第20話 危険は追ってくる 2
四時限目の授業の終わり頃、レーガはやって来た。
「サモン先生」
「お断りだよ」
何も言っていない彼に先手を打ち、サモンはさっさと塔に帰ろうとする。けれど、レーガの諦めの悪さは今に始まったことでは無い。
「寮の隣部屋に、イヴァンって名前の人がいるんですけど」
「お断りだよ。どうせ面倒事を持ってきたんだろう? 獣人族でもダメ。私は忙しい」
「まだイヴァンが獣人なんて、言ってないです」
「君が来るよりも早い時間に、私の友人から聞いたんだ」
「先生、友達いたんですか!」
「はっ倒すぞ」
サモンは、レーガの頭を鷲掴みにして持ち上げる。
レーガは足をバタバタさせて、抵抗した。
「助けてくださいって! イヴァンずっと困ってるんです!」
「知ったことか。私は興味無いよ。誰が困ろうと、誰が何をしていようとね」
「レーガを離しテ!」
獣人の生徒が、サモンの腕に噛み付いた。サモンは痛みに顔を歪め、レーガを離す。自分の腕には、鋭い牙が突き刺さり、ポタポタと血が床に垂れる。
赤い毛並みの、狼だ。
「ドール──アカオオカミの自然型獣人か? 随分と気性が荒いねぇ」
「あなたが、レーガを痛めつけたからダ!」
「イヴァン! ダメだよ!」
サモンはイヴァンに関心を持った。
獣人族には三種類あるのだ。
『人間型』──人間とほぼ相違ない。
『中立型』──人間に近しいが、耳や獣特有のしっぽなど、一部見た目が違う。
『自然型』──人の言葉を話し、二本足で立つが、獣の姿である。
イヴァンの顎の強さも爪の鋭さも、本の記述通りで獣と相違ない。だが、関心はすぐに失せた。
サモンは、噛み付いたイヴァンを引き剥がそうとするが、イヴァンはさらに強い力で噛みついてくる。
サモンは諦めて杖を抜いた。
「
サモンが杖でイヴァンの額をつつくと、イヴァンの体は意思に反して動き出す。サモンの腕から口を離すと、その場でクルクルと回って踊り出した。
「全く。教員に噛み付く生徒がいるかね」
「から、体が勝手ニ!?」
「身体操作魔法!? 先生、この魔法は生徒への使用は禁止です!」
「緊急措置ならオーケーだよ」
サモンは血が流れる腕に、ゴブレットの水をかける。
傷は綺麗さっぱり治ると、床に垂れた血も水に還す。サモンはイヴァンの頭を杖で叩く。イヴァンは踊るのを止めた。
「さて、私はもう行くとしよう。君たちも、さっさと食堂にお向かいなさい。昼ご飯の争奪戦に負けるよ」
「お昼ご飯は、購買でも買えます。先生、イヴァンの悩みを聞いてください!」
「どうして私が。他の先生にお頼みなさい」
サモンは、手で二人を追い払って廊下を歩く。
イヴァンはレーガの袖を引いた。
「だから言ったでショ。獣人族を助ける人はいないっテ。レーガが気にする事はないヨ。たかが悪夢だもン」
「でも、毎日見るのはおかしいよ……」
「闇に飲み込まれなくなれば、悪夢は終わるでショ。それまで逃げ切れるようにすればいいんだかラ」
二人の会話に、サモンは足を止める。
(悪夢……。毎日見る……。闇に引きずり込む、かぁ。妖精では無いだろうが)
「魔物だろうねぇ」
──なんて呟けば、二人が聞き逃すはずも無く。
しまったと思った時には、離れていたはずの二人は至近距離にいて。
「先生、魔物って言いました!?」
「一体どんな魔物なノ!?」
「あー、ちくしょう。失敗した」
二人の質問攻撃は、「私に聞くんじゃない」と言っても終わらない。
図書室で調べろ、と言っても図書室に魔物関連の蔵書があったかどうか、定かではない。
ロゼッタなら知ってそうか? いや、彼女に言っても、結局自分の元に来るのは目に見えている。
「あぁ、もう。分かったから、ローブを引っ張るのをおやめなさい。伸びるだろう」
二人をローブから引き離して、サモンは「ついて来なさい」と先を歩く。二人は早歩きでサモンの後ろをついて来た。
「どこに行くんですか?」
そう尋ねるレーガに、サモンは疲れた顔で答えた。
「──原因を突き止められる人の元に」
***
学園の中に三つある塔の中で、一番高い塔を陣取っている占術学担当の執務室。
サモンがドアをノックしようとする前に、後ろから声をかけられた。
「あらぁ、時間通りに来はったねぇ」
独特だが柔らかな口調、質素なれど鮮やかな服、白い肌に赤いメイクが良く似合う白狐の中立型獣人が、茶筒を持って立っていた。
「御用があってんねんやろぉ? 今開けますさかいに」
「クロエ先生!?」
レーガは驚いて声を裏返す。
占術学担当──クロエ・ディヴァインは、目を細めて「大声はあきまへんえ」とレーガを
「廊下で騒いだり、ふざけ合うんは怪我の元。大声を出すのも、耳のええ獣人には辛いねん」
「あ、ごめんなさい」
「ん、ええ子。素直な子ぉは好きやで。立ち話も何やしぃ、今鍵開けたるわ。えーっと、鍵、鍵〜……どこにやったやろ」
クロエが袖や懐を漁っていると、サモンは杖を抜いて鍵穴に押し当てる。
「
カチッと小気味のいい音がして、ドアが開かれる。クロエは「おおきに」と言って先に執務室に入っていった。
真っ赤な鳥居が螺旋状に、塔のてっぺんにまで続く神秘的な部屋。
塔の中間には天体が浮かび、壁のあちこちに占いで使う道具が収納されている。
まるで異世界に迷いこんだようなクロエの執務室に、レーガもイヴァンも口を開けたまま魅入っていた。
「我々が来ると、よくご存知で」
サモンは、執務室のど真ん中に置かれた、バスケットボールより大きな水晶を覗き込む。クロエは口元を隠してフフ、と笑う。
「朝に占いするんは、ウチの日課やからねぇ。来客予定は、その時点で把握しててん」
「はぁ。どの占いで? 占星術?」
「星の動きは、未来の動き。今日を読むには遅すぎるやろぉ。あんたが今、覗いてはる水晶やわぁ」
「良く分かるものだな」
「慣れや、慣れ。興味あるんやったら教えますえ」
「いいやお断りしよう」
クロエはお茶を入れながら、「ご相談は?」とサモンに尋ねる。サモンはイヴァンに目配せし、「ほら」と促した。
「悪夢を見るんでス。一週間くらい、いや、もうちょっと前かラ」
毎回学園の外にいて、何かから逃げている。その何かは、振り返れなくて確認していない。
何とか逃げて、学園の門の前で捕まってしまう。
「捕まると、冷たくて暗い闇に、飲み込まれるんでス」
イヴァンは耳を寝かせる。レーガは「毎晩、二時過ぎに飛び起きるんですよ」と付け足した。
クロエは「ほぅ」と言うと、サモンをじぃと見た。
「この程度やったら、サモン先生の方が早かったんちゃいます?」
「分からない事があるから、クロエ先生の所に連れてきたんだよ」
「どうせ『何処に潜んでるか』やろぉけど。そんなん、お得意の妖精魔法でええんちゃうの?」
「良いから探しておやりなさい」
クロエはため息をつきながら、水晶に向けて金の杖を振った。
水晶は淡く光り、ベッドを映す。
「……ベッドの下や」
「ディヴァイン先生、イヴァンは何の魔物に苦しめられてるんですか?」
「ブギーマンやわぁ。なんや、サモン先生説明しとらへんの」
「面倒くさいからね」
ブギーマンとは、子供に悪質な嫌がらせをする、怪異型魔族の典型だ。
主に、子供のいる部屋のクローゼットの隙間や、ベッドの下などの暗がりにおり、いきなり飛び出して脅かしたり、悪夢を見せたりする。
時には子供を食べるとも言われていて、未成年には危険な魔物だ。
レーガとイヴァンは、青ざめた顔で「もう寝れない」と震える。サモンは「寝ないと食べられるよ」と、しれっと二人を脅した。
「ど、どどど、どうしようっ! サモン先生ぇ〜」
「私に泣きつくんじゃない。ああ、もうっ! 泣くな、ローブを引っ張るな!」
「ディヴァイン先生、ブギーマン追い出すのはどうしたらいイ?」
「錬金術のマリアレッタ先生が、護符の作り方教えてくれるやろ。あの人に聞いたったらええわぁ」
「ありがとうございます! イヴァン行こう! マリアレッタ先生は多分、食堂にいるはず!」
「うン! ディヴァイン先生、ストレンジ先生、失礼しまス!」
二人は、バタバタと執務室を出ていった。
クロエは、二人を「賑やかやねぇ」と言ったが、それが本心か皮肉かは分からない。
サモンも帰ろうとすると、クロエは杖を振ってドアに鍵をかける。
「サモン先生、お話があんねんけど」
「私は無いからお
「簡単なことや。ウチのお手伝いして欲しいねん」
クロエは笑ったまま、サモンに近づいた。サモンは冷たい目でクロエを見下ろす。
「断ったら?」
「せやなぁ、どうしたりまひょ」
クロエの腹の読めない物言いに、サモンも杖を抜く準備をする。
クロエはニッコリ笑った。
「先生の塔を、ファンシーにデコレーションしたろかな」
「うっわ最悪。頼むからやめておくれ」
「具体的には、白のフリルとレースとを多用して、アクセントにピンクのリボン巻いて、蔦添えて、ロリータ系ウェディング風に飾ったろぉ。畑もアーチつけたってな。可愛く、可愛くしたろなぁ」
「やめておくれ。気が触れたなんて噂はいただけない。それに、そんな女々しい飾り付けは私の趣味じゃない」
「てっぺんの見張り台に鐘つけたってな、十二時になる時に『リンゴーン、リンゴーン』って鳴るように、魔法かけんねん。あと先生の部屋も、リボンとレースたっぷり
「やめて、ホントやめて。心にクる」
脅しだと分かっていても、クロエが本当にやる女だとサモンは知っている。笑っているが、目だけは本気の彼女の頼みを蹴る事も出来ず、サモンは半ば強制された「分かったよ」を絞り出した。
クロエは「助かるわぁ」なんてケロッとしている。
サモンは胃が痛くなった。
「で、何をすればいいんだい?」
クロエは、口元を隠して微笑んだ。
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