みーちゃん
神はその瞬間まで全くの無関心を決め込んでいた。
まるで私が見えているかのように、こちらを見てキャッキャと笑う赤ん坊。偶然かと思い、見ている場所を変えた。その赤ん坊はキョロキョロと見回して、私を見つけると、再び笑い出した。まさか、本当に見えているのだろうか。私はじっと赤ん坊を見つめる。不思議そうな顔で見つめる赤ん坊。その真ん丸の瞳には天井が映されているだけだった。
まるで人を創造した時のようだ。気が付けば、赤ん坊は歩き始めていた。よたよたと、まだぎこちない姿は不安定だが愛らしい。
「みーちゃん」
目の前の人間、琴音はしばしば私を『みーちゃん』と呼んだ。私はいつも無視を決め込むが、彼女は飽きずにニコニコとしていた。
「みーちゃん、はんばーぐ、つくるね」
琴音はおままごとが好きで、よく一人で遊んでいた。木製のハンバーグを、同じく木製のナイフで切り、片方を私に差し出す。これは神への供物だろうか。供物ならば受け取る他ないだろう。私は彼女の差し出すそれを受け取る。
「いただきまーす!」
琴音は手を合わせて、あむあむと言いながら食べる真似事をする。
「みーちゃんも、あむあむ!」
『……あむあむ』
「そう!いいこいいこ!」
琴音は神である私に恐れず話しかけ、あまつさえ頭を撫でようとする。本来であれば天罰を与えてもよいのだが、その笑顔を見ていると何故だか気持ちが穏やかになるような気がして、私はされるがままになっていた。
「みーちゃん、ずっと一緒にいてくれる?」
琴音の両親は多忙であり家を留守にすることも少なくない。夕日に照らされた薄暗い部屋で、彼女は泣きそうな顔で言った。
『人間の寿命など私には短いものだ。暇つぶしがてら一緒にいてやろう』
「……!ほんと?!」
『ああ』
彼女の顔がぱっと花咲く。
「わーい!」
彼女は私の手を取って周りをぐるぐると回った。
「あのね、しょうがっこうでね、おともだちができたの!」
人間で言う『小学生』になった琴音は、ニコニコと嬉しそうにそう話した。
『そうか。良かったな』
「うん!おともだちのゆかちゃんと、みーちゃんのさんにんであそぶの!」
『それは無理だ』
「むり?」
『人間に私の存在を認識することは不可能だ』
「うーん……?」
『……。みーちゃんは病気で遊べないと、ゆかちゃんに伝えろ』
「わかった」
琴音は私の言葉通り、友人と二人で遊ぶようになった。今日はブランコをして遊んだ、今日の給食は揚げパンだった、など他愛のないことを彼女は一生懸命拙い言葉で伝えてきた。私にとってはくだらないことだが、彼女はそうでないのだろう。彼女の笑顔を崩すのは何故だか気が引けた。私は適当に相槌を打ち、彼女の言葉を聞いていた。
「みーちゃんってさ、本当にカミサマなの?」
琴音は『中学生』になった。少しばかり成長した彼女は私の存在にようやく疑問を持ったようだ。私が頷くと、彼女は眉間に皺を寄せて、考えているようだった。
「あのね、私のクラスメイトにもカミサマがいるんだ」
『ほう』
「みーちゃんのこと紹介した方がいい?カミサマ同士、仲良くなれるかもよ」
『仲良くなるつもりはない。それからそいつは神ではない。話半分に聞いておけ』
「ふーん?わかった」
神を自称するとは、人間とは本当に愚かな生き物だな。本来であれば罰するところだが、驚くほど気にならなかった。私も丸くなったのだろうか。
「ねえ、みーちゃん。ここの問題の答え何?」
『自分で考えろ』
「えー、ケチー」
『高校生』になった琴音は勉学に勤しんでいた。学校では友人と楽しそうに話している姿をよく見るようになった。琴音は相変わらず私に遜る様子はない。けれど最早それは当たり前のことで、私は気にすることなく机に向かって必死に頭を捻る彼女を眺めていた。
「みーちゃんただいまー」
『遅かったな』
「仕事が終わらなくてねー」
へらりと笑う琴音。目の下には黒く隈ができている。仕事を止めたらどうだと言ったが、生きていけなくなっちゃう、と言うのでどうしようもない。最近は口数も減っており、神である私でなくとも命の灯が消えかかっていることは明白であった。
「あれ?ここは……」
『馬鹿者』
「あっ!みーちゃん!」
『ちゃんと前を向いて歩けと言っただろう』
「え?」
琴音は交通事故にあい命を落とした。寝不足で栄養もろくに取らなかった不養生の身体は、若くとも事故の衝撃に耐えられず、命の灯は消えた。神である私は予期していたが、運命を変えることは禁忌だ。
それに、これで晴れて二人きり。ずっと一緒だ。約束、まさか忘れた訳ではないだろう?唖然とする琴音に、私は笑みを浮かべて彼女の手を取った。
Fin.
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