エピローグ

 事件から三日後。


「やべえぞニコ、天使がいる」


 やべえのはお前の頭だよ、と言わないのが賢い生き方だ。


 ハウンドの言葉に無言で返答したニコラスは、店内の中央で歓迎される少女に目を眇めた。ジェーンである。


 ジェーンは襟飾りのあるブラウスとジャンパースカートに身を包み、スカートを吊る幅広の肩ひもを襟の後ろでリボン結びしている。

 大変よく似合っていて、華やかかつ気品あふれる見事な仕上がりだ。もちろん服は店長のお手製である。裁縫もここまで極めれば職人芸、という良い好例だろう。


 新たなる愛らしい住民の登場に、住民は大喜びだった。

 軽快な指笛に拍手喝采、少年団の女子に至ってはガッツポーズで雄叫びを上げる始末である。貴重な女子が増えて歓喜しているのだろうが、野太い歓声のせいで男子はドン引きしていた。


 一方のジェーンも最初こそ恥ずかしがっていたものの今はもう慣れたのか、はにかんだ笑顔を見せていた。


 なぜジェーンがここにいるのか。それは、ジェーンがカフェ『BROWNIE』に保護されることになったからだ。


 父親を失い、自由の身となったジェーンだが、身寄りを完全に失ってしまった。気の毒なことに、あの父親が唯一の親族だったのだという。


 そこで店長がジェーンの里親になると申し出てくれたのだ。


 ニコラスは父親の借金がジェーンに回ってくるのではないかと心配したが、その辺はハウンドも抜かりない。


「ヴァレーリ一家とは話をつけてある。ジェーンはもうただのジェーンだ。ライリーの娘じゃない。当主のお墨付きだ。部下どもも手を出したりしないさ」


 悪童というには悪辣すぎる笑みに、ニコラスが顔を引きつらせたのはここだけの話。


 まさか自分を拾った恩人が殺し屋で、犯罪都市の巨悪『五大マフィア』に比肩する大物悪党など誰が想像しただろうか。しかも自分はそんな人物の助手なのだ。


「とんでもねえ女に拾われちまったな……」


 そうぼやくニコラスの言葉を拾う者はいない。皆ジェーンに夢中だ。


 ふとあの子供の泣き顔が浮んだ。別れ際ずっと泣いていたため、あの子の笑顔を見ることはついぞ叶わなかった。あの子は一体どんな風に笑うのだろう。


 と、その時、背後からひょっこり見慣れた美少女が現れた。


「どうしたニコ、ぼ~っとしちゃって」


「別に」


 ハウンドは「ふ~ん」と言うと、自身の隣、松葉杖に足を引っかけないようカウンター席に腰を下ろした。


 先の事件で義足が破損してしまった自分は松葉杖生活を余儀なくされている。しばらく仕事は休み、ハウンドの自宅警備員をすることになるだろう。ようするにただのヒモである。


 29にもなって年下女のヒモとは情けない限りだが、こればっかりは致し方ない。


――まあこっちの方がらしくていいか。


 ニコラスは大腿部で結ばれた空っぽのズボン裾を撫でた。かつてそこに在った義足を懐かしむように。


 チタン合金でできた無機質で武骨な人工の脚。

 偽善者の己には『ロボコップヒーロー』と同じ脚は不釣り合いだろう。


 ふと、ニコラスは思い立つがまま言葉を口にした。


「なあ、ハウンド。代行屋って金さえ払えば何でもやってくれるんだよな?」


「そうだぞ~。いきなりどした」


「俺も、頼んでいいか?」


 ハウンドはやや目を見開いたが、柔らかに微笑んだ。


「うん。何がお望みかな、依頼人殿」


「その、昨晩話した子供のことなんだが」


「ほうほう。…………ん?」


「あの子の居場所、探すの手伝ってくれないか? ここ二年ずっと探してんだが見つからなくてな」


 ガタァ――ンッ


 突然の物音に見ると、ハウンドが見事に椅子から滑り落ちていた。


「……大丈夫か?」


「大丈夫じゃないわっ! こんな蹴躓きやすいとこに松葉杖置くな馬鹿!」


 座っているのに蹴躓くもなにもないだろうと思ったものの、カンカンに怒るハウンドを前にしては謝罪するほかない。「悪い」と松葉杖を横に置き直すと、咳払いをしたハウンドが改めて尋ねた。


「その、なんだ、五大マフィアを通じてならそれなりの情報を集められるが、べらぼうに高くつくぞ」


「いい。その時は俺の給料から天引きしてくれ。全額でもいいから」


 約束した。会いに行くと。

 もし再会を果たせたら、あの子は笑ってくれるだろうか。


「生きてりゃまだ13、4のはずだ。まだまだ一人前には程遠いだろ。できる限りのことはしてやりたい」


「……そいつ、そんなにチビだったのか?」


「ん? ああ、こう言っちゃなんだが貧相なガキだったぞ。ガリガリのチビ助で、少なくとも再会した時は10歳未満――ってなんだその顔」


 眉間に深い皴を刻み、口元をへの字に曲げて目を吊り上げる相棒にニコラスは抗議した。

 あれだ。餌も用意せず寝坊した飼い主を見下ろす激怒した猫に似ている。


「ほ~ん、ふ~ん」


「な、なんだよ」


「べぇつにぃ~? 言っとくが五大連中はマジで馬鹿みたいに金ぶん獲るからな? どうなっても知らんぞ」


「ああ。構わない」


「…………本当に良いんだな?」


「ああ」


「やれやれ、とんだお人好し拾っちゃったな」


 そう言うとハウンドは立ち上がり、高らかに指笛を吹いた。


「よし、そろそろジェーンの歓迎会といこうか! バドワイザー飲みたい人~?」


 歓声が沸き起こり、店内に挙手が乱立する。何人かはすでに厨房へ入り、勝手にビールケースを持ち出して配り始めている。全く自由な連中だ。


 ふとニコラスは、子供たちが配っていたオレンジジュース瓶を一本手に取り。


「ハウンド、お前まだ未成年だろ。こっちにしろ」


「ん~? 何やら口うるさい助手の声が聞こえますなぁ」


「口うるさくて悪かったな。ほら、ビールじゃなくてこっちにしろ」


「ニコラス」


 くるりと振り返ったハウンドは、腰に手を当てると悪戯っぽく小首を傾げた。


 細くも無駄のない筋肉を帯びたしなやかな女体。男物のウェイター制服と童顔な顔立ちも相まって、扇情的な肢体とのギャップがやけに艶めかしい。


「私、何歳に見える?」


 唐突な質問に戸惑った。ぶっちゃけ14か15歳ぐらいにしか見えないが、ここで正直に言うと何か非常にマズい気がする。


 二秒たっぷり悩んだ末、ニコラスは年齢をかさ増しして答えた。


「22か23」


「なら問題ないね」


「おい」


 ニコラスの忠告は当然の如く無視され、素知らぬ顔のハウンドは上機嫌で客の中へ紛れてしまった。全く、犬の名を持つわりに猫のような女だ。


「ニコラス、君も」


 置いてけぼりを食らったニコラスのもとに、店長がバドワイザーの小瓶を差し出す。それを受け取ると、老紳士は屈託なく笑った。


「改めて。我らが墓場、『棄民の国ダンプ・サイト』へようこそ」


 気が付くと、周囲の住民もみな多種多様な小瓶を片手にこちらを見ていた。

 その中央に立つは新たな相棒、美しい極悪人。


 不遜に笑ったヘルハウンドは高らかに小瓶を掲げた。


「新たな同胞の門出に!!」


 乾杯。歓声と笑顔が弾けた。


 生ける亡者の宴はとどまることを知らない。

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