5-4

 数分後、ニコラスはミチピシ三等区の50番地に来ていた。


 イヤドと名乗ったイラク人の青年は後部座席から身を乗り出し、大通りを抜けた先の細道を指さした。


「あそこの通りの突き当たり。緑の家、そこがワタシたちの店」


 細道の両脇はトレーラーハウスでひしめいていた。


 通りを歩く住民に目をやったニコラスは、その人種の多様さに驚いた。

 アラブ系、東南アジア系、ヒスパニック系、東欧系、ユダヤ系、カリブ系……。


 アメリカに入国する移民の見本市を見ているようだ。

 生まれ故郷のニューヨークもそれなりの人種のるつぼだが、ここまで多種多様なのも珍しい。

 

 と、そこに鮮やかな緑のトレーラーハウスが現れた。

 出入り口頭上にはアラビア語と英語で『アラブ料理店』と書かれたベニヤ板の看板が垂れ下がっている。


「ここがワタシの家。身寄りのない人で集まってできた店。そこで待ってテ。話しつけてくル」


 イヤドはパトカーから降りようとして、思い出したようにニコラスに囁いた。


「お兄サン、窓から見えないところに立ってテ。ワタシの家、イラン人いル。彼、アメリカ人嫌い」


 見つかると面倒になるから顔を出すな、ということだ。

 ニコラスは頷いた。反論する意思も気力もなかった。


 大人しく頷いたこちらに満足したイヤドは、ケータにパトカーを隠せそうな廃墟を教えると、足早にトレーラーハウスへ向かった。


「……どうする」

「どうもこうもねえだろ。ひとまずパトカー隠してきてくれ。思い切り悪目立ちしてるから」

「いや。それはいいんだけどさ……」


 目で「一人で大丈夫か」と問うケータに、ニコラスは無言を貫く。


 ケータの言いたいことは分かる。

 イラク人とイラク帰りの元海兵隊員。侵略された側と侵略した側、水と油の存在だ。問題ないという方がどうかしてる。


 だが。


「……敵地で協力者なしの捜査じゃすぐ限界がくる。ただでさえミチピシ一家に門前払いくらってんだ。協力してくれそうな奴は片っ端から利用するしかねえだろ。それに――」


 ニコラスは深呼吸をした。上擦りそうになる声を抑えるように。


「イヤドには危ないところを助けてもらった。礼もなしにトンズラじゃあんまりだろ」

「それはまあ、そうだけど」


 まだ言いたげな様子のケータだったが、笑顔でこちらに戻ってくるイヤドを見るなり閉口する。


「店、ちょっと空けてもらっタ。寄ってってヨ。二人とも、お昼まだでショ?」

「あーその、俺たちは――」


 と、言いかけたケータの言葉はまたも遮られた。ケータのスマートフォンに着信である。


 相手を視るなり、ケータがばつの悪い顔をした。


「上司からだ。えっと……」


 タイミング悪くかかってきた定時連絡の電話に、ケータが自分とイヤドの顔を見比べた。自分を一人にすることを案じているのだろう。


 ニコラスは溜息をついた。


「イヤド、どうも相方はこれから仕事の話があるらしい。席外してもいいか?」

「もちろン! そっちの人、警察でショ? 話してきていいヨ。悪いこととかしないかラ」

「お、おう」


 にこやかなイヤドに気圧される形で、ケータはおずおずとパトカーを発進させた。


 後ろ髪を引かれるような顔で見つめるケータを、ニコラスはなるべく見ないようにしていた。




 ***




「はい、コーヒー。アメリカ人、コーヒー好きだよネ? 砂糖入れなくてでよかっタ? あ、シャカルラマ (イラクのクッキー)もあるヨ」


 トレーラーハウスのカウンター席についたニコラスは「ああ」と生返事をした。


 返事を無視するのはどうにか堪えたが、視線だけはどうしても合わせられなかった。


 逃げ出したい気持ちを抑えるべく、やたら苦みとえぐみの強いコーヒーに口づける。もし毒が入っていたとしてもニコラスは飲み干すつもりだった。


 こちらがマグカップを手にしたのを確認したイヤドは一つ頷くと、隣にあった椅子を自身の方に引き寄せて座った。


 沈黙が圧し掛かった。

 1メートル強の距離にいるイヤドと自分の間の床に、不可視の深い氷渓クレバスが口を開けているような気がした。


 十数秒後、イヤドが先に口を開いた。


「お兄サン、大丈夫?」


 ニコラスは顔を僅かにしかめた。怪我の治療なら先ほど断ったばかりだ。


 しかしイヤドは「ちがうちがウ」と首を振った。


「怪我のことじゃないヨ。お兄サン、ティクリートのことでずっといじめられてるでショ? それもアメリカ人から」


 全身から血の気が引く音が聞こえた気がした。

 恐る恐る顔を上げれば、やっぱりと言わんばかりのイヤドが苦笑した。


「ワタシ、お兄サンのこと知ってル。ワタシ、イラクでアメリカ人の通訳してタ。イラク軍より給料よかったからネ。頑張って英語おぼえたヨ。アメリカ人、お兄サンのこと話してタ。みんな怒ってたヨ。命かけて戦っタ。あなたとあなたの部下、イラク人守っタ。なのに悪い人って言われル。とても理不尽ネ」


 ニコラスは言葉を失った。


 同僚が自分たちのために怒ってくれたことにではない。

 イラク人であるイヤドが、自分を気遣ってくれたことが信じられなかった。


「…………あんたは、俺が憎くないのか」

「それは狙撃手だったかラ?」


 ニコラスはもう顔すら上げられなかった。


 イラク戦争で最もイラク人に憎まれたのは自分たち狙撃手だ。

 理由は極めて単純明快、自分たちが最もイラク人を殺したからだ。


 そしてイヤドは、自分の素性を知っている。

 もう言い逃れはできなかった。


 本気で死を覚悟したニコラスだったが、イヤドは罵倒することも殴ることもしなかった。


 ただ苦笑に切なげなものを混ぜただけだった。


「お兄サンは随分と心配してるみたいだけど、イラク人殺したのアメリカ人だけじゃないヨ。イラク人もイラク人殺してた。特にワタシみたいなのネ。アメリカ人に味方してル。ワタシ裏切者。だからアメリカに逃げてきタ。イラクにいたら殺されるかラ」

「……」

「ティクリートの次の年には政府軍と民兵が殺し合ってたヨ。どっちもイラク人なのにネ。どっちも変わらないヨ。同じ穴の

「貉か」

「そうそれ!」


「英語難しいネ」と笑うイヤドには憎悪や怨嗟は欠片もなかった。ニコラスがイラクでよく向けられた、蛇を見るような目もしていない。

 その眼差しは、数十年ぶりに旧友と再会した時のような温もりと懐かしさがあった。


 それが不可解で、逆に恐ろしい。


 その時、イヤドはふっと目を細めた。泣きたいのを必死に堪えているようだった。


「ワタシ一人で逃げてきタ。家族まだイラクにいル。家族ワタシ逃がすためにお金集めタ。それで精いっぱい。ワタシ何もできなイ。自分が情けないヨ」

「……政府に助成金とか申請しなかったのか?」

「勧められたネ。でも断っタ。だからここに来タ。貧乏でも元気なうちは自分のこと自分でやるヨ」


 そう言って笑ったイヤドだったが、その笑顔はすぐに曇ってしまった。


「ワタシ、アメリカ人恨んでないヨ。助けてもらっタ、守ってもらっタ。ワタシ、アメリカ人知ってる。憎めないヨ。でも他のイラク人、そうじゃなイ」


 ニコラスは黙って続きを促した。


 口を挟む権利は自分にはないと思っていた。


「同胞の怒り、悲しみ、憎しみ、よく分かル。でもワタシ仲間になれなイ。もう分かり合えなイ」

「仲間になれない?」


 どういうことだと訝しむニコラスに、イヤドは切なそうに眦を下げた。


「もう一緒に怒れなイ。一緒に泣けなイ。一緒に憎めなイ。ワタシ仲間外れ。イラク人じゃないって言われル。それがワタシ、とても寂しイ」


 返す言葉がなかった。


 イヤドは項垂れ、力なく首を振った。


「なんでかナ。みんな大事なもの守りたいだけなのニ。どうしてこうなるのかナ」

「…………そうだな。なんでだろうな」


 ニコラスも俯いた。


 国のため。組織のため。家族のため。自分のため。

 人が争う理由は古今東西尽きることがない。


 だが皆、己の大事なもののために戦っているという事実は変わりない。


 逆に言えば、それだけで人は大罪を犯せてしまう。

 それを正義と妄信できる。

 誰かの大事なものを平気で踏みにじることができる。


 見るに堪えぬ愚行と誹られて幾星霜。

 人類は未だ争いを止められない。


 とあらば、いっそこの愚行そのものが人間の本質なのか。


 項垂れたままの自分に、イヤドはおずおずと声をかけた。


「ごめんね、お兄サン。ティクリートのこと、ワタシ謝れなイ。謝ったらイラク人じゃなくなル。それはとても困ル。だから謝れない。けどごめン。謝れなくてごめんなさイ」

「………………いや、いいんだ」


 ニコラスはのろのろと顔を上げ、初めてイヤドと目を合わせた。


「謝る必要なんてないさ。俺たちも謝罪なんて期待してない。それだけのことやったからな」


 人を殺しておいて、赦されたいとは思わない。


 俺は人殺しだ。罪人だ。

 罪人のくせに人を救おうと足掻いた偽善者だ。


 だから俺はいい。


 ただ死んでいった戦友たちが、ほんの少しでいいから報われて欲しいと願っただけで。


「……その言葉だけで充分だ。ありがとう、イヤド」


 ありがとう、戦友を想ってくれて。


 そう願いを込めて伝えると、イヤドはほっとしたように両肩を下げた。


 ニコラスは再び俯いた。


 脳裏には最後までバカ騒ぎを諦めなかった戦友たちの笑い顔が浮かんでいた。

 死に顔ではなかった。




 ***




 伝えたいことを伝えてすっきりしたのか、イヤドは途端に饒舌になった。


「顔色よくなったネ。良かった良かっタ。今どこに住んでるノ?」

「27番地だ」

「27番地! よく聞く街ネ。ここの住民のあこがれ」

「そうなのか?」

「うん。仕事あル、マフィアいなイ、選挙あル。いいこと尽くしネ。お兄サン、街楽しイ? いじめられてなイ?」

「……そうだな。随分と良くしてもらってる。良い街だ」

「そうか! よかっタ!」


 満面の笑みで頷くイヤドにほっとする。


 特区に来ているということは、合衆国に居場所が無いということだが、今はイヤドが我が事のように喜んでくれるのが嬉しかった。


「それにしてもデリバリーの帰りでリンチにあってる人が知り合いとは思わなかったヨ。大きな怪我無くてよかっタ。ほら、お菓子も食べテ。今日のシャカルラマ上手く焼けたから」


 笑顔でイラク風クッキーの皿を押し出してくるイヤドに苦笑する。

 甘いものは苦手なのだが、香ばしいバターの香りがやけに食欲をそそった。


 一つぐらいは、と指でつまみ、ぽいっと口に放り込んで、


「ニコラス! 今いいか!?」


 思い切りむせた。

 トレーラーハウスの扉から飛び込んできたケータに驚いて、クッキーが気管に入ってしまったのだ。


 咳き込む背をイヤドがさすり、ケータは己のしでかしたことに気付いて謝り始めた。


「す、すまん。大丈夫か?」

「なん、ごほっ、とか。げほっ。んで、どうした……?」

「ああいや。さっきハウンドの方から電話かかってきて。おたく、携帯落とさなかった?」


 はっと気づいたニコラスは慌ててポケットをまさぐった。


 確かに無い。先ほどのミチピシ本部前での騒動で落としたのだろう。


「GPSでお前の位置が動かないから何かあったんじゃないかって電話かかってきてさ。ともかく今すぐ出てくれ。めちゃくちゃ心配してたぞ」


 コーヒーでクッキーを流し込んだニコラスは急いでスマートフォンを受け取った。


 通話中なのを確認して、耳に当てれば。


「俺だ。ハウンドか――」

『あああああやっと出た番犬ちゃん!! 怪我とかしてない!? てか嘘でも怪我してないって言って! 死ぬっ、殺されるっ、このままだと俺ちゃんマジで死ぬぅうううううう!!』


 聞き覚えのある青年の喚き声に閉口する。


 言うまでもない。セルゲイだ。


「いいから落ち着け。声量落とせ。いったい何があったんだ?」

『んなもんこっちが聞きたいよおおおおお! もう何やってんの!? スマホ落とすとかドジっ子かよそんな属性求めてねえよ! おめーのお陰でヘルの奴が激おこのおこでもう大変なのっ! さっきなんか俺ちゃんのポルシェ勝手にパクってミチピシに乗り込もうとするし武器庫から対戦車ライフルやらRPGやら持ってくるしもうちょーおっかなかったのよ!? おっかねえのはうちのボスだけで十分なんだよこん畜生! なにが悲しゅーて休日返上で出勤した日に人狼娘の相手しなきゃなんないのっ、俺ちゃん猛獣飼育員に転職した覚えはありませんよ!? 俺ちゃんが餌ってか! ああん!?』


 すまん、セルゲイ。

 発言の半分近くがなに言ってるかさっぱり分からん。


 ひとまず「おう」とだけは返事しておく。


 と、その時。セルゲイの「ひえっ」という悲鳴の後に、ようやくお目当ての人物が出た。


『ニコラス、今どこ?』


 その声の低さと隠し切れない殺気に全身が粟立った。

 日頃のお茶らけぶりはどこへやら、これでは喉笛に食らいつく寸前の狼の唸り声だ。


 有無を言わせぬハウンドの口調に、ニコラスはしどろもどろと答えた。


「50番地の外れだ。現地住民の家に匿ってもらってて――」

『さっきミチピシの方から救済連合に襲われてた男がいたって聞いたんだけどさぁ~、まさかニコじゃないよねぇ~?』


 いつも通り間延びした語尾だが声のトーンは下がったまま。むしろどんどん急落している。


 ニコラスはだらだらと冷や汗をこぼしながら必死に説明する。

 一連の騒動の流れを聞いたハウンドはしばし沈黙した。


「あの。ミス・ハウンド……?」


 敬称で呼んでしまったのは不可抗力である。


 いよいよ本気で乗り込んでくる気かと思いきや、ハウンドは肺を空っぽにせんばかりに深々と溜息をついた。


『取りあえず、怪我はないのね?』

「ああ、ちょっと殴られただけで」

『殴られたぁ?』

「OK分かった安心しろあんなしょぼいパンチ屁でもなかった。大丈夫だ」

『本当に?』

「本当だ。本当に大丈夫だから」

『――はあ~……。ひとまず無事で何よりだよ。あと乗り込んだりもしないから。さっきミチピシかラ釘刺されたばっかだしね。ほんっと連中の頭の固さには呆れかえるよ。本部が爆破されたってのに』

「なんだって?」


 思わず大声を出してしまったニコラスは、こちらに聞き耳を立てるケータと目配せする。


 ケータが頷いたのを確認したニコラスは、いったんスマートフォンを離しイヤドに尋ねた。


「イヤド、これから話すことは決して口外しないって約束してくれるか?」

「もちろん! ワタシ口の固さには自信があるヨ」


 ケータと頷きあったニコラスは通話を再開する。


「ハウンド、ここに現地の協力者も同席してる。何か知ってるかもしれない。これまでの情報と合わせて、経緯を話してくれるか?」

『さっき言ってた匿ってくれた奴か。いいだろう』


 ニコラスがスピーカーモードをオンにしたのに合わせて、ハウンドは事の顛末を語り始めた。


 時刻は午前11時前後。

 爆発は、ニコラスたちがミチピシ当主から門前払いを食らい、本部に押し掛けた救済連合とミチピシ一家の小競り合いの最中に起きた。


 場所は本部最上階付近。

 セルゲイが入手したミチピシ本部の間取りによると、24階の女子トイレで爆発が起こったという。


 かなりの規模で、四散したガラス片や瓦礫が小競り合い中だった一家と救済連合に降り注ぎ、大勢の負傷者が出たという。


『いちおう向こうは死者はまだ出てないって言ってたけど、かなりおかんむりだったよ。維持派なんかに至っちゃこっちを勝手に犯人扱いしてくるし』

「ハウンドを?」

『そ。ニコたちが実行犯じゃないかってね。もちろん丁重に丁寧に論破して黙らせたけど』


 たぶん論破じゃなくて脅迫か恫喝したんだろうなぁと思うが、その場にいなかったので黙っておく。


『ともかく。ミチピシももう我慢の限界だ。オーハンゼーの命令にも聞かない奴が出てきてる。このままじゃ構成員が勝手に犯人探しをやりかねない。そうなったら魔女狩りの始まりだ。収拾がつかなくなる』

「ミチピシから犯人に繋がりそうな情報とか聞けなかったか?」

『んな重要そーな情報ミチピシに提供できるわけないっしょ。当主の言うことすら聞かねー奴が出てきてんのに』


 ケータの警察らしい質問に対し、答えたのはセルゲイだ。

 カタカタと音がするところを見るに、ハウンドの脇でパソコンをいじりながら控えているらしい。


 ちなみにケータにはセルゲイのことを若手ハッカーと偽って伝えてある。

 いくら捜査のためとはいえ、五大マフィア幹部が協力しているというのは問題があるだろうと判断したのだ。


「じゃあまた手掛かりなしか……」

『だね。だから今ミチピシ本部のハッキングやってる』

「は!?」

『だぁってしょーがないじゃないの。俺ちゃんだってこんな面倒くさ――汚い手は使いたくないのよ? けど話してくれないんじゃ仕方ないよねー。ってわけでちょっと覗かせてもらうことにしたから。あと3分だけ待ってちょーだいな、ペンギンちゃん』

「ペンギンって俺のことか?」

『あんた日系人だろ? 胴長短足だし可愛い顔してっからピッタリっしょ』


 ニコラスはケータの背中にどでかい棘がぐさぁっと刺さるのを空見した。


 椅子に崩れ落ちたケータは「いいんだ。どうせ俺は童顔で足が短いよ……」と顔を覆い、その背中をイヤドがよしよしとさすっている。


 ニコラスは、今度セルゲイに会ったら「綿棒」と呼んでやろうと決意した。

 白くてひょろ長い奴にはぴったりだろう。耳クソにまみれてゴミ箱に捨てられてしまえ。


 そんなこちらの思惑を露知らず、セルゲイは取り組んでいた課題を終わらせた。


『ほいっとな。今そっちに画像送ったわ。動画は容量食うから勘弁してちょ』


 こいつ、ケータのスマホも特定してんのか。


 ニコラスはセルゲイの手際に警戒を強めつつも、送られてきた画像にひとまず留飲を下げる。


 監視カメラの映像の静止画だ。

 爆発直前に現場付近にいた人物を片っ端から洗い出しているらしい。


 なるほど、いちおう仕事はやる男のようだ。

 市販の綿棒から医療用綿棒に格上げしてやろう。


 ニコラスは数十枚の画像群を一瞥し、一枚を画面一面に拡大してテーブルの上に置く。

 それをケータとイヤドが覗き込んだ。


「……女?」

「女だネ。しかも子供連れてるヨ」


 ニコラスたちは一様に首を捻り、通話口ではハウンドが文句を垂れた。


『おいセルゲイ、もっと拡大できないのか?』

『文句あんならミチピシに言ってよ。こんなやっすい監視カメラなんか使っちゃってさ。ほんとこれで五大一家の一つなんて言われてんのが奇跡よ。これならまだモールショッピングモールの監視カメラの方が性能よくない?』

「…………この人の服」


 呟かれた声に全員の視線と耳が集中する。発言したのはイヤドだった。


「ワタシ、この人知らなイ。でもこの人の服とマーク、見たことあるかモ」

「本当か……!?」


 ニコラスが驚く一方、ケータが女性の画像をさらに拡大する。


 黒人、否、混血だろうか。

 歳は20代前半。ストレートの黒髪を低い位置のポニーテールにまとめ、丈の短いTシャツの下からは見事にくびれたウェストが覗いている。


 キュッと締まった足首といい、うっすら筋の浮いた腹といい、実に健康的な若い女性だ。


 背後を歩く少年はどう見ても白人なので、親子か兄弟という線はないだろう。


 ニコラスは女性が着ているTシャツの柄に注目した。

 黒の六芒星に交差する大鎌。一見ロックかラップ系バンドグループのロゴマークにも見えるが、ニコラスにはピンときた。


「ストリートギャングか」

「多分ネ」


 イヤドが頷く。彼は綺麗に整えられた髭を撫でながら話し始めた。


「2週間ぐらい前だったかナ。この辺りで爆発起きたことあってネ。イラクの爆発に比べたら大したことなイ、とてもしょぼい爆弾。でも数多かっタ。1日に5回ぐらいボンボンって、死人出なかったけどうるさいし危なイ。ワタシたちとても迷惑してタ。その時、この女の人きタ。若い男いっぱい連れてた。物騒だったけど『ハムサ・イブリース』ほど危ない感じしなかったヨ」

「ハムサ・イブリース?」


 首を傾げるケータにニコラスが補足する。


「『五人の悪魔ハムサ・イブリース』、要するに五大マフィアのことだ」

「ああ。なるほど」

『イヤドっつったな? その女と男たちは爆発の後に来たのか?』


 ハウンドの質問にイヤドは「そうそう」と頷く。


「爆発のあと見てたヨ。爆弾、ごみ捨て場に隠されてタ。なんかゴミ掘ったり色々してたヨ」

『会話とか聞いてないか? こんなこと話してたとか』

「うーん、そこまでは聞いてないネ。あまり突っ込のよくなイ。酷い目に合ウ。でもその人たち、みんなバイク乗ってタ。こう、ブオンッって鳴るうるさいノ」


 イヤドは両拳を突き出し、アクセルを吹かす真似をした。


「それとみんな同じ服着てたヨ。この女の人みたいなノ。青に黒の星と鎌の服。バイクも青と黒の色してタ」

『……恐らくシカゴ・ギャングの一派だな。あのあたりのギャングはシンボルカラーで服装や車両を統一する傾向がある。青のシンボルカラーに黒の六芒星と大鎌なると……セルゲイ』

『『ブラック・ヘキサグラム』じゃね? てかシカゴ・ギャングで六芒星ロゴにしてるとこそこだけだわ』


 ハウンドとセルゲイの発言に、ニコラスはしばし考え込んだ。


「ケータ、どう思う?」

「状況を見てないから何とも言えないけど。そのバイク集団、実験してたんじゃないか? 実際、連続爆破事件の現場は当初は50番地に集中してた。それに爆弾の威力もだんだん上がってる。こう言っちゃなんだが、50番地はミチピシの関所融和政策で移民が急増してる場所でさ、ミチピシもあんま手が回ってないんだよ。だから救済連合もここを拠点にしてたんだ。始めだけだがな」

「あのうるさい人たちネ。夜になると騒ぐし酒バカみたいに飲ム。虫の居所悪いと殴ってくル。店の窓割ル。とても失礼。商売の邪魔。すごく迷惑だったヨ」


 イヤドの苦言にケータは頷く。


「ああ。そのこともあって一時ここの治安は大いに荒れた。ミチピシが内戦状態なのもあって、50番地はほぼ放置されてたんだ。あんまりの荒れように特警おれたちも手が出せなくてな。新参者どもにとっちゃかなりやりやすかったんじゃないかな」

「つまりケータは、爆弾魔の正体は流れのシカゴ・ギャングだと?」

「少なくとも救済連合じゃないだろ。さっきミチピシと一緒に爆破に巻き込まれてんだし」


 ケータの推理にニコラスは腕を組んで思案する。


 筋は通っている。だが一つ腑に落ちない点がある。


 それは、ミチピシが爆弾魔の正体をまったく掴めていないという点だ。


 仮にこのシカゴ・ギャングが犯人だったとして、爆破現場にぞろぞろ戻ってあれこれしていれば、いくらミチピシでも勘付くはずだ。


 なのにミチピシは今、爆弾魔の尻尾すら掴めていない。自分たちやハウンドにまで疑いの目を向ける始末だ。


――いずれにせよ情報が足りない、か。


 そう判断したニコラスはハウンドに呼び掛けた。


「ひとまず俺たちで他の爆破現場に向かってみる。まだ爆破されて日が浅い現場も多いだろうし」

「俺もニコラスに賛成だ。一応特警うちの駐在警官が現場検証してるんだが……調書を見たかぎりじゃかなり適当だったからな。もう一度検証し直した方が良い」


 もはや同僚を公然と扱き下ろし始めたケータの目はどこか生気がない。

 ニコラスは苦労性の警官を気の毒に見やりつつ、今度はイヤドを振り返った。


「話聞かせてくれてありがとう、イヤド。それと現場検証終わったら飯食いに来ていいか?」

「もちろん! たくさん作って待ってるヨ」


 屈託ないイヤドの笑顔に自然と口角が上がる。


 色々あったが、良い出会いをしたものだ。


「んじゃハウンド、そういうわけで現場に向かうからナビを――」


 つ、と言葉を区切ったニコラスに、ケータが首を捻る。


 対するイヤドははっとした顔で腰を上げた。


『……来ちゃった?』

「ああ」


 ハウンドの問いで、ケータもようやく気付いた。


 静かすぎる。

 英語以外の言語に溢れ返っていた通りは今や物音ひとつせず、通行人や車の排気音はおろか、赤子の泣き声すら聞こえない。


 あれほど姦しかった喧噪はぱったり途絶えていた。


 代わりにニコラスの訓練された耳は、別の音を聞き取っていた。


 ニコラスはそっとトレーラーハウスの窓に近寄り、カーテンの隙間から外を垣間見た。


「……探す手間が省けたな。直接聞けそうだぞ」


 ニコラスにならって外を見たケータの顔がさっと青ざめた。


 青一色の布地に、黒の六芒星と大鎌のロゴが入ったTシャツ。

 それを身にまとった男たちが、武器を手に物々しくトレーラーハウスににじり寄っている。


 ニコラスたちは包囲されていた。

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