縦はジャックか。ってことは、近くにウィルとルカたちもいるな。ジェーンやリリーも。
子供たちが画面前に集まり、不安げに身を寄せ合っている様が目に浮かんだ。
逃がす暇もなかった。これまで入念に準備してきた住民避難計画も水泡に帰した。
友人フォーの協力を取り付けたものの、異動先のマレーシアにはまだ配属されたばかり。避難の受け入れ態勢が整っていない。
第一、こうも奇襲を受けては逃がしようがない。フォーとてこの事態を把握しきれていないだろう。
それだけではない。27番地の人口は9000弱。うち戦闘員として駆り出せるのは六割だ。
その六割ですら、今回の奇襲で甚大な損害を被った。戦える者が、あと何割残っているか。
そして今、できることといえば、統治者自ら出向いての時間稼ぎしかないという体たらくだ。
――あの時も、こうして逃げ回ってたっけ。
そう苦笑して、前方からの敵の銃撃を避け、脇の路地に飛び込む。
六年前のあの日は、ラルフたちと再会した直後の初任務だった。
いつものように近隣の街へ偵察に出たら、街はすでに戦闘前夜の状態だった。
さして戦略価値も高くない地方都市にも関わらず、敵の数は多く殺気立っていて、案の定その日たまたまパトロールにやってきた海兵隊と戦闘し始めた。
思えば、あれも《トゥアハデ》の策略だったのかもしれない。あれの一週間後に、自分たちは嵌められたのだ。
あの日のような奇跡は、もう起こらない。あの時、助けてくれた狙撃手は今、私の大事なものを守っている。
――やれることは全部やってきた。
防衛、経済、外交、政治、あらゆる部分で27番地に力をつけさせた。
住民を逃がすことは叶わなかったが、彼らには自分たちの手で街を守り生きていけるよう、あらゆる術を仕込んできた。
そして、私以外の切り札の存在。
――ニコには全部話してきた。ニコなら、きっと。
これは布石だ。呼び水どころかバタフライエフェクトを狙うような、不確定要素をきっかけに不確定が起こることを願うような大博打だ。
そしてニコラスは、どんな状況でも最善を選び取れる男だ。たとえそれがどれだけ非常な決断であっても、彼は決断できる。
だから大丈夫。
「思いっきりいけよ、ニコ」
目元に流れる汗をぬぐいながら、ハウンドはひたすら路地の迷路を駆け回った。
27番地の国境を目指して。
***
パニック一歩手前の喧騒の中、ニコラスは努めて冷静に尋ねた。自分だけでも冷静であらねばと思っていた。
「避難の進行状況は?」
「六割完了!」
「あとはここの人員と、治療中の負傷兵の移送が山場だな……。おい! 君らも動いてくれ! 悪いが、こっちは引率する人手も暇もないんだ!」
通信班班長が、ホール片隅の床に固まっている子供たちを急かす。
一人囮を引き受けたハウンドのために、せめてものサポートにと、ジャックを中心に子供たちがドローン操作と監視を行っていた。
だが、それも無意味になりつつある。ドローンが次々に撃ち落とされているからだ。
ゲーム機型端末をガチャガチャ操作していたジャックが、床に拳を打ち付ける。
「くそっ、またやられた……!」
「次の飛ばすよ!」
ルカがすかさず予備のドローンを持って窓に駆け寄る。班長が声を荒げた。
「いい加減にしないか! こっちのドローンは連中にマークされてんだぞ、貴重なドローンを無駄に消費してどうするんだ!?」
「無駄ってなんだよっ。ハウンドが今、僕らのために命懸けで戦ってんだよ!?」
少年団リーダー本気の怒声に、班長はうっと言葉を詰まらせたが、すぐに立て直した。
「その彼女がなんのために命張ってると思ってるんだ、俺たちが逃げるための時間を稼ぐためだろう……!?」
「でもっ」
「頼む。聞き分けてくれ。俺らだって、本当は今すぐ駆け付けたいのを必死に我慢してるんだ」
ルカをはじめ、子供たちが沈痛に黙りこくる。ジャックとウィルもまた、無言に拳を振るわせていた。
その一部始終を聞いていたニコラスは、班長と子供たちに待ったをかけた。
「ルカ、ジャック、ウィル、班長、少し頼みがある」
そう呼び止め、次いで大急ぎで撤収準備に取り掛かっているセルゲイのもとへ向かった。
「ナズドラチェンコ、一つ依頼を頼めるか」
「はあ……!? 冗談じゃねーよっ、この状況でこんなとこに長居してられっか! トンズラさせていただきますっ」
「そのトンズラの道中で構わない。こいつらにネットを使えるようにしてくれないか」
ニコラスは背後の子供たちと班長を指さした。セルゲイは顔をしかめた。
「なにする気だ」
「27番地の状況をSNSで拡散してもらう」
「俺ちゃんがアッパー半島で提案したやつを、今ここでやろうってのか? 馬鹿かテメー。この状況下で、USSAがその手の対策してねーわけねーだろ」
「ああ。だから国外向けに発信してもらう」
途端、セルゲイが一瞬真顔に戻り、先ほど以上に顔をしかめた。
「そりゃ英語媒体以外なら、USSAの削除も出遅れるかもしんねーが、それでも一瞬だぞ? 特に今回の特区への宣戦布告は、各国から突かれる可能性の高い案件だ。対外交策だってそれなりに備えてるはずだ。速攻で消されるし、影響力だって微々たるもんだぞ?」
「その微々たるもんでいいんだ。今この瞬間、USSAは特区を攻めてる。陰から手を伸ばすんじゃなく、自ら表舞台に出てきた。そのうえ公に宣戦布告までしたんだ。その事実をUSSAは消せない。この事実がある限り、いくら情報を消しても、人々の心には疑惑が残る。それがデカくなればなるほど、USSAの足を引っ張れる。なにより――」
呼吸をはさんで、ニコラスは声を潜めた。
あまり子供達には聞かせたくない内容だった。
「なにより、連中がハウンドに手を出しづらくなる。あいつはアフガニスタンの少女だから」
それを聞いたセルゲイは鼻白んだようだった。そしてすぐ呆れたような、侮蔑の目を向けてきた。
「大した奴だよ、おめーはよ。分かったうえで送り出したのか? そのうえ世界中の見世物にしようって? 大事だったんじゃなかったのかよ」
至極まっとうな意見だった。
絵本という、“失われたリスト”の証拠品になり得る存在を明かした以上、敵は確実にハウンドを生け捕りにする。
何がなんでもハウンドから情報を引き出そうとするだろう。ラルフ・コールマンたちのように。
時間稼ぎとはそういうことだ。すべて覚悟のうえで、ハウンドは囮を引き受けたのだ。
だからこそ、ニコラスも手段を選ぶつもりはなかった。
「大事だから今こうしてお前に頼んでる。俺はしょせん凡人だ。全部は守れない。だからこそ、自分の手の届く守れるものは、なにがなんでも守りたいんだ」
送り出したくなんかなかった。
死んでもそばにいたかった。
でも。自身が傷つけられるより、自身の大事なものを傷つけられる方が、一番傷つくことを知っているから。
こんな偽善者の俺を信じ、すべてを託してくれたから。
「卑怯だろうが姑息だろうが構わない。たとえあの子を利用することになっても、俺はあの子にとっての最善を選ぶ。あの子が稼いでくれた時間で反撃の準備を整える。あの子の大事なもん全部守って、あの子を迎えにいく。そのためにお前の力が必要なんだ。頼む、力を貸してくれ」
ニコラスはセルゲイの目を真正面から見据えた。珍しく彼は目を逸らさなかった。
セルゲイは低く舌打ちすると。
「避難経路は、地下水道だったな」
「ああ」
「だったら三分だ。ロバーチ三等区へ通じる地上付近で三分だけ待ってやる。その間に文面考えて翻訳して発信しろ。それ以上の面倒は見ねえ」
「分かった。――聞いての通りだ。頼めるか?」
通信班班長と子供たちは力強く頷いた。
ニコラスはすぐさま部隊を再編し、セルゲイに同行するチームを選出する。セルゲイと子供たちの護衛のためだ。
「通信班、並びに少年団はナズドラチェンコを指定場所まで移送。その道中で情報工作に努めてくれ。戦闘は極力避け、任務遂行後は所定の場所へすぐ避難だ。いいな?」
「「「了解!」」」
その時だった。通信管制を行っていた店長が叫んだ。
「敵が第二防衛ラインを突破した! 代わりに部隊の再編は完了。負傷者も全員地下へ搬送した。あとはここに残ってる全員が避難すれば完了だ!」
「了解しました。地上の全部隊に通達。これより、
それを聞くなり、全員が駆け出す。
作戦形態『D6』――ハウンドの二つ名『六番目の統治者』からとったこの防衛戦術は、彼女の戦い方に酷似している。
正真正銘の最終手段である。
ニコラスは声を張り上げた。
「地上にいる全部隊に通達。これより遅滞戦に移行する。全力で抗うぞ」
各無線から、鬨の声が返ってくる。被害は甚大なれど、闘志は十分だった。
ニコラスは行動を開始した。嫌がらせは偽善者の十八番、見せてやろうじゃねえか。
***
五大マフィアたちを連行し、一人円卓部屋に残ったオヴェドは苦虫を噛み潰していた。
――やってくれましたね。
モニターに映し出された少女を睨み、奥歯を軋らせる。
あの五人の遺品も手帳も目ではない。絵本(こっち)の方がよほど厄介だ。なにせ、なにを書いてあるのか分からない。
モリガンの言う通りはったりだとしても、こちらは動かざるを得ない。なにが何でも少女を生け捕りにして確かめねばならない。
作戦難易度が一気に跳ね上がった。
加えてオヴェドも、絵本の存在自体は認知していたのだ。
――事情徴収にあった、あの絵本のことでしょうね……。
オヴェドは、問題なしと報告した局員を今すぐ縊り殺してやりたかった。
当時現地にいた兵士への事情聴取で、ブラックドッグがラルフ・コールマンからもらった絵本を所持していたことは確認していた。
だが、残された所持品からは確認されず、殺害したゾンバルトの遺留品からも確認されなかった。
――恐らく、あの女の仕業か。
イーリス・レッドウォール、呼称『パピヨン』。
元フリーの国際紛争ジャーナリストにして、カフェ『BROWNIE』店長の妻。アッパー半島で自ら命を絶った。
報告によれば、イーリス・レッドウォールはラルフ・コールマンと戦地で何度か会っている。
ブラックドッグがコールマン隊に合流した直後にも、だ。
――あの時に絵本を渡したか。で、あの女がブラックドッグに絵本を渡した、と。
オヴェドは首を搔いた。苛立っている時の癖だと理解していたので、数秒でやめ、堪える。
ラルフ・コールマン!
つくづく他人を苛つかせる天才だ。死んでなお爪痕を残すか。
どれだけ凄惨な拷問にも決して屈しなかった。嘲るようにへらへら笑って、絶対に口を割らなかった。
あの余裕そうな笑みが崩れたのは、目の前で仲間を殺した時、少女の目の前で首を刎ねられると悟った時だけだった。
そこへ、さらにオヴェドの神経を逆撫でする報告が飛び込んでくる。
「オヴェド様、27番地の国境防衛隊が再び攻勢に出てきました。我々の包囲網、東方面外縁より攻撃を仕掛けています。このままだと東方面部隊が後背を突かれます」
今度はニコラス・ウェッブか。忌々しい連中め。
「東方面部隊は後退しつつ、両翼に合流。敵を包囲網中心部へ誘い込みなさい。そんなに輪に入りたいというなら閉じ込めてあげましょう」
「はっ」
「それからヘリコプター隊は対空兵器に注意しなさい。連中はテロリストの薫陶を受けた民兵組織です。五大マフィアからRPGをたびたび輸入していることも確認しています。見つけ次第、最優先で潰しなさい」
「はっ!」
指示を終え、再びモニターに向き直る。
すでに双子はブラックドックと戦闘を開始した。あとは追い立てるか、体力が尽きるまで待てばよい。
この三年間、27番地のことは調べ尽くした。衛星・航空写真から、一世紀前の旧地下水道の図面まで引っ張り出し、連中がどのように改築し行動するか、執拗にシミュレートを重ねた。
すでに、奴らが出てきそうな穴には兵を配置してある。地下から出てくるところを一網打尽にしてやろう。
『オヴェド様、至急報告したいことが』
唐突に無線が割り込んできた。後方支援のサイバー防衛部隊だ。
何事かと聞いてみれば、27番地がこの戦闘の様子をSNSに次々と投稿しているという。
「情報戦への対応は事前に通達した通りです。落ち着いて対処なさい」
「はい。現在、随時対処しております。ただ、連中はブラックドッグの素性を積極的に公開しているようで……中東圏にてすでに炎上しはじめています。それを中露をはじめとする反米国家が拡散し、煽り立てている状態です」
なるほど。そういう戦法で仕掛けてきたか。
「対外政策チームへ連絡。至急ホットラインを開き、各国首脳と交渉して黙らせなさい」
そう伝えつつ、オヴェドは笑いが込み上げるのを必死に堪えていた。
十中八九、ニコラス・ウェッブの仕業だろう。親友の死体を囮にした男だ。今度は生きた恩人を囮にした挙句、晒し者にするか。
しかもだ。あの男、小娘を捕らえた後、我々が何をするか理解したうえで送り出してきた。
偽善者とはよくいったものだ。これほど手を汚しておきながら、本気で小娘を救おうというのだから。
実に滑稽、実に愉快。清々しいまでの浅ましさだ。
「そこまで手段を選ばぬというのであれば、こちらも全力で応えるのが礼儀ですよねぇ」
オヴェドは指示を飛ばし、例の兵器の使用を許可する。
実戦での使用はこれが初だが、いいデータになるだろう。対空攻撃への牽制にもなる。
その時、待ち望んでいた報告が上がってきた。サイバー攻撃部隊からの報告である。
『オヴェド様、先ほどの録音データの解析が完了いたしました。』
隊員が淡々と解析内容を報告する。
オヴェドはほくそ笑んだ。
なるほど。それで時間稼ぎに慌てて出てきたわけか。なんともいじらしい、涙ぐましい抵抗ではないか。
「双子に伝達しなさい。同時に攻勢をかけます」
***
それは、音もなくやってきた。
最初の犠牲者は、屋内から攻撃ヘリを狙っていた、防空班の一分隊だった。
『――……捉えた! いけるぞ!』
「よし、発射――」
ニコラスの号令は、爆音でかき消された。
気が付けば、防空班のいた建物が火に包まれていた。ニコラスは唖然とした。
砲撃? だが音はしなかった。爆弾を仕掛けられていた? いや、ここは第三防衛ラインの内側、27番地の心臓部だ。事前に敵の侵入を許したとは思えない。
まさか――。
「全部隊、空からの攻撃に注意しろ! ヘリだけじゃない! こいつは――」
爆音、爆音、爆音。
建物のあちこちで、火球が吹き上がる。すべて、味方部隊が潜伏していた建物だった。
やっとの思いで再編した部隊が、次々に爆炎に包まれていく。
「なんだ。何が起こってんた、なんで」
「新型の自爆ドローンだ! 各部隊、近くの地下水道へ逃げこめ! まとまってるとやられるぞ!」
ニコラスがそう叫ぶ間に、爆炎は上がっていく。ニコラスは臍を噛んだ。
このドローン、対人に特化してやがる――!
音もなく急接近してくる自爆ドローンに、27番地は完全に意表を突かれた。
散り散りになって逃げ惑うような愚は犯さなかったが、各部隊は完全に散開してしまった。
一人一人の戦闘能力は、敵の方がはるかに勝る。これでは数の優位が活かせない。このままでは各個撃破ですり潰される。
しかも上空にはヘリが――。
――……? ヘリが来ない?
ニコラスはハッと窓を振り返る。
ヘリがいつの間にか離れ、飛び去っていく。一点を目指して。
――ハウンド……!
***
――限界か。
息を完全に切らしながら、ハウンドは交差点の真ん中に立っていた。
乗り捨てられた数台の車両の影に潜んでいるものの、出られない。四方八方から弾が飛んでくる。
挙句、空からヘリの爆音が近づいていて、左右の通りには双子がそれぞれ待ち構えていた。
駄目だ。もう逃げられない。
――皆は、無事に逃げたかな。
ハウンドは愛銃の
だがあと一発だけ、残っている。
――ごめん、ニコ。嫌な選択をさせたな。
引金を引き絞る。
信号弾が上がった。
敵が撃ち込んできた火球に比べれば、あまりに小さな火の玉。頼りないちっぽけな炎が、天高く上がっていく――。
***
空へ昇っていくその灯火に、誰もが一瞬足を止めた。それが合図だったからだ。
ニコラスはほんの数秒だけ、瞑目した。
分かっていた。勝ち目のない戦いだと。時間稼ぎのための悪あがきだと。
反抗作戦に打って出るにしても、これしか方法がなかった。
これは、あの子を見捨てることが前提の作戦。
俺は今、またあの子を一人ぼっちにして置いていく。
――畜生。
ニコラスは無線に向かって怒鳴った。
「30秒後に開始するぞ! 総員、撤退!!」
***
――なんだ?
オヴェドはモニターを注視した。
信号弾が上がったのは目にしていた。だが、ニコラス・ウェッブ率いる27番地部隊は、次々に撤退していく。
大事な統治者が目の前にいるというのに。
オヴェドは各部隊へ警戒を呼びかけた。だがいくら確認しても、増援もなければ、反撃の兆しもない。
27番地はついに統治者を見捨てて逃げ出した。どう見ても、そうとしか思えない。
だがそんなはずはない。
――なにを合図した。なにをする気だ。
オヴェドはモニターに目を戻し、映像を拡大する。
交差点中央、車の影に蹲るようにして座り込んだ少女の頭が見えた。
俯いたその顔の、垂れる血と汗と前髪の向こうで。
口角がニッと、吊り上がった。
瞬間。
「!?」
轟音と震動が襲った。
先ほど自分たちが仕掛けた新型自爆ドローンなど目ではない。その数倍の規模の轟音だ。
オヴェドは背後の窓を振り返った。
「なっ……!?」
目を疑った。
27番地のあちこちから土煙が吹き上がっている。無数のビルが傾き、倒壊していく。
『退避だ、退避しろっ!!』
悲鳴に近い無線はすぐノイズが走って聞こえなくなった。
27番地が崩壊していく。《トゥアハデ》の兵士を巻き込みながら。
だがその崩壊は無秩序ではなかった。国境線沿いの建物だけが倒壊しているのだ。
国境線に沿って街を囲うように、腕の中へ抱き込むように、四散した瓦礫が街を包んでいく。
そこでやっと気づいた。
標的、ブラックドッグの位置。今、奴がいる場所は――27番地国境線の外。
「ブラックドッグ――ッ!!」
27番地の自爆攻撃――否、自爆防御は、すべてを飲み込んだ。
ビルが崩れ落ち、落下の衝撃で舞い上がった土煙の津波が、道という道を走り抜けていく。大地震のごとき震動が絶えずセントラルタワーを突き上げる。
立つこともやっとの中、オヴェドはモニターを睨みつけた。
少女の顔が白煙に覆われて消え、ぶつりと映像が途絶え、完全に沈黙してなお。
オヴェドは睨み続けていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次の投稿日は6月28日(金)です。
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