10-2

〈2014年2月23日 午前9時19分 アメリカ合衆国ミシガン州 特区36番地 ターチィ領三等区〉


 もし自分の死後、何かに生まれ変わるとしたら、バービー人形だけには絶対になりたくない。


 あれになるくらいなら、人形に付属してるショッキングピンクや紫の家か家具の方がいい。ああいや、あれには一応ボーイフレンドがいたか。

 どっちにせよごめんだが。


 もはや何着目かも分からないスーツジャケットを着されられながら、ニコラスはそう思った。


「おお~、てっきり店長が着てるみたいなやつが似合うと思ってたけど、こっちのウエストがきゅっとしてるやつも悪くないな」


「ブリティッシュスタイルね。店長さんは細身だから肩にボリュームある方がいいんだけど、この子かなりがっちりしてるからイタリアンの方がいいかと思って。ボックススタイルもアリね。次はこのストライプなんかどう? イタリアンでラインは太め。ちょっと年上向けなんだけど、この子みたく吊り目系の子にあてると雰囲気がマイルドになるのよ」


「ふ~ん、じゃあそれで。色は任せる」


 まだ着るのか。


 勝手に次の試着候補を決めてしまったハウンドへげんなりした目を向けるも、彼女は満面の笑みで、グッと親指を立てる。


「大丈夫! ニコってば筋肉ついてるし姿勢もいいから何でも似合うよ」


 何でも似合うなら、何を着てもいいのではなかろうか。


――行き先が娼館じゃなけりゃ海兵隊礼服ブルードレスでも着てくんだが……。


 冤罪とはいえイラクでの一件で迷惑をかけた負い目から、除隊後一度も袖を通していないが、今でもきちんと洗濯をして保管してある。


 けれど残念なことに今回の依頼――もとい行先はターチィ領一等区最大の歓楽街、最高級の娼婦をそろえた娼館がひしめく『中曲』だ。


 犯罪都市とはいえ、売春が厳格に取り締まられているアメリカで償還などというものが堂々と存在していることにも驚きだが、もっと驚いたのは街を出入りする者は男女ともにドレスコードが必須という点だ。

 場合によっては客に性病検査証明書の提出を求められることもあるという。


 予想以上の管理体制だ。国内風俗業界よりよほど統制が取れているのではなかろうか。


 とはいえ、犯罪都市屈指の夜の街であることに変わりはない。除隊後も海兵隊の名を貶める真似はしたくなかった。


 そもそもの原因は自分にある。


――まさかスーツが着れなくなってるとはな。


 以前からスーツが必要な依頼は、丈を調整した店長のおさがりスーツを着用していたのだが、今朝ひさしぶりに着ようとしたら腕が入らなかった。


「筋肉のつけすぎだね」


 と、店長に微笑ましげに苦笑され、ひとまず依頼はスーツを調達してからとなった。


 ここ、ターチィ領三等区に出向いたのはそういうわけである。ハウンドに頼んだ相談事の仕込みをするついででもあった。


 というわけで、ハウンド馴染の店らしいこのサロンに来たわけだが……来店早々、着せ替え人形にされるのは予想外である。


 こちらのネガティブな思考を嗅ぎ取ったのだろう。

 ハウンドはへそを曲げたガキをみるような目で目元を和らげる。


「大丈夫だって。私、色分かんないけど、ここの店の目利きは確かだから。金に糸目はつけないし、ちゃんと良いの選んでもらうからさ」


 別にスーツや金の心配をしているのではない。というか、金は後できっちり返す。


 自分が辟易しているのは、このいつまで続くか分からん着替え地獄と、依頼主のくせに依頼内容の詳細を未だ話さない自称友人に対してだ。


「お兄サン、愛されてるネー。モテる男は大変ネー」


 ほら。今もこうして一人掛けソファーにふんぞり返って高みの見物だ。


 依頼主ことイヤドは、自分のことより座ったソファーの座り心地を堪能するのに夢中だった。


 さらに困惑する理由がもう一つ。


「はぁい、お待たせぇー」


 店のオーナーが、太い両腕に大量のスーツを吊り下げて戻ってきた。


 ニコラスとしては、他人がどんな喋り方をしていようと、性自認がどうというのも好きにすればいいと思う。


 たとえノリータの高級ブティック街の通りに構えていそうな小洒落た店から出てきたのが、ワイシャツ・スラックスにサスペンダーのむくつけき男であろうと、その振る舞いがそこんじょらの女子高生よりよっぽどキャピキャピしてようと、個人の自由だ。


 だがいざ目の前でバリトン声のゴリマッチョ男が、きゅるんとウィンクしながら現れると普通に困惑する。単純に見慣れていない。


 というかこの男 (?)、自分より頭一つはデカいし、筋肉が盛り上がり過ぎてサスペンダーが見えない。

 美容師よりプライベート警備員と言われた方がよっぽど納得がいく。


「素材がいいからね。ちょっと張り切り過ぎちゃったわぁ。色の好みとかある? デザインは? 小物系で何かこだわりは?」


「……スーツとかは全部任せる。小物は……これ使えるか?」


 ニコラスはポケットの中からループタイを取り出した。以前ハウンドにプレゼントしてもらったものだ。


「ループタイ? 結構クセのあるアクセだけど……あらやだ、これべっ甲タートルじゃない! しかも螺鈿も入って。まあ、金具も付け替えられるタイプなのね。いいもの持ってるじゃない!」


「いや。俺じゃなくてハウンドが」


 視線を投げると、そこにいたはずの彼女がいない。

 どこ行ったと探せば、いつの間にか店の端にあるネクタイが並んだショーケースを覗き込んでいた。


 さっきまで傍らでちょろちょろしていたのに、なぜ急に距離を取る。彼女の照れ方はよく分からない。


「これだったらラペルピンとして付けられるわね。気合入るわぁ。ブローチとチェーンどっちが好み? あ、ピンときてない顔ね。いいわ、どっちもコーデ組んであげるから、好きな方選んで」


「はあ」


「心配しないでちょうだい。当日のヘアセットまで、しっかり仕上げてあげるから」


 背中を思い切り叩かれて軽くむせる。やっぱりこの店員、美容師を装った傭兵なんじゃなかろうか。


 オーナーは上機嫌にスーツ選びを再開した。

 その肘下から (身長差でそうなるのだ)ハウンドがしげしげと覗き込んでいる。いつの間に戻ってきたのか。


 なんだか最近、ハウンドの生態がますます分からなくなってきた。


 その隙に呼吸を整えて、ふと、ニコラスは気になっていたことをイヤドに小声で尋ねた。


「かなり踏み込んだことを聞くが、イヤド。お前、宗教的に大丈夫なのか」


「ノープロブレム。この人、性自認は男ヨ」


「知り合いなのか?」


「この人、ここの二階でバーやってル。私、そこの常連。話し方変わってるけどいい人ヨ。アッラーもお許しになル」


「そういうもんか」


「そういうもんヨ。たしか、エックスジェンダー? クエスチョニング? みたいな」


「なんでもいいわよぉ」


 ひそひそ話し合っているところに、オーナーがやたらいい声でゆるりと被せてきた。会話に割り込んできたのに、ちっとも不快にならない不思議な雰囲気の持ち主だった。


「そんな難しいことどうでもいいのよぉ。アタシはアタシ。自分が思ってることと他人が思ってることが違うのは当たり前だしねぇ」


「おおらかだな」


「ふふふ、人生を楽しく生きる秘訣よ。さあ、頭の痛くなる話より目の前のことを楽しみましょう!」


 そう言って、目の前のハンガーラックをスーツで埋めていくオーナーにげんなりする。


 まだ着るのか。


「お兄サン人気者ネ」


「よく分からん」


 ケラケラ笑うイヤドに、ニコラスは少々苛立ち始めた。話し渋るのも大概にしてもらいたい。


「お前な。いい加減、依頼内容のこと話してくれよ。友人が殺されたかもしれないんだろ? こんなのんびりしてる場合か。というか、現場に行く話はどうなったんだ」


 友人が死んだ。その死因に納得がいかないから調査してほしい。詳しいことは現場に行ってから話す。


 それがイヤドの依頼内容だった。


 真剣な表情で、しかもそれなりの前金を用意してわざわざ27番地まで訪ねてきたのだ。

 さぞ深刻な内容だろうと覚悟してきたのに、蓋を開けてみればこれである。


 なに考えてんだ、と、詰め寄りかけてニコラスは語尾を飲みこんだ。

 イヤドが口元に人差し指を立てていた。


「よく分かってるネ。けど今はオーナーに付き合ってあげテ」


「関係者なのか?」


「亡くなった人、オーナーのバーの常連ネ。私よりずっとずっと前から通ってタ」


「バーだって? じゃあ被害者が亡くなった現場って……」


「イエス、ここヨ。オーナーのバーのトイレで死んでタ。オーナー、すごく落ち込んでタ」


 なるほど。それは確かに相当ショックだろう。昔からの馴染客が、よりによって自分の店で死んでいたのだから。

 しかも他殺かもしれないともなれば、心中穏やかではいられまい。


「となると、発見者も?」


「オーナーだヨ。笑った顔見るの久しぶりネ」


 ニコラスはハウンドと談笑するオーナーを振り返った。


 悩みなど生まれてこのかた持ったことがないふうに見えるオーナーだが、はぐらかすのが上手いだけなのだろう。

 ハウンドに少し似ている。


「もうちょっとだけ我慢して。オーナーとっても世話好き、良い人ネ。元気出たら、色々と話聞けると思うヨ」


 関係者なら円滑に話を聞き出せるに越したことはない、第一発見者となればなおさらだ。


 適当そうにみえるが気が利いて、存外冷静なところもあるイヤドである。


 ニコラスは今しばらく、着せ替え人形に甘んじることにした。




 ***




「ああ楽しかった! こんなに笑ったのいつぶりかしら。イヤドちゃん、気を遣ってくれてありがとう」


 イヤドちゃん。


 もはやツッコむのは止めようと真顔を保つニコラスの隣で、同じくカウンター席に座ったイヤドが「お安い御用ネー」と肩を竦めた。


 正直に言おう、本当に疲れた。同じ三時間でも、これなら訓練の方がずっといい。


 表情から漏れ出ていたのだろう。オーナーはしっかり描かれた逞しい眉を申し訳なさげに下げた。


「あなたも付き合ってくれてありがとね。アタシはチキーニョ・プラド・ペレイラ。チコって呼んでちょうだい。見ての通り、昼はサロンのオーナーで、夜はここ二階のバーを切り盛りしてる。といっても、バーの方はしばらく閉めてたんだけどね。あんなことがあったから」


 そう言って、オーナーことチコはカウンターテーブルを拭いた。

 拭いた後がくっきり見えるぐらい埃が積もっていたが、それがあまり気にならないくらいに店内はすっきりとしていた。


 うちの『BROWNIE』と少し雰囲気が似ている。

 例えるなら、同じクラシックカーでも、『BROWNIE』がアルヴィスの3リッター・シリーズなら、この店はフォルクスワーゲンのタイプⅡバスだろう。


 落ち着いたシックな雰囲気だが愛嬌があって、身内同士で貸し切って大勢でわいわいするのが楽しそうな店だった。


「となると、店を閉めていたのは、事件があった二週間前からか」


 ニコラスはポケットから手帳を取り出しながら尋ねた。ここに来るまでイヤドから聞き取った内容を記してある。


 チコは折り曲げていた背を伸ばし、手の中の布巾を握りしめた。


「そうよ。ハウンドちゃんとはそれなりに長い付き合いだし、本当はもっと早く相談しようと思ってたんだけど……いざ相談しようとしたら、あれこれ考えて尻込みしちゃって」


「だから私が動いたってわけネ。私が彼の死を知ったのは三日前ヨ」


 チコとイヤドからの証言に耳を傾けながら、ニコラスは手帳を開いた。


 被害者は、チャン・トォウフォ。35歳。

 中国系アメリカ人で、九年前にアメリカに帰化している。


 職業はアニメーター。

 中国に居た頃からやっていたようで、アメリカ移住後もしばらく大手アニメ会社に勤めていたようだが、五年前に退職して自身の会社を立ち上げている。


「確か、昨年ぐらいから特区に越してきたんだよな?」


「イエス。ここ36番地に住んでた。いい人だったヨ。買い出しで私がターチィ来た時、チンピラに絡まれたとこ助けてくれタ。金払って追っ払ってくれたヨ。ここの店、紹介してくれたのも彼。色んな事に詳しくて、聞き上手で、彼といると楽しかったヨ。それが」


 イヤドの声が絡まって途切れた。


 ニコラスは無理もないだろうと思った。


 被害者チャンは、バーのトイレで首を吊っていたという。

 足元には脚の折れたぼろい脚立と遺書らしきメモが転がっていたが、背中や脇に数本の刺し傷があった。


 恐らく、首に縄をかけた状態でぼろぼろの脚立に立たせて、背や腹を小突いたのだろう。足を踏み外せば首が締まる。


 改めて店内を見回す。

 壁にピン留めされた写真の中に、チコとイヤドに挟まれて、俯きがちにはにかむ男性が映っていた。


 眼鏡をかけていて背が低く小太りで、いかにも気が弱そうな人物だった。


「一応特警の調査も入ったけど、絶対に自殺じゃないわ。殺人よ。後ろ手に両手縛られてたのよ? しかも全部の指が第二関節から切り落とされてた」


「待った。指を切り落としたのか? アニメーターの指をか」


 口を挟んだハウンドに、チコは「そうよ」と声を振り絞った。

 握りしめた布巾から数滴、水が流しに落ちた。


「手が命のクリエイターに対して、これ以上ない残酷な殺し方だわ。チャンは拷問を受けたうえで殺されたのよ。そのうえ。あり得ないわ」


「私もそう思うネ。彼みたいな人が、プリンセスに乱暴するはずがないヨ」


 穴? プリンセス?


 ニコラスが首を捻る前に、ハウンドが補足してくれた。


「プリンセスってのはターチィ一家の娼館に所属する娼婦のことだ。妓女ジンニュウともいう。んで、その妓女に無礼を働いた不届き者には、制裁として死体の首に四つ小さな穴を開けるんだ。蛇が噛みついたように見えるようにね」


 ターチィ一家の紋章は蓮に絡みつく白蛇だ。

 そのためか彼女らが行う――ターチィ一家構成員の大半は女性だ――制裁は蛇にちなんだものが多い。


「じゃあ被害者は巻き込まれただけか? そのプリンセスとやらに関わりがないってんなら、」


「いや、あル」


「え、あるのか?」


 顔を向けるとイヤドは慌てて顔の前で手を振った。


「あるにはあるヨ。彼、水曜の夜になると必ずおめかしして娼館に行ってタ。でも彼、女の人に手を上げるような人じゃないヨ」


 ということは、常連客か。


「通ってた娼館の名前分かるか?」


「チンロウって言ってたネ」


 ニコラスはハウンドと顔を見合わせた。


 青楼チンロゥ、中曲でも最高級ホステスが住まう娼館で、ターチィ一家幹部でもあるナンバー持ちが集う場所である。


「本当にそこなのか? 青楼って最低ランクの妓女でも一時間三千ドルはするぞ。しかも会員制で紹介がないと入れないはずだが」


 腕を組んで身を乗り出すハウンドに、イヤドは「本当ヨー」と何度も頷いた。


「チャン、たまにお土産持って帰ってきてたのヨ。すっごく高そうなお酒とかお菓子とか、ここに立ち寄ったついでにくれることあったネ。なんかプリンセスに要らないからあげる言われたって」


「それはアタシも保証するわ。確かにチャンは青楼に通ってた。妓女の中には、客から貰った物の消費に困って他の客に押し付けることがあるのよ。ほら、あそこのブランデーとシャンパン、あれも彼が持ってきたものよ」


 そう言って、チコは飾り棚の瓶を二つ、口を摘まんでくるりと反転させた。確かに白文字で、チャンから皆へ、と記されている。


「けど被害者は週に一回は通ってたんだろ? アニメーターってそんなに金あるもんなのか」


「うーん、どうだロ。金払いはよかったと思うけど……チコ、どう思ウ?」


「裕福ではなかったのは確かね。会社の資金繰りにいつも苦心してたし、融資がどうのとか愚痴ってたこともあったし。けど本当に妓女に手を出したりする人じゃないのよ? お行儀が良すぎてつまんないって妓女に言われたってへこんでたぐらいの人なの」


「私もそう思うネー。むしろいい人すぎるぐらい。特区に住んでるのが不思議なぐらいヨ」


 ニコラスはハウンドを見た。


 ハウンドはうっかりカカオ70パーセント以上のビターチョコレートを噛んだような小難しい顔で天井を見上げた。


「ターチィの妓女は上にいけばいくほど美しく教養も高い。間違っても気に食わないから殺す、なんて傍若無人はまずない。一家の名に関わってくるからな。幹部クラスのナンバー持ちともあればなおさらだ。他一家の娼婦なんかと比べたらよっぽどお上品だが。けど無いとも言い切れないからな~……借金は?」


「してたわ。ターチィの高利貸しに。ツケ払いは店に迷惑がかかるからやりたくないって言ってた」


 チコの返答に、ハウンドは口にビターチョコを十個ほど詰め込まれたような顔をした。


「となると、返済に失敗した可能性もあるな。ターチィの高利貸しは取り立てがシビアなんだ。質の悪いのにあたると賄賂を上乗せしてくることもある」


「けどあんな律儀な人が……約束だって、破ったことないのよ?」


 チコとイヤドは納得がいかないようだった。


 その気持ちは理解するが、風俗というのは日頃は秘めているその人の本性が露見する場でもある。


 ニコラスの母もフリーの娼婦だったが、お行儀よくスーツを着込んだ傍目にはどう見てもいい人でまともそうな客ほど、全然まともではなかったケースは多々あった。

 母からサンドバック代わりとして客に提供されていたニコラスも、よく痛い目にあったものだ。


 ニコラスは咳払いをした。


「ひとまず被害者が通っていたお相手の名前は分かるか? 芸名でもいい」


「それは……ごめんなさい。分からないわ。あんまり踏み込むことじゃないと思ったから」


「私も知らないネー。ただ美人なのは確かネ。『今日も綺麗だった』って嬉しそうに笑いながら話してたの、よく覚えてるヨ」


 その美人が大量にいるのが青楼だと思うのだが。


 ともあれ、関係者から話を聞けたのは大きい。ニコラスは情報を整理しつつ、席を立った。


「取りあえず青楼に出向いて聞き込みをやってみるよ。ターチィの制裁となれば、どこまで話を聞けるかは分からないが。それでいいよな、ハウンド」


「ん? ああ。そうだね。こっちも例の相談の件で幹部に話、通しておきたいし」


 少し返答に遅れた彼女に、ニコラスはわずかに顔をしかめた。

 こういう視線を合わせず返事をする時のハウンドは、一人で抱え込んで対処しようとしている前触れだったりする。


 イヤドとチコに再来店の日時を伝え、スーツの支払いを済ませて店を出た後も、ニコラスは歩道を歩きながらじっとハウンドの背を見つめ続けた。


 するとハウンドは突然立ち止まり、仰々しく溜息をつくと振り返ってジト目で睨んだ。


「そんなに監視しなくても、一人でどっか行ったりしないって。こないだのアッパーでの件で懲りたよ」


「なら情報共有してくれると助かるな。重大な情報を教えられないまま任務に当たらにゃならん部下の気持ちにもなってくれ」


「ごめんて。隠し事をするつもりはないよ。ただ、どうしてそうしたのかが分かんなくてさ」


「何がだ?」


「チコから嘘のニオイがしたんだよ」


 ニコラスは立ち止まり、ハウンドの横顔を凝視した。


「本当か」


「被害者のことを悼んでいたのは事実だよ。憤っていたのも本当。イヤドもね。けど嘘のニオイがした。何に対して嘘をついたのかは分からないけど。けど、チコは何か隠してる」


「今から戻って聞き出すか?」


「そうしたいのは山々なんだけど、割と強かなんだよ、チコ。三等区で店構えてるだけあって肝も据わってるし、口も固い。下手につつくと逆にだんまり決め込みそうなんだよね」


 となると、今は泳がせておくのが吉か。


 ハウンドも同意見だったらしく、「ともかく」と両手をポケットに入れ直し、首を竦めた。


 先日の雨で解けた雪が再凍結して、道路の両脇や日陰で灰色に淀んだ氷がこびりついていた。春はまだ遠い。


「ひとまず体勢を立て直そう。相談の件もあるし、『双頭の雄鹿』のこともある。“銘あり”がここに潜伏してるってんなら、サポートも含めて万全の態勢で臨みたい」


「そうだな」


 歩き出したハウンドの半歩後方にぴったり寄り添いながら、ニコラスは彼女に続いた。










――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

次の投稿日は2月16日(金)です。


予告した通り、二週間お休みを頂きます。またこの二週間の合間に、第1節プロローグを大幅変更いたします。以前投稿した小話を含めた内容となります。


お待たせしてしまって申し訳ありませんが、気長にお待ちいただければ幸いです。絶対完結させます。

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