安心で安全な睡眠の取り方

岸辺蟹

安心で安全な睡眠の取り方

わたしが生まれるよりずっと前から、サスペンスドラマの凶器にでてくるような、重たいガラスの灰皿がある。

いつから中身を捨てていないか分からないそこから、誰が吸ったのかまだ新しそうなマルボロの長い吸い殻を1本取り出し火をつけた。

深く、吸う。

慣れたと思っていたが実際吸うと、肺に渋さが残ってむせそうになった。もっぱら受動喫煙に精を出しているので、未成年だ何だという反論は既に受け付けていない。


誰が置いていった百円ライターを無意識にどこかに置き、カーテンを開け外を見る。

真下を走る甲州街道の渋滞が激化して、日本の夜更けを眺める。おおかたIC辺りで事故でも起きたのだろう。

2本目を吸おうと思い振り返ると、さっき使ったのとは違うライターを踏んづけた、拾い上げてそのまま使う。足の低いソファーに深く腰を落ち着けてしまい、いい加減片付けようとは思った部屋を見回すが、再度やる気が出てくるような都合のいい話はなかった。


吸うのにも飽きたが、火をつけること止められず、咥えたままでいたが煙たくなったのでベランダに出た。

もうすぐ夏至を迎えようとする夜の熱気は凄まじいもので、一瞬で汗ばんで太腿にスリップが張り付く。部屋から出ていく煙草の煙と、激化し続ける眼下の渋滞から目に見えて立ち上る排気ガスが混ざり合い、もう何がなんだか頭がくらくらする。

走行音、ブレーキ、クラクション、ブレーキ、罵声、クラクションクラクションクラクション。

何故かスティービーワンダーのIsn't She Lovelyが脳内で再生された、現状にもわたしにも似ても似つかない。

だが気分はいい、クラクションと、口ずさむ自分の声と、記憶上のピヒョピヒョしたメロディーが相まってグランジロックのようになってしまった。これはこれでいいが、うだるような暑さに耐えきれないのでお開きだ。

とっくに燃え尽きた吸い殻を律儀に灰皿に戻す自分を褒め称え、ソファーに横になる。まばたきをする。


まばたきしているうちに外が白み始め、不在着信が3件も来ていたようだ、そしてその着信履歴の主から電話がかかっている、出るのも起き上がるのも面倒で無視する理由を考えるが、特にいい案も思いつかなかったので出てあげることにした。

「なに?」

我ながら無愛想で、煙草の煙で喉の粘度が上がったことが見え見えの声だと思った。

『寝てた?』

「いいや、まばたきだよ」

『そうか、寝るならベッドに行け』

「はいはい。んで?」

『今からいいか?』

「だる」

『君の正直さは玉に瑕だよ』

「わたしの瑕は正直さだけなんて、上手いこと言ってっも怠いもんは怠いわよ」

『あと10分で着く』

「いいなんて言ってない」

『君んちの鍵が閉まってる事があるとは知らなかったよ』

「もう勝手におし」

『言われずとも』

腹がたったので言い終わらせる前に切ってやった、どうせ来るんだし。もう一度まばたく。


やぁやぁ

そんな声が聞こえた気がしたが、気のせいではなかったようだ。残念。

「おはよう過眠症の少女ちゃん」

「…」

よいしょっと見た目の若さに似つかわしくない声を出し、あたしを担ぎ上げた。お姫様抱っこなどではない、大工のおじさんが建材を運ぶそれだ。びっくりして振り返ろうと上体を起こすが、面倒くさくなってやめてぶら下がる。なまこみたいだなと思った。

マットレスの分厚いベッドに放り投げられ、奴が見下ろしてくる。

「高校生にあるまじきスリップの似合いっぷりだね」

「台詞の字面の犯罪臭すごいよ?」

「まぁ、犯すからだいたいああってるさ」

「確かに」

「いい?」

「聞く?今更」

「一応ね」

「勝手におし」

「そういうとこ好きだよ」

適当言いやがって。


無言で高圧的に舐め回してくるのは嫌いではないが、わたしの目的はそこではなく、目の前の人間がわたしのことだけを考えているという確証の元、抱きしめられたいだけなので、そういうのはすぐどうでも良くなってしまう。奴とは出会って1ヶ月にも満たないが良き理解者で、この関係も利害の一致である。

そうこうしている間に力尽きた身体が降ってきたので、腕を回す。適度に細くて硬く汗ばんだ背中だった、生き物って感じがして安心する。

「おやすみ」


そう言われ、ようやく眠りにつく。

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安心で安全な睡眠の取り方 岸辺蟹 @kisibe_kani

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