4-3

 顔をしかめていたのは、鼻を突く酸臭のせいだけではなかった。


「ザ・不服って顔だな」


 からかい口調のハウンドの声に普段より低い声で応えてしまって、我ながらガキっぽい意地の張り様に嫌気がさす。


「……なんで断らなかったんだ。というか、黙ってたらよかったろ」

「そうはいかないさ。あの手の人間は断ってもダメだ。失敗すると分かっていても、自分の信じた道を突き進むタイプだ。自棄になってどこかで自爆されても後味悪いだろ?」


 それはそうだが。


 すると隣でハウンドが苦笑する気配がした。


「にしてもニコ、随分と気にかけるね。ああいう手合いの人間は嫌いかと思ってたよ」

「……嫌いだよ。大嫌いだ。死んだ相棒によく似てる」

「ああ、なるほど」


 軽く天を仰ぐハウンドと対称に、ニコラスは地に目を落とす。


 親友であり、元相棒のフレッドも、ああいう理想を捨てきれない質の人間だった。

 自分が兵士であると痛いほど自覚しているくせに、それでも他者に手を差し伸べることを最後まで諦めなかった。


 だから、死んだ。


 あの時、民間人を救わず見棄てて帰還していれば、フレッドも部下も死なずに済んだ。


 だがそれを選択していたら、いま隣にいる少女ハウンドは助からなかったかもしれないのだ。


 己を救ってくれた少女に、恩人であるハウンドに、「助けなければよかった」などとは口が裂けても言えないし、言う気も毛頭ない。


 さりとて後悔が消えるわけでもない。


「んな顔するな、ニコ。繰り返さなきゃいいんだよ、でしょ?」


 視線を逸らすしかないこちらに、ハウンドは苦笑した。


「大丈夫だって。私だってついてるんだ。それに、報酬も破格だし悪い話じゃないだろ。前金も払ってくれたしな。あと、あのお嬢さんよりこっちの方が難関だぞ」


 そう言われてニコラスは、前方に中世の要塞城にも似た灰白色の煉瓦造りの建物を琥珀の双眸に捉えた。


 特区26番地、ロバーチ領三等区に設置されたロバーチ一家領事館だ。周囲には軍用犬を連れた歩哨が数組巡回しており、門には分隊規模の武装兵——恐らく構成員なのだろうが、AK74M小銃を片手に退屈そうに待機している。


「……流石に警備が厳重だな」

「構成員のほとんどが軍人上がりだからな~。数も8千弱しかないし、五大の中じゃ一番少ないんだけど、銃火器保有数に関しちゃ断トツでトップだ。戦車や爆撃機・戦闘機までもってる」

「小国並みの軍事力だな」

「下手すると小国以上かもね」


 ハウンドの言葉にニコラスは頷いた。


 ロシアンマフィア、ロバーチ一家は五大で最も歴史の浅い新興勢力であり、マフィアとしてはかなり異質の存在だ。


 表向きは新兵器開発、地下資源の採掘、傭兵・指揮官養成教官の派遣といった軍事サービスの提供などを行う一方、裏では銃火器の密輸や国際法違反兵器の製造販売。はては途上国の独裁者と取引して暴動を鎮圧や粛清に出動し、場合によっては要人暗殺も行う。


 マフィアというより、民間軍事会社と武器商人が合わさったような組織だ。


「確か、27番地はロバーチと同盟関係にあるんだよな?」

「まあね。困った同盟者ではあるけど」

「というと?」

「奴ら、何かとうちの市場を独占したがるんだよ。お陰でヴァレーリやターチィ当主から苦情が出てる。なにせうちの輸出入の7割がロバーチだからな。ちなみにヴァレーリが2割、ターチィが1割だ。ターチィがうちの市場に参入する時は往生したよ。ロバーチの奴らがあの手この手で妨害するんだもん」

「そんな連中とつるんでて大丈夫なのか?」

「五大の中じゃ一番マシかな。新興勢力のロバーチ一家はアメリカでの地位をまだ確立できてない。今の時代、裏社会にだけ影響力のある組織じゃやってけないからな。法整備がわりと進んだ先進国じゃ特にね。良い子ちゃんが演じられない不器用な奴らは即ブタ箱行きさ」


 茶化すように肩をすくめた統治者は、童顔に似合わぬ理性に富んだ双眸を煌めかせる。


「そんなわけで今のマフィアは表・裏双方の人脈を気付いていく必要がある。だが新興勢力のロバーチには裏の人脈はあっても表の人脈はなかった。しかもすでに裏方面で有名になっちゃってたから、なかなか提携してくれる企業がない。間にクッション挟まないとね。そこで私たちの出番というわけさ」

「つまり、27番地が仲介業を始めたのは」

「平たく言うとロバーチ一家のためだね。その対価に格安で武器を提供してもらってる。27番地うちとロバーチはギブアンドテイクの関係なんだ。いざという時は守ってくれることもある。奴らには27番地が不可欠なのさ」


 ニコラスは納得と同時に驚愕を禁じえなかった。


 外交手腕というか、政治的駆け引きというか、センスがずば抜けている。


 よくもまあマフィア相手にやり合えるものだと感心していると、ハウンドが少しばつの悪そうな顔をした。


「言っとくけど私の案じゃないよ。店長たちの案さ」

「店長の?」

「そ。あの人、元大学教授だからね。専門は国際政治経済論。なんか私ばっかり『六番目の統治者シックス・ルーラー』なんて祭り上げられてるけど、今の27番地の基盤を作ったのは店長さ。私は本当にただの代表者に過ぎないんだよ」


 ニコラスは目を瞬かせた。


 貧民街の住民にしちゃやけに落ち着いた人だと思っていたが、そこまで教養のある人だとは思ってなかった。


 なるほど。

 ハウンドが若くして統治者の地位を確立できたのは、店長たちのような大人の補佐があってのことだったのだろう。


 ふとニコラスは、ずっと気がかりだったことを尋ねた。


「……なあ。ここ、やけに人多くないか?」


 隣を歩くハウンドは、ニコラスにぴっとりくっついている。くっついて歩かないと路上に座り込んだ浮浪者を跨ぐ羽目になるからだ。

 それほどまでに路上に人々が溢れ返っている。人口にしても、27番地の7、8倍はいそうだ。


 幹線道路の端には配給を待つ人間が長蛇を成して領事館前の野球スタジアムに続いている。

 かつてのデトロイトのシンボルの一つ、コメリカ・パークだ。


 一昔前は観戦を待ち望む野球ファンが頬を上気させて並んでいたであろう歩道には、生気のない群衆が虚ろに陽炎の如くぼうと居並んでいる。

 唯一生気を感じさせるのは落ち窪み黒ずんだ眼下から覗く異様な輝きを放つ双眸で、ニコラスは空き家の軒下に蹲る痩せこけた野犬を想起した。


 さらにニコラスは、スタジアム屋上部に設置された白虎の石像に顔をしかめた。

 MLBデトロイト・タイガースの象徴だとわかってはいるが、縁に足をかけ悠然と群衆を見下ろす様は今から食らう餌を品定めしているようにしか見えない。


 ロバーチ一家の象徴のことを思えばなおさらだ。


「それについてはロバーチ一家の統治方法のせいだ」

「連邦制ってやつか」

「ああ」


 五大マフィアの多くは中央集権制をとっている。

 各区画に一家の幹部と構成員を常駐させ、各区画を統治しつつ住民から税を徴収し、中央たる一等区へ還元する。


 ところがロバーチ一家は連邦制で、一等区のみを直轄管理し、残りの二等区・三等区は各区画の実力者が統治して、それらをロバーチ一家がまとめるという体制を取っている。


「つっても、二等区はロバーチ一家が表向きに運営してる軍需産業の企業主が統治してるし、ぶっちゃけ三等区以外はロバーチ一家の身内みたいなもんだ。三等区だけ各区画のならず者が支配してる。……つっても、酷い有様だな」

「ああ」


 27番地住民も決して身なりは良いとは言えないが、ここはそれ以上に劣悪だ。


 何より群衆の垢と汗の臭いが酷い。

 悪臭を通り越してもはや刺激臭で、コートか何かに鼻を押し付けておかないと涙が出てくるレベルだ。


 糞尿と散乱したごみの臭いが入り混じっているところを見るに、下水・廃棄物処理が上手くいっていないか、ライフラインがほぼ停止しているのかもしれない。


 9月にも関わらず街路樹に葉はなく、真冬並みに侘しい。

 路上の人々が毟った葉を焚火で沸かした湯で煎じて飲んでいるからだ。


 建物は黄ばみひび割れ、アスファルトはえぐれてあちこちにクレーターができている。

 SF映画でよくみる文明崩壊した都市に足を踏み入れた気分だ。


「食料がないってのは本当らしいな」

「元々ここの支配者が物資横流ししてるせいで不足しがちだったんだけど、二月前の国境封鎖でさらに悪化した感じだな。あのお嬢さんが言った通り、死傷者も出てる」

「死傷者? 餓死者じゃなくて?」

「餓死寸前の人間はこんな大人しく列に並んだりしないよ。命かかってるもん。死傷者は――」


 甲高い銃声がハウンドに口をつぐませた。

 反射でハウンドを抱き込み振り返ったニコラスは唖然とした。


 それは、ニコラスにとっては見慣れた光景だった。問題はその光景が、ここで起きていることだった。


 2ブロック先の交差点から、ピックアップトラックの車列が猛然とこちらに直進してくる。

 真ん中を通ればいいものを、わざわざ群衆が並ぶ道端ぎりぎりを掠めて。


 荷台には黒っぽいジャンバーやジャージに身を包んだ男たちがまばらに腰掛け、煙草や酒瓶片手に和気あいあいと談笑している。

 しかしその利き手には小銃があり、荷台に据えられた銃座のKPV重機関銃が唾液に塗れた牙の如くぬらりと光を放つ。


 きわどい走行で轢かれそうになった群衆が逃げ惑うと、荷台から下卑た哄笑が沸き起こった。散り散りに走る人々の背後を冷やかすような弾痕が追いかけ、銃声はその音だった。


「…………ニコ、腕緩めて。痛い」


 我に返ったニコラスは慌てて腕を解いた。

 無意識のうちに力を込めてしまったようだ。


 締められていた腰を撫でたハウンドは、通り過ぎる車列に一瞥もくれず、鼻面にしわを寄せた。


「あれが死人を増産してる元凶さ。ここの支配者、ボリス・アリビツキーの一味だ。あれのお陰でまだ大規模な暴動には至ってないが、それももう時間の問題だと思う。いくら武器取り上げてるとはいえ、たかが数百人の構成員で数万規模の群衆を抑え込めるほど世の中甘くないよ。しかも全員、絶賛飢餓状態だ。今に見てな、銃も怖れぬ狂人の群れが見境なく食い殺しに来るぞ」


 苦々しく吐き捨てるハウンドに、ニコラスはずきりと胸が痛むと同時に、いたたまれなくなった。


 ハウンドの生まれ故郷であるアフガニスタンでは、温暖化による気候変動で深刻な大干ばつが通年発生している。この光景は、ハウンドにとっても見慣れたものなのだ。


 そしてニコラスは彼女にこの光景を、先進国であるはずの自分の祖国で見せてしまったことを恥じた。


「……たしかボリス・アリビツキーは暴力団ブラドワ崩れだったか」

「そうそう。地元ロシアのノヴォシビルスクでやらかして合衆国に逃げてきたんだと。こっちじゃ売春婦斡旋と麻薬密売人の元締めと闇金融業者ローン・シャークやってる」

「典型的な裏社会の人間だな」

「そ、オリジナリティの欠片もない男さ」


 と、その時。犬の咆哮がした。


 視線を向ければ、ロバーチ一家構成員が連れる警備犬が唾をまき散らして吼えている。領事館周囲を巡回中だった歩哨二組だ。


 歩哨は犬を落ち着けようと躍起になっているが、2頭はリードを引き千切らんばかりの勢いで唸り吼えたてている。


 咄嗟に身構えたニコラスの真横を、ハウンドは平然と進み出た。

 そしてカッと踵を鳴らして静止し、2頭を凝視する。


 途端、2頭がびしりと硬直した。


 即座に牙を引っ込め、忙しなく視線を彷徨わせたと思えば、顔を背けて尻尾を丸め後ずさりする。


 そんな2頭に、ハウンドは鋭利な眼光の矛先を歩哨へ向けた。


「相変わらずだな。犬の躾もできないのか」

「申し訳ありません、『ヴィルコラク』。普段は従順なのですが、今日はお一人ではなかったので。今日も閣下への面会でお間違えないですか?」

「いるのか?」

「つい先ほどお見えになりました。少々お待ちを」


 早口のロシア語が飛び交う中、ニコラスは聞き慣れぬ『ヴィルコラク』という単語を訝しんだ。

 会話的にハウンドを指す言葉だと思うが。


「『人狼』だよ。ロバーチじゃそう呼ばれてるんだ。――行くぞ。私から離れるなよ。特に当主の前ではな」


 いつになく真剣なハウンドの声音に、ニコラスは無言で頷いた。




 ***




 接敵は、身体検査を終え、数名の構成員に囲まれ移動している時だった。


「また来たのか、ヴィルコラク。今度はどんな要件だ?」


 ひび割れた薄氷の如き青大理石の通路を闊歩する巨漢が一人。

 ロバーチ一家首魁、ルスラン・ロバーチだ。


 ニコラスは警戒心を静かに強めた。


 撫でつけた金髪は朽葉色で、赤茶の双眸は気の弱い者なら心停止しそうなほど鋭い。

 2メートル強の体躯は見るからに筋骨隆々。デジタルフローラ迷彩戦闘服をスーツの上着代わりに羽織っていることも相まって、思わず後ずさりしたくなる圧迫感がある。


 しかも革靴を履いているのに足音がしない。


 ニコラスは、密林を忍び歩く猛虎を思い出した。

 巨体に似合わぬ隠蔽と隠密に長けた猛獣だ。


 そんな虎の如き男は、こちらを一瞥すると。


「ほお。貴様が例の番犬か」


 表情筋ひとつ動かぬ冷厳すぎる面持ちの偉丈夫は、歩み寄りつつこちらを睥睨する。


 残り数歩の距離だった。


「!?」


 裏拳が飛んできた。


 とっさに右腕で受け止めたものの、受けきれない。


 異常な重みの拳に、左脚の義足が悲鳴を上げ、ミシリと鳴る。


――マズい……!


 ニコラスは右に飛んだ。

 今朝ケータに教わった受身を模したものだったが、実際は拳に耐えきれず吹っ飛ばされたに等しかった。それでも反射的に身体を丸め、頭と首だけは守った。


 無様に床を転がるも、即座に片膝をついて立ち上がろうと藻掻くニコラスに、拳の主は目を眇めた。


「ふむ。義足を破壊してやるつもりだったが存外反応がいいな。そうでなくては面白みがないが」


 まるで羽虫を潰し損ねたような口ぶりのルスランに、ニコラスは睨むのが精一杯だった。


 義足の接合部に心臓ができたようにズキズキと痛む。反射的に踏ん張ってしまったせいだ。


 しかし、ルスランはこちらではなく背後を見た。


「そう怒るな。少し力量を確認しただけだろう」


 その時初めて、ニコラスはハウンドがルスランの右後方に回り込んでいたことに気付いた。


 その手にはいつの間に抜いたのか、小さなダガーナイフが握られている。刃先はルスランの脇腹――肝臓にピタリと当てていた。


「セキュリティを抜けたか。セラミックか」

「ご想像にお任せする」

「私の前では武器を携行するなといったはずだが?」

「お前がニコに手を出すだろうと思ったからな。そして先に手を出したのはお前だ」

「ではこれで手打ちとしよう。武器を捨てろ」


 ハウンドは自身に向けられる無数の銃口をものともせず、こちらまで後ずさった。

 そしてニコラスが触れられる距離まで下がるとナイフを放り捨てた。


「素直で結構。次はないぞ」


 そう言うと、ルスランは部下を引き連れ踵を返した。


 10歩以上離れたところでハウンドは前を向いたまま尋ねた。


「大丈夫か、ニコ」

「何とか」

「腕は。義足は」

「折れてない。義足も壊れてない。多分」


 遠ざかる広い背中を睨みつつ、ニコラスは義足接合部をさすった。


「ごめん。仕掛けてくるの分かってたのに間に合わなかった。あのままぶっ刺してやりゃよかった」


 マフィアボス相手に暗殺未遂は止めてくれと言いたかったが、歯の間から軋り出すように唸るハウンドを前にして口をつぐむ。


 そして、ふと一つの答えにいきついた。


「もしかしてここ最近の訓練はこのためだったのか?」

「……ルスランは特殊部隊スペツナズ上がりでシステマ (ロシアの武術)の達人なんだよ。己の肉体を効率よく使う術を熟知してる。しかもあの巨体だろ? 洒落になんないんだよ、アイツの攻撃。素手で殺した人間も一人二人じゃない。わりと好戦的だし、前からお前に会わせろって言ってきてはいたんだけど」


 忌々しげに吐き捨てるハウンドに瞼を瞬く。


 どうやら、あの訳の分からない訓練はルスラン襲撃に備えるためだったらしい。


 一方、元凶は遠くの曲がり角で立ち止まっていた。


「何をしている、ヴィルコラク。来ないのか」


 涼しい顔でしれっと呼びつけるルスランに、ハウンドはあからさまに舌打ちした。

 ニコラスは壁に手をつきながら立ち上がった。


「行こう、ハウンド」


 ニコラスが促すと、ハウンドは後ろ髪を引かれるような表情で渋々歩き始めた。


 左脚を引きずりつつ、前を歩く小さな背にそっと手を添える。

 ありったけの感謝と自戒を込めて。


「……もう少し訓練頑張るよ」

「うん」




 ***




 ルスラン個人の執務室らしき部屋に通されたニコラスたちは、ようやくルスランと向着合った。


 当然の如く席も出された紅茶もハウンドの分しかないが、先ほどの待遇で自分の立場を痛感したニコラスは無言でハウンドの背後に控える。


「話はあらかた聞いている。また随分と面倒なことに首を突っ込んだな」

依頼人トラブルの方からこっちに突っ込んできたんだよ。逃げても追い駆けてくる類のだから早々に諦めた」


 武骨な手に似合わぬ繊細なティーカップを傾けるルスランに対し、ハウンドは腕組みをしたまま吐き捨てた。

 もちろんティーカップに手を伸ばしもしない。


 そんな彼女の、場合によっては無礼と取られても仕方のない振る舞いにルスランは目を細める。

 一見気分を害したようにも見えるが、声色から察するにハウンドの不遜な態度を見て愉しんでいるようだ。


 こういった点は、ヴァレーリ一家当主のフィオリーノに通ずるものがある。


 裏社会における富・権力・名誉を掌中に収めた支配者にとって、ハウンドのような思い通りにならない存在は興味を引かれるものらしい。


 そんな闇の支配者たちの好奇心をくすぐって止まないハウンドは、不愉快な態度を隠すことなく本題に入り、手身近に説明した。


 ルスランはそれを黙って聞き。


「ふむ。ボランティアに関しては別に構わんが、実施に関しては困難だろうな」


 と、頬杖をついた。


 ニコラスは耳を疑った。


 あの『殺戮』のロバーチが、民間人のボランティア活動を許可した? 

 逮捕された部下すら切り捨てたあのロバーチ当主が?


 ハウンドも、自分と同じく警戒を顕わにした。


「反対しないのか?」

「しない」

「なぜ」

「興味がないからだ。そもそも三等区にいる連中は敗者だ。敗けたがゆえに弱者へ堕ちた。虐げられるを良しとしないのであれば、這い上がってくればいい。実際、我が一家にはそうやって這い上がってきた者を構成員として受け入れている。だが連中はそれすらしない。ただ他人に救われるのを期待して待つだけの愚か者だ。闘争すら忘れた弱者に生きる資格などない。とっとと淘汰されればよかろう。それでこそ自然の摂理というものだ」


 ハウンドは答えない。僅かに目を細めただけだ。


 一方、ニコラスはルスランの弱肉強食論とも言うべき暴論に反感を抱いた。


 間違ってはいないが極端すぎる。

 世の中、直面した困難に立ち向かえる強い人間ばかりではない。お前が弱いのが悪いのだ、死ね、ではあんまりだろう。


 しかし、それをマフィアのボスに言っても無意味だし鼻で笑われるだけなので、黙ったまま立ち尽くす。


「とまあ、そういうわけだ。ボランティアなぞ何の解決にもならん。ただ悪戯に弱者を延命させるだけだ。その温室育ちの女がやりたいというのであれば好きにやらせればよかろう。成功するかどうかは知らんがな。しかし――」


 ルスランは言葉を区切り、虚空を睨む。柘榴石に似た双眸が剣吞に煌めいた。


「26番地に関しては少々目に余るものがあるのも事実だ。自治権を委ねると言った手前黙っていたが、最近は税の徴収すら滞る始末だからな」

「なら簡単でいいから許可書をくれ。お前名義の名目があれば向こうも黙るだろ」

「別に構わんがタダでとはいかんな」


 ハウンドは思い切り顔をしかめた。


「何が望みだ」

「別に大したことはない。27番地が締結中のヴァレーリ、ターチィ両家との同盟を破棄する。それだけだ」

「同盟者をロバーチだけに絞れと?」

「そうだ」

「お前は抗争を起こしたいのか? 無理に決まってんだろ」

「だがお前は私に借りがある。先日のヴァレーリ一家の騒動の仲裁に協力し、商人のテオドール・ファン・デーレンを保護し、さらにお前たちの商売まで保障してやった。なのにお前はまだ何も返していない。不公平だろう」

「こっちにだって立場ってもんがあるんだよ。借りがあるのは認めるが同盟破棄は無理だ」


 ニコラスも同感だった。


 ハウンドは『六番目の統治者』として特区に名をはせる実力者だが、その地位を五大全一家に認められたわけではない。


 五家のうちシバルバとミチピシを除く、ヴァレーリ、ターチィ、ロバーチの三家が賛成してくれたからこそ統治者として認められた、いわば非公式の不安定な存在だ。


 仮にヴァレーリ、ターチィ両家との同盟破棄をすれば、ハウンドは自身の貴重な味方の3人のうち2人を切り捨てることになる。それは非常にまずい。


 ハウンド個人だけでなく、下手すると27番地の自治権にも関わってくる自殺行為だ。


「その時は我が一家の庇護下に入ればいい。私が味方では不足か?」

「庇護と支配の区別もついてない奴に身を委ねられるか。大体そういったことは私の一存じゃ決められん。決めるのは住民だ」

「なら許可書は出せんな。やりたければ勝手にやるといい」

「…………言質は取ったからな。言ったからには中立は守ってもらうぞ」


 ハウンドは静かに嘆息すると立ち上がった。

 これ以上の話し合いは無意味だろう。


 踵を返すハウンドに続こうとしたその時、ルスランが待ったをかけた。


「まあそう急くな、ヴィルコラク。じきに向こうから接触があるだろう。紳士的かどうかは知らんがな。まあすぐに分かる」


 無表情なれど愉悦の浮かんだ柘榴石の双眸に、ニコラスは嫌な予感がした。


 そして、その直感は間違っていなかった。

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