015 ふたり
「おかえりなさいませ、ユウリ様」
「……おかえりなさいませ、おにい」
屋敷に帰ると、メイド姿のシャロとアリシアが並んで頭を垂れた。
「だいぶ様になってきたじゃないか、アリシア」
「……ありがとうございます」
今にも舌打ちを弾かせそうな表情に笑顔をムリやり浮かばせて、アリシアは礼を口にした。
その様子を見ていたシャロが、こほんと咳払いをしてから、
「申し訳ございません。あとで彼女をしっかり教育しておきますので」
「よろしく。こいつの全権はおまえに委ねる」
「仰せつかりました」
慣れた手つきで俺のコートを脱がし受け取るシャロ。ふと目にした指先を見て、俺はその手を取った。
「え、あの、ユウリ様……っ!?」
「怪我してるじゃないか。切ったのか?」
「は、はい……先ほど、ナイフで」
か細い指に入ったちいさな亀裂。
血は止まっているようだが、こういう傷は長く痛みがつづく。
シャロの仕事上、指の怪我は響くだろう。水場の仕事なんかでは、とくに。
「ライラ、癒してくれないか?」
「はい。お安い御用で――んもめッ!?」
「せっかくだから、ユウリが手当てしてあげなさいな。部下に任せっきりはよくないわよ?」
変な声をあげたライラのすぐ真後ろで、不敵な笑みを浮かべたマナフがライラの口を押さえつけていた。
「いや、しかし……俺に魔術の心得は」
「魔術も剣も要は気持ちの問題でしょ? いっかいやってみて、そのあとライラに治させればいいのよ」
「もぐもぐ」
マナフの意見に賛成だと言わんばかりに、顔面蒼白のライラも頷いた。必死にマナフの腕をタップして抜け出ようとしている。
確かに、彼女の意見も一理ある。
部下に任せっきりはよくない。
俺も常々思っていたことだし、トップである俺がやることで上がる指揮もある。
そういうところまで考えているのかは定かではないが、マナフには度々、いい気づきを与えてくれる。機会を与えてくれる。
あとで感謝を伝えておこう。
思考を整理し終えた俺は、シャロに向き直った。
「俺なんかの手当てで悪いが、受けてくれるか?」
「そ、そんな……受けられないです! お忙しいユウリ様のお手を煩わせるなんて……!」
「俺よりシャロの方がよっぽど忙しいだろ。少しの休憩だと思って、付き合ってくれ」
「で、でも……」
握りしめた指先から熱が灯ってくる。よくよく見ると、シャロの顔も赤くなっているようだった。
俺は視線をシャロからアリシアに移すと、ジト目で俺らのやり取りを眺めている妹に言った。
「三十分ほど借りるぞ。シャロの分までしっかり働いてくれ」
「……ハーイ」
渋々、忌々しげに頷いたアリシアは、踵を返して厨房の方へ向かっていった。その後ろを、複数人のメイドも後を追っていく。
「シャロちゃん、お楽しみに~。なんなら三十分とは言わず一時間、二時間でもいいのよ?」
「ま、マナフ様。それだとボスの食事の時間が……」
「文句、ある?」
「……ないです」
怖い笑みを浮かべたマナフから目をそらすライラ。仲がいいのか悪いのか、よくわからないふたりだ。
ともかく、シャロの時間をとらせてしまうのも申し訳がない。
さっそく俺はシャロの手を握ったまま、執務室へ向かった。
「――と、こんな感じでどうだろうか?」
包帯を切って結び終わった俺は、額の汗を拭った。
シャロを執務室に連れ込んだ後、彼女を来客用のソファに座らせ手当てを施していた。
ここのところ、ある程度の傷はライラが癒してくれていたから、包帯を巻くのにもだいぶ時間がかかってしまった。
元から不器用なところもあるし、何よりも……
「申し訳ございません……次は、気をつけますので」
「いや、いいんだ。仕方がないだろ。こういうのはだれにだってある」
シャロに見つめられながら指先を動かすというのは、とても緊張した。
自分でも、なんでこんなに緊張しているのかはわからなかった。
今さら、女の子ひとりに動揺する
「ありがとうございます……うれしいです。こういうこと、してもらったのははじめてで」
綺麗とは言い難い、お粗末にまかれた指先の包帯を眺めるシャロ。よくよく考えてみれば、切り傷ひとつに過剰な手当てだったかもしれない。
らしくない。俺らしくない。
包帯の巻かれた指を、とてもうれしそうに胸に抱く姿をみて、胸が跳ねた。
「れ……礼を言われるほどのことじゃない。いつも助けられているのは俺の方だから」
マナフやライラを相手にしている時とはちがう、これまで感じたことのない種の情欲を感じた。
シャロの宝石のような蒼い瞳を直視できず、しかし手持ちぶさたの俺は、吸いたくもないのにテーブルに置かれた葉巻に手を伸ばした。
吸い口をカッターで切り、マッチで全体に火をつける。吸う準備を整えた俺は、葉巻を口に持っていった。
「葉巻は、慣れましたか?」
「いや……正直、慣れない。味も芳香もなにがいいのかわからん。ほとんど、ファッションだよ」
口に含んだ煙を天井に向かって吐き出す。
はじめて葉巻を吸った時のことは、今でもおぼえている。
あれはユージをボコってから三週間が経ったあの日。
ひとの上に立つ男はみんな吸っていると
「ユージさんは悪いひとです。健全なユウリ様に悪いものを嗜ませたのですから」
「同感だ」
振る舞いも、服装も、あまり言葉を発さないところなども、ユージがプロデュースしたようなものだ。
ギャングのボスならこんな感じという抽象的な理想像を、俺が忠実に再現しているだけ。
それがひどく人気で、つづけているうちに骨身に染み付いた。
「だが、ユージにはよく助けられた。あいつだけじゃない……俺はたくさんのひとに助けられて、こうして立っている。その中には、もちろんシャロもいる」
「……そう、ですか」
蒼い瞳を伏せたシャロ。垂れたブロンドの髪が、首輪をなぞってうなじを流れる。
視線を逸らし煙の行方を追う。
シャロは俯いたまま、動かない。
「……」
「……」
部屋に流れる空気は、重く息苦しかった。
あれほど高まっていた胸は鳴りを潜め、釘を打たれているのではないかと錯覚する痛みが、一点を襲っていた。
どれだけ俺が成功しようと、善行を積もうと、彼女を攫い彼女の人生を潰したという後ろめたさが憑いてまわる。
だから、俺が抱いている気持ちも、きっと口に出すべきではなくて。
「……ユウリ様、わたし……そろそろ、仕事に戻りますね」
久々に声を震わせたかと思うと、シャロはソファから立ち上がった。
「手当てをしていただき、ありがとうございました。それでは……失礼いたします」
ドアの前で、恭しく口角をあげ
「……っ」
気がつくと、ドアに向かって俺は、指を伸ばしていた。
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