第136話 生徒ともどきと精霊と
凍った廊下はよく滑る。
ふむ度にパキパキと音を鳴らすそれは、足の裏から体温を奪おうと忍び寄るように手を伸ばす。
サモンは白い息を見上げて、うんと背伸びをした。
その横では、レーガが哀れなくらいに震えている。
顔面蒼白で、腕を抱きながら歩くレーガにサモンはため息をついた。
「はぁ~。これしきの寒さで、どうしたらそんなに震えられるんだい」
「せ、先生はっ、な、な、慣れてるかもし、しれなっけど……っくしゅん!! 僕は、なれて、ない、の!」
「あーもう、鼻水を垂らすんじゃない。凍るよ。普通の雪山と一緒にしないでおくれ」
「す、好きで寒がって、るわけ、じゃな……っくしゅん!」
足まで子鹿のように震わせるレーガに、サモンは仕方なく、自分の上着を貸した。
「わぁ……。思ってたよりうっすい。全然変わんない」
「じゃあ返せ」
「借りる! 薄い上着でもないよりマシだし! ありがと!!」
「おい、私の借りといて文句言うな! 不満ならお返しなさい!」
「あーりーがーとーうー!!」
「強情! 誰に教わった!!」
「サモン先生!」
「教えた覚えないよ! くそバカ!」
「ついに間抜けですらなくなった!」
サモンの上着を奪い合いながら、二人は宛もなく校内を歩き回る。
上着争奪戦を勝ち抜いたレーガは、サモンを見上げる。
「先生、精霊が居そうな場所とか分からないの?」
「皆目見当もつかないよ。雪の精霊に知り合いはいないし、知らない相手じゃ、妖精魔法で探せない」
本来、雪山に住まう精霊に、森育ちのサモンが会う機会はなかった。
それに、もしも精霊の目的が人間にあるなら、レーガが近くにいる以上、下手に魔法を使って痕跡を残すわけにはいかない。
「危険が及んだ時に、逃げられるだけの力量は?」
「ないよ」
「堂々と言うんじゃないよ。嘘でもあるって……いや、嘘の方がタチ悪いや」
レーガが出来ないと言うのであれば、やはりサモンが守る他ない。
いつまでもおんぶに抱っこ、なんて状況は避けたいが、今はそう言う場合でもない。
「最悪」
「先生口に出てるよ」
「わざと出してるんだよ。なんで私が精霊を探さなくちゃいけないのさ。役不足にも程があるだろう? 学園長で十分じゃないか」
「契約外だし?」
「分かってんなら黙っておきなさい。そもそも、私の役割は妖精学の担当であって、精霊探しじゃないんだよ」
平穏で、退屈な毎日を過ごしていれば良いだけだったのに。
いつの間にやら生徒に囲まれて、教員の仕事に付き合わされている。
振り回し、振り回されて。
仕事以外は塔に閉じこもっていたサモンが、こうして生徒と一緒に外を歩いている。
(本当に、いらない進歩だねぇ)
自身の成長──彼にとっては退化──を感じながら、サモンは教室を一つ一つ見て回る。
一年生の教室や錬金術室、薬草管理室など回るが、それらしい影もない。
ふと、微かに交戦の音が聞こえた。
二階から音がする。
「シュリュッセルとクラーウィスかな?」
「え? 何が?」
レーガが尋ねるが、サモンは目を閉じて音に集中する。
今度は進路指導室からも音が聞こえた。そっちはエリスの声だ。
「進路指導室って、何階だっけ」
「え? 二階の端っこ。ここからだと結構遠いよ」
今日に限って、語感が研ぎ澄まされている。
精霊の神経を逆撫でするコンディションで、帰るように促す? ──絶対に無理。
精霊二人だけで乗り込んでいてくれ、なんて願いながら、サモンは最後の場所、体育館のドアを開けた。
重たい音を立てて、ドアが開く。
辺り一面、氷に包まれたそこに、一際美しい精霊が立っていた。
サモンは大きなため息とともに、その場にしゃがみこんだ。
「空気読んでよ。最悪すぎるだろう」
非常事態でもこの態度。
レーガはもう何も言わなかった。
精霊はサモンの態度をくすくすと笑った。
「会いたくなかったようだ」
「当たり前だろう。君のような精霊から、学園に入った理由を聞き出すなんて、私の仕事じゃない」
「そう言うな。私は友好的に話がしたい。知りたいことがあるんだ」
精霊はにこにこと笑っているが、サモンは彼を睨みつける。
表情が見えないほどに黒く歪んだ水の色。それを見て、何が友好的だ。
(侮られちゃ困るなぁ。それとも隠す気がないのか)
サモンはため息とともに立ち上がると、頭をポリポリとかいた。
「聞きたいこと? 何だい。答えられる範囲なら、答えてあげるよ」
「そうか、助かるよ。……ここに、精霊の力を持つ人間がいるとか」
──あぁ、なるほどねぇ。
彼らの目的はサモンなのだ。
どす黒い水の色から察するに、仲間に引き入れようとか、興味本位で逢いに来た訳では無いようだ。
もっと仄暗い、子供に聞かせられないようなことをしに来たのだ。
「精霊の力を? そんな人間がいるのかい。聞いたことないねぇ」
サモンはすっとぼけた。
レーガが何か言いたげにサモンを見上げるが、サモンは無視をする。
精霊はサモンを見透かすようにじっと見ると、胡散臭い笑顔に戻った。
「そうか。それは仕方ない。ある情報筋から得た話だったが、とんだ嘘だったようだ」
「そのようだねぇ。諦めてお帰りなさい。ここに君らの目当てのものは無いよ」
精霊とサモンはやれやれと肩をすくめ、撤収の雰囲気を醸し出す。
何とか穏便に話が済んだ……と、思いきや。
──ビュウゥゥ!!
風が吹き荒れ、足元から氷が這い上がる。
サモンはイヤリングを外すと、レーガの前に落とした。
「『不可侵の茨』」
イヤリングから伸びる茨が、氷の行く手を阻む。
レーガの足を覆っていた氷は溶け、茨が囲っている空間の氷魔法が解除された。
それを見て、精霊は嫌味ったらしく笑った。
「おや? どうやら噂は本当のようだぞ?」
「大人しく帰った方が身のためだったのに。私の優しさを無駄にしたねぇ」
レーガは茨の隙間から手を伸ばす。
「先生! 僕も戦うよ!」
「そこで大人しくなさい。精霊に勝てるわけがないだろう」
「でも、先生だけじゃ危ないよ!」
レーガはサモンに出してくれと頼むが、サモンは「はいはい」と聞き流す。
それでも聞かないレーガに、サモンは「間抜け」と叱りつけた。
「生徒を危険な目に遭わせないのが、私が交わした契約だ」
「たったそれだけで、先生一人で戦う必要があるの!?」
「はは、言うじゃないか」
サモンはレーガの頭をポンと撫でた。
優しさを知らない、撫で方だった。
「私が、アンタを巻き込みたくないんだよ」
レーガが目を見開く。
何かを言う前に、サモンは前を向いた。
霜がついた杖を抜くと精霊に向かって舌を出す。
「さて、寂しい雪山と灼熱のあの世。どっちにかえりたいかねぇ」
わざとらしく煽ってみれば、精霊も杖を構え、やる気を見せた。
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