1-8

「はっ、まっ、まだなのか……!?」


 ライリーは自身の周囲を固める暴力団員に問いかけるが、誰一人として返答はない。殺気を漂わせ、視線すら向けない彼らにライリーの不安は増すばかり。


「おい、外は」


「うるせえなぁ!!」


 首を鷲掴まれたライリーは、首が引っこ抜けそうな激痛と息苦しさにもがいた。


 こちらを睥睨する筋肉だるまこと暴力団ボスは、殺意に満ち溢れた眼差しで唾を飛ばしながら怒鳴った。


「何が商品むすめ奪還するだけの楽な仕事だっ、イカれた女の前に俺たちを差し出しやがって! てめえのせいでうちの精鋭も車もバイクも全部パーだ! どうしてくれる!?」


「わ、私は」


「まだ何か言う気か豚野郎。てめえはただの金づるだ。俺たちが金を手に入れるまでは生かしてやる。一セントでもケチってみろ。その分厚い面の皮生きたまま剥いでやる」


 放り投げられ、無様に地面に転がったライリーを嗤う者はいない。ただ地面にこびりつく汚物を見る目で見下ろすだけ。そうするだけの価値もないということだ。


 どうしてこうなった。娘を売って金を得る、要件はそれだけだったはず。いや、本来なら自分は、特区の中心部で五大傘下の一企業CEOとして、特区市民として暮らしているはずだった。


――ぜんぶ五大マフィアのせいだ。


 連中は自分との約束を反故にし、予定の五分の一の金額だけ投げて寄こすと、自分を特区から締め出した。担保にした土地も工場も全て取り上げられ、浮かれ豪遊したせいもあって金は底をついていた。


 残されたのは膨らんだ借金と、車、出ていった妻が残した娘だけ。金が必要だった。もともと避妊に失敗してできた子だ。愛情などはなから持ち合わせていない。


 ライリーは暢気に気を失っているジェーンを忌々しげに睨んだ。


 こいつが逃げ出しさえしなければ、こんな無法地帯とおさらばできたというのに。とはいえ、売春が一大産業となった特区において10代の少女は高値で取引される。ライリーにとって金の卵である娘を逃がす訳にはいかなかった。


 そこに真っ青な顔の暴力団員が走ってきた。


「ボス、後ろの連中が居ません……!」


「――は?」


 ライリーも意味が分からなかった。だって、ついさっきまで後ろを走っていたじゃないか。


「今すぐ斥候を呼び戻せ! いったん態勢を――」


「ボス! そいつらとも連絡が取れません!」


 団員が一斉にざわつき始める。慌てて携帯で連絡を取るも、出た者は一人もいない。


「どういうことだ、まさか逃げたのか!?」


「俺たちを置き去りにしやがって……!」


 ボスを始め、暴力団はこれ以上ないほど狼狽えていた。


「狼狽えんな! 落ち着いて周囲を固めろ。この程度の損害なんだってんだ」


 ボスがそう一喝するが、荒い呼吸が動揺と焦りを隠し消えていない。ゆえに部下どもは一向に落ち着かず、今にも緊張と恐慌で爆発しそうになっている。


 一方のライリーは苛立ちと怒りで爆発しそうだった。どいつもこいつも役立たず、報酬分の働きすらできないとは。やはり娘を見かけたというだけで雇ったのは誤りだった。


 カッ、と背後に足音。


 重苦しい空気を蹴飛ばすような軽やかな足音に振り返るなり、ライリーはポカンと口を開けた。


 あのカフェの女が立っていたのだ。


「は~い、こんばんは。ミスター」


 ボスも気付き、団員も振り返るなり唖然とした。

 女は一人で立っていた。しかも丸腰で。


「さてミスター、ジェーンを返してもらってもいいかな?」




 ***




 担がれたジェーンの様子を見るなり柳眉をわずかに逆立てた。こめかみから出血している。かなり強く頭部を打ち据えられたようだ。脳に支障がなければいいが。


 と、その時。ライリーが腹を抱えて笑い始めた。つられて暴力団も下卑た哄笑を響かせる。ライリーは思わず殴りたくなるような笑顔で上機嫌に挨拶した。


「これは誰かと思えば代行屋のお嬢さんじゃないか。彼へのお見舞いはもう済んだのかい?」


「彼?」


 意味が分からず眉をしかめると、ライリーは憐れなものを見る面持ちで首を振った。


「おや、気の毒に。知らなかったのか。君がやけに肩を持っていたあの男だよ。足を撃たれたのさ。——まあ私が撃ったんだが。当たり所が悪くてねえ。膝を骨ごと撃ち砕いてしまったようだ。あれでは足の切断も考えねばならないだろう。最悪、命に関わるかもねぇ」


 ゲラゲラ笑う男にハウンドは目を見開いた。恐怖や驚愕といった類のものではない。この期に及んでまで他人を貶める労力を惜しまないこの男に感心したのである。


「あ~なるほど、ニコのことね。うん、なるほど」


「そうとも。なに、悲しむことはない。これでアメリカに巣食う害虫の一匹が成敗されたわけだからな。君は男を見る目はなかったようだが――」


「あー、悪いんだけどさ」


 なお語ろうとするライリーを遮って、ハウンドは失笑した。憐れなものを見る眼差しで。


「少なくとも足の切断はないかな。ニコの左脚、元からないしさ」


「…………は?」




 ***




「……いつまで笑ってんだ」


 ニコラスは、横で腹を抱えて蹲る中年と少年に半眼を向けた。


「いやお前さん、くくっ、だってよ」


「ひー、ウケる! マジウケる! 義足撃ってドヤ顔とか……! ぶふぅっ」


 クロードとルカは爆笑したいのを必死に押し殺しながら屋上を転げまわっている。むしろ我慢している分ますますツボに入るのだろう。


 まあ相手が勘違いしたのも無理はない。弾丸はニコラスの義足膝関節内の油圧シリンダーを破壊した。

 義足専用油圧シリンダーのオイルは他の油圧機との識別のため赤に染色されており、それが破損した際に機械油と混じりながら漏れたため、赤黒い液体が噴き出したのである。


 脚から赤黒い粘ついた液体が噴き出せば、血液と勘違いするのはごく自然の反応だ。滑稽ではあるが。


 静かに爆笑する二人を尻目に、ニコラスは彼らが用意してくれた旧式銃——ウィンチェスターM70.Pre-64狙撃銃を握り直す。


 海兵隊に狙撃手あり。

 そう言わしめる先駆けとなったベトナム戦争時代、海兵隊が採用したのがこの旧式銃だ。64年を境に品質が低下してしまったが、前のモデルであれば信頼性と命中精度は折り紙付き。


 新式より優秀な旧式銃、まさに歴戦の古参兵と表すべき銃だ。


――因果だな。


 ニコラスはほんのり苦笑した。除隊された己に、もう海兵隊を名乗る資格はないと思っていたのに。


 そこで、ようやく笑いをおさめたらしいクロードが、ちょっと申し訳なさそうに目尻を下げた。


「すまねえな。うちにゃ腕利きの狙撃手がいねぇもんだからよ、一応ライフルはあるんだが趣味撃ちに使われるのを除いて碌に整備してねえんだ。ゼロイン、だっけか? それが済んでるのが、ソイツだけでよ」


「合わせた距離は分かるか」


「150メートル」


「それさえ分かれば十分だ。最悪肉眼で撃つ」


 日没。斜陽は建物を照らしても、路地に光は届かない。

 急激な人口増加に対応すべく突貫工事で建設されたビル群の間隔は、土地の広いアメリカとは思えぬほど異常に狭く、その間隙をぬって細い路地が迷路のように入り組んでいる。


 12階建てビルの屋上に陣取ったニコラスは、ハウンドの指揮の巧みさに舌を巻いていた。


 まずは本隊から遅れていた後衛を始末し、続いて斥候を一つずつ確実に撃破する。味方を見失って本隊が大混乱に陥ったところで真打の登場である。


 敵はハウンドの登場に気を取られて、自分たちがどこで立ち止まっているのか気付いていない。


 全身の目を見開くが如く、百目の巨人アルゴスはスコープ蓋を指で押し上げ、地上の闇を俯瞰した。

 街灯に照らされて、暴力団を前にしてひとり仁王立ちする華奢な背中が見えた。


「ハウンド」


『なぁに』


 無線機器インカム越しの返答はいつも通りだった。ここから彼女の顔は見えないが、恐らくいつも通りの胡散臭い笑みを浮かべているのだろう。


 ニコラスは囁くように問うた。


「お前は、何者だ?」


黒妖犬ブラックドッグだよ。会った時からそう言ってるだろ?』


 ああ、そうだった。この女は決して自分のことを語らない。だがニコラスにはハウンドの正体がおおよそ掴めていた。


 ブラックドッグの別名は墓守犬チャーチ・グリム、墓を鎮護するもの。

 墓荒らしを噛み殺し、亡者を悼み咆哮する不吉な獣。


 特区を『合衆国の墓場』、棄民を『生ける亡霊』とするなら、黒妖犬ヘルハウンドの役目は自ずと決まる。


「代行屋にウェイターの次は『守護者』か。大変だな」


『そうだぞ~。だから助手を雇ったんだからな』


 と、そこにライリーの喚き声が入ってきた。嘘だとか何やら叫んでいるが、ニコラスは構うことなくジェーンを担いだ団員に銃口を向けた。ジェーンは気絶したままだ。


 それでいい。今のうちにすべて終わらせてしまおう。悪夢を見るのは目をつぶっている間だけで充分だ。


 ニコラスはそっと引金に指をかけた。




 ***




 ライリーは我慢の限界だった。


 そうでなくとも五大マフィアにプライドを踏みにじられたばかりだというのに、目玉商品に逃げられた挙句、目の前の小生意気な女に扱き下ろされている。しかも年下の女に。


 許してなるものか。こうなったら、何が何でも娘を捕え、この売女もろとも叩き売ってやる。


 ライリーは素早く周囲に視線を走らせる。暴力団は先ほどの狼狽っぷりが嘘のように落ち着いている。目の前の獲物に憎悪を滾らせることで、一時の団結に成功したのだ。やればできるではないか。


 つい数分前まで散々罵っていたことを忘れ、ライリーは代行屋を捕えるよう命令しようと口を開いた、その時。


 熟した果実を地面に叩きつけた様な音がした。


 振り向けば、ジェーンを抱えていた団員の頭部が割れていた。

 熟れ切った柘榴が弾けたよう、と思っていると団員はジェーンを取り落とし、半秒遅れの銃声が轟いたのち、背後に崩れ落ちた。


 全員が震撼した。


 撃たれた。

 それを理解するなり暴力団は一目散に逃げだした。数秒遅れて、ライリーもその後を追う。


 もはや娘を売ることも、代行屋の女を捕えることも頭の片隅にもなかった。


 逃げている間も銃声は止まない。


 一発、二発、三発。

 遠雷が轟くたび、欠損した頭部の死体が増えていく。


 その惨状は不可視の巨人が棍棒を無作為に振り回しているようで、ライリーの恐怖を否応なく逆撫でした。


「行き止まりだ!!」


 誰かの叫びに全員が急停止する。


 ライリーは慌てて周囲を見回し、目についた通りに駆け込んだ。その後を追って団員が追いすがってくるが、見向きもせず走り続ける。


 閃光が目を焼いた。


 あまりの眩さに両腕を掲げ、その隙間から見えた光景に愕然とする。

 壁だ。路地に三メートル強の土嚢が積まれている。その上からは無数の銃身が突き出し、さらに両脇の建物窓からも針のむしろの如き銃口がこちらを見下ろしている。


 その銃口が今、一斉に火を噴いた。


「戻れ! 元きた道を戻るんだ!!」


 誰が言ったのかも分からぬ絶叫に、またも全員が従う。なぜか元の道だけ目が眩むほどライトアップされていることなど、考える余裕もなかった。


 真昼と見紛うほど照らし出された一本道を、僅かな障害物を求めて全員が逃げ惑う。


 狩場に誘き出された、と気づいた頃にはもう遅い。その様は鯱から逃げ惑う小魚に似て、群れはあっという間に散り散りになった。


 無意味に走り回っていたライリーは、ふと、前方にいる人間を見るなり急停止した。


 代行屋が立っていた。

 薄ら笑いを浮かべながら、路地に足音を響かせて。


 ボスが雄叫びを上げながら代行屋に突っ込んだ。その手にはカランビットナイフが握られている。

 鈍色の鉤爪が代行屋の首めがけて振り下ろされた、刹那。


 カラン


 路地に甲高い音が響いた。見れば、ライリーのすぐ足元、カランビットナイフと数本の斬り落とされた指が転がっていた。


「あ? ああ……!? ぁあああああ!!――」


 轟音が悲鳴を掻き消した。ボスの頭部が消し飛び、その残骸が路地に四散する。


 ライリーはその場にへたり込んだ。そしてようやく、女の手に拳銃が握られていることに気付いた。


 銃剣だ。

 銃身を短く切り詰めたソードオフ、その先に分厚いナイフが装着されている。切っ先から血の滴る様は獲物を仕留めた牙の証。

 ぱっと見、回転式拳銃リボルバーにも見えるが、ぽっかりと空いた巨大な銃口は大口径拳銃の比ではなく、銃身を支える骨格フレームも異常に太い。


 Mts-255回転式散弾銃リボルバーショットガン

 ライリーは知らなかったが、近接戦において絶大な破壊力を誇る逸物を銃剣仕様に改造した、超近接戦闘用銃である。


 周囲に漂う生臭い鉄錆と硫黄に似た残り香に、ライリーの記憶が閃いた。


 悪事に手を染める前、まだ幼かったころに祖母から聞いた物語。死を告知する身の毛もよだつ獣の伝承を。


 《硫黄の残滓くゆる時、それは死と共にやってくる》


 黒妖犬ブラックドッグは今、己の目の前に立っていた。


「さあミスター、返してもらおうか」




 ***




 ボスを始末したハウンドは死体を跨いで暴力団残党に足を踏み出した。


 これで残り15名、すでに戦意は喪失している。

 あとは人質の確保とジェーンに足先を向けたその時、ライリーがジェーンに飛びついた。


「う、動くなっ! こいつがどうなってもいいのか!?」


 見た目のみならず台詞も三流以下らしいライリーは、実の娘のこめかみに銃口を押し付けながら上ずった声で喚き散らす。


 しかし、ハウンドは小首を傾げた。こてんと、さも不思議そうに。


「さあ?」


 音もなく空気が凍りつく。


「……は? お前、何を言って」


「私は人質なんか救わないよ。だって悪人だもの。お前がそう言ったんじゃないか」


 ライリーは絶句した。


 刹那、ハウンドの項の産毛がぶわりと逆立つ。


 殺気。怒っている。

 己の背後、500メートル後方のビルの屋上。無線越しにやり取りを聞いたであろうニコラスが、激怒した彼の殺気がハウンドの背中を穿つ。


 ああ、そうだった。あの男は偽善者と罵られようと、悪に染まりはしなかった。


 ハウンドは背後に回した手で三本指を立てた。途端、殺気が引っ込む。

 その切り替えの早さにハウンドは口元をほころばせた。一方ライリーたちは恐怖に慄いたまま。


「イカレてる、狂ってやがる……!」


「当然だろ。正義も倫理も人道も私は興味がない。悪人ってのはそういうもんだ。そういうお前は何だ? 己の労働者を売り、工場を売り、娘すら売ろうとしたお前は何だ? まさか、自分はまだマシな方だと思ってるのか?」


「煩い煩い煩い黙れェ!!」


暴力団おまえらもつまらん奴に捕まったな。倒産寸前企業のCEOに丸め込まれたか?」


「なっ……!?」


 ハウンドの言葉に暴力団残党は目をむいた。


「どういうことだ」


「まんまの意味だよ。そこの馬鹿は五大に乗せられて自分の工場と労働者を売り飛ばしたせいで一文無しなのさ」


 スリー


「けどボスは久々の金づるだって」


「嘘だね。そいつ、80万ドルの借金あるよ。しかもあの五大のヴァレーリ一家に借りてる。カードだってとっくに止められてるし、現金もほとんど持ってないんじゃない?」


 ツー


 言葉を失う団員と真逆に、ライリーは目を血走らせて怒鳴った。


「違うっ、俺は騙されたんだ! 全部ぜんぶ五大マフィアのせいだ! 俺は悪くないっ!!」


「それお前が売り飛ばした労働者の前で言ってこいよ。そんなんだから娘にも棄てられるんだろ」


 ワン


 完全な敗者と化したライリーは咆哮し、ジェーンのこめかみに突き付けていた銃口をハウンドの胸元に向けた。刹那、勝利を確信したライリーの顔が醜悪に歪んだ。


 ゼロ。――銃声。


 ジェーンのスカートに風穴があいた。弾丸は彼女の股をくぐり抜け、その先にあるものを穿った。


 断末魔に近しい悲鳴が断続的に響く。


 睾丸を撃ち抜かれたライリーは股間を押さえ、芋虫よろしく地面にのたうち回った。


 気絶したままのジェーンを抱きかかえたハウンドは、片眉を器用に吊り上げて相棒に語りかけた。


「容赦ないね~」


『戦意を喪失させるのには一番手っ取り早いだろ』


 違いない。


 悪人すら鼻白む助手の所業に、ハウンドは両肩をすくめてみせた。

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